第2話 改宗しよう、そうしよう。


「おまえさんの所じゃその辺きっちりした手段があるのかも知れねぇが、ここはテュルセルだ。ここにはここのやり方がある。私刑が酷いってのはわかる。でもな、それは相手がきちんと罪を償う心があってこそだ。第一、官吏が来るまでの間牢獄に入れるにしても、その間食わす飯さえ出す気も起こらねぇ、こいつらは幾度となく俺たちを裏切って嘲笑い、手前勝手な理屈を並べて奪い、殺し、利用して、テュルセルだけじゃねぇ、ヴラハ、ラクナス、アガメンシス、クトレアマス、パスピリス全ての港湾都市でやりたい放題でどんだけ被害が出てるのかもわからねぇ、酷い時は農場から家族まで全て盗賊まがいに蹂躙されて奪われたやつもいるんだ!口から出まかせと暴力しかないこいつらにどう責任を取らせろって言うんだ。こいつらに殺されたアルメディオのおっかさんになんて言えばいい?こいつらに労役を科したところでこいつらは逃げる、絶対逃げる。逃げて、優れた自分達が劣等種にこき使われるのはおかしいとか抜かしてまた市民を殺すんだ!」


 肺の空気が続く限りの勢いで捲し立てるモイチに怯えるでもせず尻込みもせず、ただじっとモイチの方を見つめ黙って聞いている。気がつけば、顔を顔を突き合わせ、鼻の頭がくっつきそうなくらいの距離で今日初めて会ったばかりの異国の少年に喰らいついて蔚積した自分の心中を暴風のように浴びせていた。

 白い月明かりののせいか、澄んだ薄緑の瞳の外側から滲んだ菫色が浮かび上がったように見えて、モイチは突然、小さい子供を大声で叱りつけた時のような「やっちまった感」と

「やばい、まずい、これは泣く!?」と悔悟と自責の念が心の底から急激に湧き上がってきて罰の悪い思いしているところへ、


「癇煩って連中は大きな問題になったりしていませんか?」


 と静かな、それでも広く染み渡るような重い口調で唱えた。

なんかヤバい。逆鱗に触れたわけではないが、今ミヒロが纏う雰囲気は育ちの良い坊ちゃん嬢ちゃんのそれではなく、嵐の海に舵を取る緊張感を漂わせた船乗りや歴戦の戦士の姿にも似たものがある。


 空気が重い。動けない。喉が渇いて言葉も出ない。この重い空気を和ませる会話のネタもない。逃げてぇ。目の前の得体も底も知れない小さな存在が恐ろしい魔物に見えて仕方がない。無計画にひたすら沖に向かって逃げたクソ野郎どもの気持ちに納得しそうだ。


「なぁ、ミヒロちゃんよ、こいつらどうするんでぃ?」


ポロリと出た言葉に頭抱えて海に飛び込みたくなった。が、帰ってきた答えは平坦で、特に思う所は無いようなあっさりした答えだった。

「水でもぶっ掛ければ少しはしおらしくなるかと思ったんですが、口汚く罵りながら沖に逃げたので、とっ捕まえて贖罪と責を問うしかるべきところに突き出そうかと思ったのですが……、閉鎖状態での暮らしが長かったのでいささか周りに対して傲慢になっていたんですね。」


 なんというか、怒られて首を垂れしょげかえる見た目通りの子供の姿に安心感が湧いてくる。


「まぁ、アルメディオのおっかさんにゃ、港湾管理事務所の方から月に幾らかの見舞金が出るから生活が落ち着くまで暫くは金に困窮するこたぁねぇと思うんだが、メイピックの方で何かしらの仕事探してくれるだろうさ。俺っちも知り合いあたってみらぁな」


 モイチがそう言うと、ほっと胸を撫で下ろしたようなそぶりを見せて後部甲板と中央甲板の段差に腰掛けると膝の上に肘を突き、顎を両手の掌に乗せて船尾から見える海面を眺めていた。

 

