その“またね”が言えなくて。

思い出の色あせた珈琲

“またね”が言えない理由

世界には何億人もいる。その中から仲良いい関係になれるのは、何万分のいちになるんだろう。いわゆる“縁”だ。



たまたま同じお仕事だった

たまたま同じ学校だった

たまたまご近所だった



「今日は楽しかった!ありがと!じゃまたね!」


『うん!またね』



俺から告白をしたことがきっかけで、付き合うことになった。彼女は俺のことを全然意識してなかったらしい。でも


「え‥ほんと?」


『‥うん。あ、なんか好きかもって。話してるうちに』


「ありがと。でも、ごめん。わたしはそんな感じじゃなくて」


と、断られてしまった。しかし毎日話してるうちに


「今のってわたしのためにしてくれたのかな」


「いつもこんなことしてたっけ」


普段見えなかった部分が見えきて


「そういうふうにみてくれていたなんて」


とだんだん意識してしまったと言われた。素直に嬉しかった。付き合いたいと思ってたけど、断られたしちょっとやけになっていたのかもしれない。どうせ気持ちがバレているならと、“好き”という言葉を使わずにとことんアピールしていた。



『行きたいところある?』


「うーん‥あっ。ほら、最近できたさ」


『今日も楽しかったよ。じゃ、気をつけて帰ってね』


「うん。ありがと。またね」



デートスポットとされてる所にはたくさんいった。そのときは大変だったけど、いきなりの雨にうたれながらやばいやばいと軒下に入ったり、臨時休業でお店に入らなくてなんとなく散歩して帰った日もあったり、喫茶店をハシゴしてただただ喋るだけのこともあった。全部が楽しかった。


でもお互いのことを知れてくると、見え過ぎてしまうぶん、ちょっとなことで(いやとは言えず)変な空気になってしまうこともあった。


「普通、異性とご飯行く?」


『え、だって2人きりじゃないしさ』


「それでも気になるよ」


と言われたり


『写真の距離、ちょっと近いっつーか。SNSにあげるとかも』


「みんなでご飯いきましたーって書いただけだよ?」


と言ってしまったり。



お互い、いろんな人と話すことくらいはある。でも、お互いがお互い、異性との関わり方に(直接的に言わないにしても)気になり出していた。たぶん、少し窮屈に感じていたんだろう。


なにがあるわけじゃない。ただ、普通に友達として、知り合いとして、仕事仲間としてちょっとご飯を食べたら話したりするくらいだ。


“もしかしたら-”


それが不安なんだろう。正直、素敵だなと思える人はたくさんいる。でも、それとこれは話が別。異性として感じたからこそ、彼女と一緒にいる。


『あのさ』


「ん?」


ぎこちなかったデートの帰り道。一緒にいなきゃという時間の過ごし方をしていた日だったのは、お互いに薄々感じていた。


『‥』


「‥うん。いいよ」


『え?』


「なんとなく、おんなじだから」


『‥そっか』


楽しくなかった。いや、つまらなかったわけじゃない。でも、ただなんとなく感じていた。あの独特な、もう終わりそうな、どっちから切り出すでもない時間。


“どうする?”


そう聞くのは彼女のせいにしてしまうみたいでできなかった。


『それじゃ‥』


「うん」


この日は改札まで見送らなかった。“またね”を言われないことが、証明されてしまうようだったから。でも、聞きたかった。




それから俺は“またね”という言葉が苦手になってしまった。聞けない日が来るのが怖くなってしまうから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その“またね”が言えなくて。 思い出の色あせた珈琲 @iroaseta_omoide

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