第44話 インマクラータ

【マリア】


 衝撃が来て、悲鳴を上げるしかできなかったマリアが目を開けると、マリアはディアルの腕に包まれていた。


「ひゃっ、でぃ、ディアル様? そ、そんな、あの、急に、いえその、嬉しくないわけではないのですがあの、こ、こんな場面でいきな……り……?」


 そこまでひとしきり慌ててから、マリアは段々冷静になってくる。


 おかしい。先ほどマリアたちは、人狼に襲われたのではなかったか? そんな場面でディアルがマリアを抱きしめる……?


 そう思っていると、マリアは自分が抱きしめられながら地面に横たわっていることに気付く。そして、周囲に散らばる木片の数々に。


「え……?」


 マリアは、ゆっくりと立ち上がる。ディアルの腕はだらんと垂れ、マリアを引き留めなかった。


 そして周囲を見て、マリアは瞠目した。


「あ……! あ……!」


 そこでは、人狼がメメの胴体に噛みついていた。メメは抵抗しているが、大量の血を流して力が入らないように見える。


「フイウチ、成功ダァァァアア。マサカ、今年の主席の召喚獣を一番に食えるとはヨォオオオ」


 人狼はゲラゲラと笑いながら、再びメメに食らいついた。メメの瞳からは徐々に光が失われていき、最後には光の粒子となって消えてしまう。


「ひっ……! う、嘘、ディアル様、メメが、メメが……!」


 マリアは慌ててディアルを揺する。だが、ディアルは反応する気配がない。気絶しているのか。そう思っていると、ディアルの頭からつぅと血が流れていることに気付く。


「あ……」


 マリアは悟る。ディアルが気絶しているのは、ディアルがマリアを守ったからだと。


 そこで、ここまでの記憶がはっきりと蘇った。人狼の襲撃を受け、破壊されるクローゼット。とっさにマリアを庇うディアル。


 その末に、今があるのだとマリアは理解する。主の指示を失って動きが鈍るメメ。その隙をつく人狼。メメが最大戦力と判断して、人狼は素早く無力化した。


 何でこんなことに、とマリアは思う。


 そして気づくのだ。


 人狼が変化し始めた時に、二人にその異変を呼びかけたマリアの言葉。それが、先手を仕掛けようとしていた二人を呼び止めた。


「わたくしの、せい……」


 あの時呼び止めなければ、今頃はまっとうな戦いになっていたはずだ。まっとうな戦いなら、二人は負けなかったはずだ。


 だが、良かれと思って呼びかけたマリアの言葉が、二人の敗北を招いた。


 それは間違いなく、マリアの責任であると。


「あ、ああ……! ディアル様、メメ、ごめんなさい。わたくしの所為で、こんな怪我を、痛い思いをさせてしまって……!」


 マリアはディアルを抱きしめる。背後で、人狼が迫る気配がある。こんなことになったのだ、人狼はまず間違いなく、この場で全員を食い殺す気だろう。


「お前は、第七王女、マリアダナ……? 王位争いでは脅威ではナイガ……この際だ、死ンデモラオウ……!」


 喜色に富んだ獰猛な声色で、人狼は語り掛けてくる。だが、マリアはそんなもの、歯牙にもかけない。


「でも、ご安心くださいね。お二人のことは、わたくしがお守りいたします……! 本当なら、あまり呼びたくない召喚獣ですけれど、そんなことは、もはや言っていられません」