 船が桟橋に着くと、誰となく係留用のロープを投げかける。海尋がテキパキとクリートと呼ばれる

係留時にロープを結ぶ金具にロープを巻き留めた。モイチが投網の手縄をメイピックに渡すと、

「取り敢えず吊るしといて、明日皆で話し合おうって事になった。それとヴァルキアの方にも行方不明の騎士が出てないか確認中したい」

「まぁ、そうなるよなぁ……」

と頭を掻きながら桟橋の向こう、石積みの大型船の荷下ろし場で地引網のように綱を引く野次馬。荷下ろし用の起重機(クレーン但し人力)も準備している。あぁ、こりゃ明日も朝から騒がしい1日になりそうだ、飯食って酒飲んで眠っちまおうと後ろを振り返りメイピックに声をかけようとすれば、海尋と話をしてしている最中で、珍しくたくさんの新しいことが起こった1日だったが不思議と疲れを感じず、何より新しい友人に乾杯したい気分だ。「そういやミヒロっていくつなんだ?」などと独り言を溢した。


 「凡そ13歳程で御座います。」艶のある落ち着いた女の声が背後からそう返してきた。

「うわっひゃあああぁっ!」桟橋上には自分と側にいるメイピックとミヒロだけのはずである。にもかかわらず、しかも全く気配を感じさせず自分の後ろを取るとは気が緩んでいたにしてもかなりのやり手だ。自然と前方向に飛び退いた先には鳩が豆鉄砲喰らったような呆れ顔のメイピックと、かくれんぼで見つかった時の失敗感を漂わせた表情のミヒロがいた。


「海尋様、お戻りの時間が少々遅ぅ御座いますのでお迎えに上がりました。」

 

 プラチナブロンドを短く切り揃えた若い女が体の前で手のひらを重ねて軽くお辞儀をしていた。


「あーごめんなさい。ちょっと立て込んじゃって」


「詳しいお話は後ほど『じっくりねっとり』伺うとしまして、船の方は如何いたしましょうか?」

野郎二人が肩寄り添わせて突然現れた女を凝視していると、横に位置する海尋から


「僕の面倒を見てくれているアレッサンドラです。」


?? ??? ?????え、なんだなんだ、ミヒロん所の関係者か?とモイチとメイピックは何がなんやらと突然影から浮かび上がったように出てきた女性とミヒロを繰り返し交互にに眺め、女性に向かって自己紹介しようとすると、女性の方からスカートの端を軽く摘んで持ち上げ、軽く頭を下げ、お上品なお貴族様が好む形のお辞儀をして

「申し遅れました。元北方方面遊撃艦隊旗艦、Тяжёлые раке́тные подво́дные крейсера́ стратеги́ческого назначе́ния прое́кта 941 «Аку́ла»《941 「アクーラ」設計戦略任務重ミサイル潜水巡洋艦》ロマノフ号艦長 鎭裡海尋様付き「専任」侍女のアレッサンドラと申します。主人共々お見知り置き下さいませ」

「ちょっとサーシャ、サーシャ!」何やら大慌てのミヒロに向かって


「なんですか、これしきのことで取り乱すとはみっともない。大丈夫ですよ、よっぽどのミリオタでもなけりゃ潜水巡洋艦がどんなものかすら分りゃしませんし、この様子では潜水艦すらなんなのか分りゃぁしませんでしょう」


悪びれもせずあっけらかんと言い放った。主人に対して失礼じゃね?とツッこみたかったが、さささっと海尋の後ろに回り込み、両肩を抑えて船の方へと押しやりながら「お二方、申し訳ありませんが本日はこれにて失礼させて頂きます。〈до свидания〉だぁ〜〜すびぃだあぁ〜〜にゃぁ〜〜〜〜」と最後は観劇の役者っぽく歌うような口調で後部甲板から大きく手を振って主人もろとも波間の向こうに姿を消した。

 

 あまりの勢いに唖然としていた二人だが、メシ食って帰ろうぜとモイチが誘うと、


「ちょっと待ってくれ、事務所の金庫に入れたい物がある」と言い、


メイピックが懐から紙のようなものに包まれた握り拳大のものを取り出した。

「なんだそりゃ?」とモイチが問うと、

「多分金貨だ」とメイピックが答える。


「はあああっ!?なんでまたそんなもんを??」


「お前シズリ殿に職員に出す見舞金のこと話したろ?」「あぁ、話の流れで」


「その見舞金にこれだけ全部上乗せしてくれってさ」


「驚きの連続でもう腹一杯だ。どっから驚きゃ良い?」

桟橋の上だからまだそんなに警戒することはないが、下手に街中で金貨だのなんだのと口にすれば路地の暗がりから刃物持った強盗に襲って下さいと言っているようなものではあるので、船乗りや商人はカネの話になると慎重になる。

「すまねぇが、事務所で枚数を数えた証人になってくれ」

「おおよ。しっかし、何から何までわからんやっちゃな、アルメディオの件で気にしてんのかね?」


 事務所の鍵を開け、中に入ると、常備されている燭台の蝋燭に、金属の筒に油に浸した綿と芯線を入れ、バネの力で火打石を打ちつけて灯りを灯す。蝋燭の明かりに照らされた階段を登り、執務室に入り、鍵をかける。壁の向こう、窓の向こうに人の気配が無いことを確かめてから、包みを留める細い紐を解き机の上に叩いて伸ばした楕円形の平たい金貨を十枚単位で並べて枚数を数えると全部で100枚あった。一枚一枚しげしげと金貨を眺めるモイチに

「アマノ=モリの貨幣で『コバンキンカ』と言うそうだ。これ全部一枚一枚が同じ重さで、一枚が俺たちの使う金貨の二枚分とちょっとの重さだ。この百枚を俺たちの金貨に換金すると210枚になる。昼にベルナデッタのところで換金の話をしたんだが、手持ちで五枚くらい持ってたよ」


「危なっかしいな、おい。アマノ=モリってところはよっぽど治安が良くて決まり事のしっかりした

美人が多くて(妄想)……なんだよ、楽園か?ってかそんな所のやんごとなきご子息様が船一隻で出奔遊ばすたぁ、あの歳で何があったんだか」


「なんだよモイチ、随分と気に掛けるじゃないか。惚れたか?」


「お貴族様じゃあるまいし、そっちの趣味はねぇよ。でも侍女さんはさらに美人だったな。あっちなら大歓迎だ」


「よし、終わった。行くか!」預かった金貨を鍵付きの箱にしまい、メイピックとモイチは事務所を後にした。


 ほぼ同時刻。テュルセルの港から陽が沈んだ方向へ少しばかり向かった所に。海面からなだらかに隆起して、徐々に傾斜をきつくしてゆく丘陵地帯を超えると、突然白い岩の断崖絶壁があり、奥行き300メートルほどの細長い入江に海尋と侍女をのせたボートが入ってゆくと

入江の絶壁から昼間のように明るい光が一斉に照らされる。


入江の奥は白い石を積み上げた船着場になっており、左端にちょうどボート一隻分の係留場所があり、そこへバックでボートが入ってゆく。船着場の岸に降りると

「おかえりなさいませ、海尋様」

とコバルトブルーの制服に身を包み、色違いのラインが入った略帽を頭に乗せた六名の女達が横一列に並び、一糸乱れぬ所作で主人を出迎えた。

ボートを降りてすぐ近く、左端に並んでいる長身金で軽くウェーブのかかった長い金髪の侍女に向かって、

「ねぇ、ヴィータ。これやめにして欲しんだけど……慣れないし、恥ずかしいよ」


と、引き気味に訴える。


「なりません。今後海尋様には我らを使役し傅かせる唯一の存在であり我らの上に君臨なさる主人

なのだと世に知らしめなければなりません。例え未開のサルに毛の生えた程度の非文明人であろうとも天井に座し全てを遍く照らし支配なさるのは……」

耳に聞こえぬAI間無線会話で愚痴が飛ぶ。

(099クロン:言い切りやがったwww)

(080ポーリー:海尋様お迎えに行けなかったからキレてんのかしらww)

(102ヴィータ:お前らミサイル調整の的になるか?)