「……! コッチを、ミロ……! 第七王女ォォオオオオ!」


 マリアは座ったまま振り向く。眼前には、大口を開けて迫る人狼。鋭い牙に爪は、マリアを一瞬してボロ雑巾に変える力がある。


 だが、何を恐れるものか。


 ――――王族は、強力な召喚獣に恵まれる。それは、マリアも同様なのだから。


 マリアは素早く口にイチゴを放り込み、その名を呼ぶ。


「参上なさい、インマクラータ」




 直後、爆発を伴ういななきが、人狼を大きく弾き飛ばした。




「ギャインッ!」


 人狼は弾き飛ばされ、壁に激突し悲鳴を上げた。それにマリアは表情も変えず、手綱を握る。


 マリアはいつしか、ディアルを抱きしめながら馬の上に乗っていた。薄暗い中でも輝くような、真っ白の馬。その額には、鋭い角が伸びている。


 インマクラータ。マリアの召喚獣でもある一角獣―――俗に言うユニコーンである。


「ヒヒィィイイイイン!」


 インマクラータが再びいななきを放つと、衝撃波がマリアとディアル以外を襲った。周囲の調度品のすべてが一斉にひび割れ、弾ける。人狼も吹き飛ばされる。


 だが、それはインマクラータの魔法ではない。単なる身体能力。強烈な衝撃を放つほどのいななきというだけだ。


 むしろ……騎乗するマリアとディアルをピンポイントで守っているのが、インマクラータの魔法と言える。


「ナンダ、ソレハ……! 第七王女ォ……! お前ニ、召喚獣ナンテ居たノカ……!?」


「居るに決まっていますわ。そもそも、エデン魔法学園の入学資格の一つが召喚獣を保持していること。王族でも特例はございません」


 マリアは毅然として答える。そうしながらも、抱きしめるディアルの様子を見る。


 ディアルの頭から流れる血は、気づけば止まっていた。マリアはほっと息を吐く。


 これぞインマクラータの魔法。インマクラータは騎乗者を治癒し、保護の障壁を展開する。回復能力とバリアが、インマクラータの魔法なのだ。


 それだけ聞くと、実に穏やかで平和な召喚獣のように思える。だが、インマクラータのそれは、あくまでも補足に過ぎない。


 インマクラータという召喚獣は、決して穏やかな存在ではない。


「確かに、わたくしはインマクラータをあまり表に出さずに居りました。召喚獣を呼び出す必要のある授業は履修を避け、今回だって、入学以降初めて召喚したほどです」


 ―――何故か分かりますか。マリアが問うと、人狼はゲタゲタと笑う。


「強力な召喚獣の召喚を避ける理由……ソンナノ、ヒトツダケダ。第七王女ォ……お前ガ、召喚獣の制御もデキナイ出来損ないというコトダロウ!?」


 窮地に追いやられ、それでも人狼は強がって見せる。それにマリアは、淡々と答えた。


「……その通りです」


「……ハッ?」


「インマクラータは、わたくしの制御下にありません。呼び出せば最後、騎乗者以外のすべてを破壊するまで止まりません」


「……エ……?」


「つまりは……」


 マリアは、ふっと虚無の微笑みと共に謝罪した。


「すいません、あなたが死ぬ前にインマクラータを止めることは出来ませんので、申し訳ないのですが、死んでください」


「ハ――――」


 人狼がナニカを言おうとした瞬間、ユニコーン、インマクラータは前足を高らかに掲げ、いななきを上げた。


 三度人狼は、その衝撃で壁に叩きつけられる。だが、今回はそれでは済まなかった。


 インマクラータが、人狼めがけて突進する。


「ヒ―――ッ!?」


 人狼は慌ててそれを回避する。それにインマクラータは勢いを止めず、壁に激突した。


 瓦解音。インマクラータの角は綺麗に壁を穿ち、それでも止まらなかった勢いの頭突きで、壁の層を大きく崩す。


 それから、どう猛に呼吸しながら、ぬらりと振り返り人狼に視線を向けるのだ。まるで―――獲物を狙う、肉食獣のように。


「ナ、ナン、ナンダ、ソノ化け物ハ! 乗せている主がドウナッテモいいのか!」


「ご安心を。インマクラータは暴れまわるだけですが、騎乗者には防護の魔法を掛けます。ですから、乗っている間はどれだけインマクラータが暴れても無傷なのです」


「ソンナ話があるカァ!」


 人狼は叫ぶが、乗っているマリアもディアルも無傷だ。無傷。そう。すでに負った傷も、すでに癒えている。


 強靭で強力な体。味方に掛ける防御と治癒。そして制御不能。


 インマクラータは、起死回生の一手となりうる召喚獣である。だが同時に、平時では絶対に呼び出してはならない召喚獣でもあった。


 下手に呼び出せば、それこそ阿鼻叫喚の地獄である。だからマリアは、インマクラータを隠し続けてきた。


「クッ―――コレナラ、ドウダ!」


 人狼は再び駆け出し、その速度にマリアは見失う。だが、マリアが少し見失ったからとて何も戦況は変わらない。


 目にも止まらない速度で襲い掛かったはずの人狼は、インマクラータに捕捉され、その後ろ足で的確に踏みつぶされる。


「ギャッ!」


「ああ……捕まってしまいましたわね。ご愁傷さまです」


 マリアは、言葉に似合わない酷薄さで、こう続けた。


「もう、あなたはおしまいですわ」


 その言葉の直後、人狼の毛皮に、インマクラータの角がひっかけられる。


「ヒ――――アガッ!」


 一瞬でインマクラータは、角を器用に使って人狼の体を跳ね上げた。そこから、跳躍。その鋭い一撃は、人狼の体を正面から貫く。


「インマクラータは、執拗です」


 マリアは十字を切る。


「あなたが肉片となるまで、あなたをいたぶり続けることでしょう。わたくしには、それを止める手段はございません。ごめんなさい」


「や、ヤメ、嘘だ! 主人ナラ、と、トメル方法があるハズ―――」


 人狼はインマクラータに再び投げ飛ばされ、血をだくだくと流しながら、地面を這いずり命乞いをする。


 マリアは、今度こそ本当に悲しそうな顔をして、首を振る。


「わたくしの力不足です。申し訳ございません」


「ヒ、嫌ダ、助ケ――――」


「インマクラータ」


 マリアは、自分を乗せるユニコーンの頬に触れる。


「確かに彼は悪人で、ディアル様を傷つけましたが、もう十分に痛い目を見たかと存じます。これ以上は――――」


 いななき。マリアの言葉を拒絶するように、インマクラータは高らかに叫ぶ。


 そうして、再びインマクラータが接近し、人狼は絶望の表情を見せる。マリアはそれに、こう言った。


「ごめんなさい。あなたの命と苦痛を、ディアル様たちの命と天秤にかけてしまいました」


 ――――マリアは、善人たろうとしている。常日頃から、善良たらんと振舞っている。


「あなたの死は、わたくしの罪です。あなたの冥福に、神のご加護があらんことを」


 だが善人である以上に―――自分の本当に大切なものが、何であるかを知っていた。


 インマクラータが、刺し貫く。

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