自動人形同士のステルス会話でごちゃごちゃやりつつも、表情は一才、張り付いた面のように変わらない。

(1706カフカ:早よサルどもの前で海尋様に傅きお仕え出来るのは唯一我ら自動人形なのだと知らしめてやりてぇ)

(ALL:同意×6)

恍惚とした表情で海尋の頬に両手を添えてさわさわ撫でくりまわしながら


「それはそうと海尋様。少々お戻りが遅かったようですが、道中何か御座いましたか?」


「何もないよ。ただサーシャに色々教えてもらってたからちょっと寄り道しちゃった」


「さようで御座いますかお留守の合間にドローンで周辺を捜索しました所、色々と面白いものが御座いまして、今後の処遇をご検討頂きたいのですが」


用件を伝えると、お召し物が生乾きなのは不快で御座いましょう?着替えついでに湯あみも致しましょう。後ろに回って両肩に手を置き、白い壁の奥にある鉄の扉の脇にある上へ向かう階段に向かって、さささ、どうぞどうぞと押していく。

 主人がその場を後にしたので控えていた侍女一行もそれぞれの持ち場へと戻る。一人腕を組んで船着場を眺めるアレッサンドラは「反日で良くもまぁここまで整えた事。流石強襲揚陸艦の手並みは見事なものね。左手を腰に添え、中指と親指を合わせた右手をスゥっと横に伸ばし、パチン!と鳴らして、


「браконьер《ポーチャー》、帰り際の船内データを全て消去なさい。」


と艶のあるよく広がる、それでいて威厳ある拒否を許さぬ意思の籠った声が入江に響いた。


 浴室に付くと、中には湯気が立ち込め、周りの白い壁も3畳ほどの板張りの床板も湯気で水滴が伝っていた。 足を踏み入れた右側に石からそのまま切り出したような白い石の浴槽があり、並々と湯が注がれている。浴槽のすぐそばで床にしゃがみ、タライで湯を掬い上げると、そのまま頭から勢いよく湯を被った。

「うわあおわわわわわわわわわ〜〜〜〜〜あっちぃ〜〜〜〜〜っ」

腰の辺りから背骨を伝う熱い湯の感触に爽快感を覚えながら


「んん〜〜〜」


と喉で声を出しながらぶるぶると頭を振って髪を伝って落ちる湯の雫を払う。

塩水でゴワついた体を洗おうと浴室を見回すと手拭いと石鹸がない。船の浴室にはサーシャ達侍女さんがいつも用意していてくれたので、脱衣所かな?と浴室の引き戸を開こうと立ち上がった途端、


「海尋様、失礼致します」


と黒いビキニ姿のヴィータが手拭いとボディシャンプーを入れた木桶を抱えてた入って来た。

浴室の天井に飛沫が届くほどの勢いで足を滑らす事なくバックステップで湯船に飛び込む。

自分にかかる湯の飛沫などお構いなしに


「申し訳ありません。私とした事がお手元にご用意するのを忘れまして」


おほほとほくそ笑みながら床に両膝をつき、では、失礼して体をお流し致します」

と人差し指を立て、くいっと掬い上げる仕草をすると、ひっくり返って背中から浴槽にダイブ

かましたような格好の海尋が浮かび上がり、そのまま両膝をついたヴィーシャの前まで空中移動すると、ヴィーシャの体を背もたれにするような格好で膝の上に座らされた。


 膝の上の座らされて、ヴィーシャの豊かな胸が背中にぴったりと押し付けられたまま畳んで軽く濡らした手拭いにボディーソープを適量垂らし、「では失礼いたします」と首の後ろから背中、肩から腋、腕と一通り拭ったあと、海尋の胸に手を廻し、そっと抱き寄せ

「いつまでもそのような初々しい反応をされますとついつい滾ってしまいますわ」

そう頬に頬を擦り寄せて囁くと……

「はーい、そこまでー」サーシャの声とともに画面に映画撮影のカチンコが現れ、白黒の斜線が入った拍子木が「カチン!」と鳴らされる。

カチンコのショット情報記入箇所には

 [お風呂 海尋 ヴィータ おねショタえろシーン其の弍]と書かれている。

 「あ、ちなみにえろシーン壱は港から帰る船の中で、もちろんお相手は私サーシャとの…あらやだ

回想などありませんよ。先ほど全て 消 去 いたしましたので。ではдо свидания《だぁ〜〜すびぃだあぁ〜〜にゃぁ〜〜〜〜♪》」


「おのれぇ〜〜〜っあの脳みそピロシキのボルシチ女め!」


脱衣所でパイプ椅子に座らせた海尋の髪をドライヤーで乾かしながら頭の中で考えると

「080ポーリー:敗者の呟き 乙」

「1714コール:料理ネタ やめ!やめ!」

「1706カフカ:添い寝と夜伽すらない私たちに対する当てつけか!」

「1704ヴァージュ:夜伽あぶれ組に海尋様PRPRの機会を!」

「102ヴィータ:仕事なさい。まずはそれからです」


「いえーび〈еби〉(英語でFUCKの意) ×5」


海尋とヴィータが純愛肉体言語に興じている頃、テュルセル港の昼は食堂、夜は酒場のベルナデッタの店ではカウンター席でメイピックとモイチが樽型のジョッキに並々注がれたビールを飲みながら鱈の揚げ物をパクついていると、

「おうおう、一等航海士のモイチさんよぉ〜、なんだって、こんなちっこいお嬢ちゃんに投げ飛ばされたってぇ〜〜」

少し屈んで相手の顔下から覗き込むように見上げながらニヤニヤと下卑た卑しい笑いを浮かべて頬のこけた頭髪の淋しい、いかにも下っ端な酒の回った悪人面が絡んできた。

「おうよ、実に綺麗にブン投げられて実に爽快だったぜ。こんな感じになっ!」

語尾に力を込めて言い放つと、ジョッキをテーブルに置いて相手の顎を下から掴むと、そのまま持ち上げてスイングドアに向かって放り投げる。ドアの横に立っていた従業員と思しき胸元の大きく開いた黄色のドレスを着たグラマーな女がドアを押し開けて放り投げられた悪人ツラが石畳の通りに転がってノびる。


「キレが悪いねぇ、なんかあったの?普段ならそのまま顔面テーブルに叩きつけて飯食えないくらいにすんのに」


と黄色ドレスの女が近づきながら尋ねる。


「いや、もう上機嫌よ、内海向こうまで泳ぎたいくらい爽快な気分よ、うん。」一気にビールを呷る。

おどけた口調を低く真剣な声色に変えて


「なぁメイピック。あのクソ野郎どもをこの手でブチ殺したくてブチ殺したくてしょうがねぇんだよ、それで気が晴れるってぇ訳えでもねぇしあいつの魂が救われる訳でもねぇ。今までずっとそうしてた。これからもそうなんだろうと思ってた。仲間殺されたら殺し返す。それがここのルールだ。俺たちのルールだ。でもよぉ、ミヒロの言う事も正しい。そんな気がしてならねぇんだよ。それがどうにも煮えきらねぇ」握りしめた木製のジョッキが軋みをあげ、割れて砕け散る。


「飲め飲め。飲んで明日は笑え。これもあたしらの流儀、ルールだろ」


そう言ってカウンターのベルナデッタが新しいジョッキにビールをドボドボ注いでモイチの前に置く。

「そういやぁ、アルメディオに桟橋の仕事世話したのはモイチだっけか。同じ船に乗ってたんだったねぇ。そんなにモヤつくんだったら胸ぐら掴んで横っ面ひっぱたいてここのルールってもモンをあのお嬢ちゃんに教えてやりゃぁいいいじゃないか。それでも黄色い嘴でピーピー囀るなら尻にイチモツぶち込んで『わからせて』やりゃぃ意じゃないか。」


「なになに、ミヒロって子そんなに美人なの?」


「一番の美人とか持て囃されるどこぞのお姫様が喜劇のピエロに見えるくらいさね。」


横から割り込んだ黄色ドレスの女にベルナデッタが答える。


「モイチ今日はもうやめときな。悪い酒だよ。」


「あああ、ちっくしょう!ブン投げられて今日はいい酒のめるぜっ!と思ったのによう。あいつらのせいで台無しだぁっ!……やっぱぶっ殺してくる。」


指をボキボキ、首をゴキゴキ鳴らして出口へ向かおうとする大男を


「やめろ!落ち着け!お前ら手伝えぇっ!!」


と必死に制止するメイピックを皮切りに、モイチに負けず劣らずの筋肉自慢がこぞって足やら腰やら首やらにしがみ付き、それでもずるずると引き摺られていく。其の後ろからベルナデッタがカラのジョッキ片手に近づき、モイチの後頭部めがけて思いっきり振りかぶりパッカーーン!と力の限り殴りつけた。本体が粉砕し、ジョキの持ち手を後ろに放り投げ、


「世話が焼けるねぇ、全く。でも面白い風向きになったのかな」


と後頭部を強打され失神したモイチの尻に腰を落とし、少しばかり楽しそうに苦笑いするベルナデッタ。ぐるりと周りを見回して


「お前ら、今日はあたしの奢りにしてやっから帰れ帰れ!」店内に充分響き渡る大きな声に


「イヤッホウッ!」「ええぞ姐さん!!」「いい女は違うぜっ!!」「ゴチになりやーっす!」


と歓喜の称賛があちこちの席で爆発する。


「あんたらはそこの手かかるボウヤを運んでやんな」


モイチに引きずられたまま一緒に倒れ込んだ男どもに投げかけるように言い放つと、

「イエス!マム!」

合唱に近い返答とともにモイチをヨロヨロと担ぎ上げ、駆け足で店を出た。

 

そして翌朝。 港湾組合管理事務所の受付ロビーで酒臭い空気の中、大の字で眠りこける二人の大男と待合室簡素な椅子に横たわって大鼾の男たち。

 

 朝一番に出勤した港湾管理事務所経理主任エルザ・アダーニ(31歳 独身)は白を基調としたパフスリーブの綿のシャツに緑のコルセット型ベストと緑のスカート姿の職員制服に身を包み、マリンキャップを頭に乗せて気合いを入れた後、換気のために開けた扉を閉め、掃除用の桶を手に水汲み場へ向かった。

当然の事ながら、メイピックほか神聖なる職場の床を寝床がわりに使う狼藉者どもに朝一番の冷たい水をぶっかけて叩き起こしたのち、便乗していた船乗りどもを掃除用のモップで叩き出し、メイピックとモイチはびしょ濡れの床に正座させられてエルザ・アダーニ(31歳 独身)のオカン並みに怖い説教を頂戴するのであった。


 陽が昇ったばかりの桟橋の端で色鮮やかな花束にしゃがみ込んで手をあわせる着物姿で薄緑の髪の子供と、その後ろに控え同じように手をあわせるウェーブのかかった金髪で鮮やかな青いロングスカートのワンピースを着た長身の女の姿があった。其の傍ら、横方向から照らされる朝日に、

明るい灰色の船体が波間に揺れていた。

 

 「おはようございまーす」と港湾組合管理事務所の扉を開けると、港湾組合事務所の制服を着た女性を前に身を縮め困らせて正座している台の大人二人が縋るような顔つきでこちらに顔を向けた。

昨日とは違う長身の女が後ろに控えているが、この女も『侍女』といった立場なのだろうか。その女が小脇に布で包まれた箱を抱えてエルザに歩み寄り、


「お取り込み中恐れ入ります。あなたがこちらの所長様でいらっしゃいますでしょうか?」


大男二人を叱りつけている姿は主任とはいえ一職員でしかないエルザに問うたのは無理からぬ事だろう。


大の男が二人並んで正座して朝っぱらから怒鳴られている姿を見れば自ずと力関係は明白である。


 朝一でだらしのない上司に小言をかましていたら長身のスッゲー美人と其の後ろに透けて輝く薄緑色の髪のこれまた超絶美少女。

 こちらが昨日ほんのわずかな間で噂になった異国の美少女としか形容できない美少年か??冗談じゃねぇよ!空気読んでよ!よりにもよってなんでこんなbadなタイミングで?


 あぁ神様、私が何かおお気に触る事を致しましたでしょうか?ああかっこ悪い、はしたない。

近くでみると、何これ本当に男の子??肌は真っ白だし、頬はほんのり赤みがさして柔らかそうな薄桃色の唇は僅かに濡れて艶が際立ち……こんな言語化できない可愛い女の子がいてたるものか。

美人と美少女を前に「え・・・あ・・・わ・・・」エルザ・アダーニ(31歳 独身)は完全にフリーズした。

「あのー、メイピックさん?お取り込み中のようなので出直してきます。」と後ろを向いて立ち去ろうとした海尋を「待て、待ってくれ、お取り込み中じゃないから、ほんの朝礼みたいなもんだから」

と酒で渇いた喉から言葉を降り絞り追い縋ろうと片膝立てて立ちあがろうとした矢先、足に力が入らずそのままずっこけた。

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