第41話 支配
校舎に辿り着き、周囲に耳を傾けていると、確かに人狼騒ぎは話題になっているようだった。
「聞いた? 人狼の話。夕方に校舎を歩いてた生徒が、襲われかけて必死で逃げたって」
「聞いた聞いた! 異常な速度で襲い掛かってくるんだってな。召喚獣も相手にならないらしい」
「すでに大怪我を負った奴がいるらしいな。おーこわ、しばらく放課後はさっさと寮に戻ろう」
大教室でそんな風に話している生徒たちの声を聴きながら、俺は「ふぅん」と呟く。
「大怪我を負った、ねぇ。医務室に行けば会えるかな?」
人狼イベントは、原作を知っていれば即解決という簡単なイベントではない。
何せ人狼は、夕方の学校にランダムに現れるのだ。その場所は襲われた生徒だけが知っている。その情報を元に、場所を割り出す必要がある。
しかも寮長の話の通り、原作でも実は裏でそれを操っている人間がいたのだから、面倒極まりない。
というわけで、俺は実地調査に先駆けて情報を得るために、医務室に向かったのだが。
「ハァ!? 伯爵家風情で主席合格の栄誉を受ける、お前みたいな恥知らずに話すことはない!」
「……」
病床に臥せった怪我人からこの言われようである。大人しく主席は辞退しておけばよかっただろうか、と後悔し始めるレベルだ。
医務室、ベッド際。
俺は思いの外元気な怪我人に怒鳴りつけられ、絶妙な顔で目をつむる。
何とも初手の対人信用が死んでいて、やりにくい限りだ。原作を知っていても対処のしようがない。だってこんなシーン一つもないんだもの。
どうしたもんかなぁ、と俺は首をひねる。
いや、手がないわけじゃない。武力で脅せば流石に話すだろうし、武力でなくとも背後関係から吐かせる方法はある。
……あるが、そういう手段は平和ではない。緊急性を考えると、まだ手を出すべき手段じゃないだろう。正当性が担保出来ない。
正当性の何が大事かといえば、禍根を産みにくいことだ。禍根を残すようなやり方は平和から最も遠ざかる。
振るわなきゃいけない暴力は躊躇わず振るう主義だが、短絡的なやり方は好みじゃない。
特に、と俺はチラとメメを見る。
「めぇ……!」
メメは目を怒らせながらも、俺の指示を受けた時以外の暴力を禁じられているから、けなげにそれを守っている。
メメの前でそういうことをすれば、メメがそういう手段を覚えてしまう。特に俺を盲信する部分のあるメメの前では、絶対にダメだ。
つまり、打つ手なしである。俺はため息をついて立ち上がる。
「それは失礼したね。メメ、行こうか」
「めぇ……、おとさま……」
俺たちの諦めに、怪我人の少年はせせら笑う。
「ハッ! この程度で諦めるなんて、主席合格者の名が泣くな!」
「めぇ……!」
「メメ、ダメだよ。挑発に乗っちゃダメ」
「めぇ……」
俺はメメに言い聞かせながら、その手を取って歩き出す。
【メメ】
最近、おとさまのことで分からないことが増えた。
おとさまは『平和が好き』だ。平和っていうのは、戦いがないことを言うらしいと、前にどこかで教えてもらった。
でも、おとさまは戦いが嫌いなわけじゃない。いっつも朝は戦いの訓練をするし、メメも訓練させられる。
戦いが嫌いじゃないのに平和が好きなのって、何かおかしい気がしていた。そのことをおとさまに聞くと、おとさまはこう言った。
『平和はね、戦わなきゃ平和なわけじゃないんだ』
『めぇ? でも、戦わないのが平和なんでしょ?』
『少し違うよ。戦わなければ平和なんじゃない。戦う必要がないのが平和なんだ』
『めぇ……?』
メメがさっぱり分からないと首を傾げると、おとさまは少し笑って、メメのことを撫でてくれた。
『難しいね。けど、いずれ分かるようになるから』
何だかあしらわれたようで、メメは気分が良くなかった。けどメメは撫でられるのが好きだから、その場はそれでいいことにした。
でも、そういうことが増えてきて、メメはやっぱりよく分からないことが増えた。
―――アンドリューから人狼事件のことを任されたとき、事件なんて平和じゃないから避けなきゃと思った。メメがおとさまを守るんだと思った。
けど、おとさまは頷いた。メメに首を振って、アンドリューに『受けます』と約束した。
平和が好きなのに、戦いにいくの? とメメは意味が分からなかった。
―――人狼の怪我人からバカにされたとき、おとさまは我慢した。メメも、おとさまに言われたことを守って我慢した。
けど、我慢しなきゃダメな平和が、何でおとさまは好きなんだろうと思った。おとさまは平和が好きだけど、平和ってそんなにいいものなのかなって思った。
だからメメは、おとさまの履修授業がない合間の時間、一緒に昼寝をする振りをして、寝息を立てるおとさまを置いて、一人部屋を飛び出した。
「めぇ……、は、初めておとさまから離れちゃった……」
自分からおとさまから離れるのは初めてのことで、何だかソワソワドキドキした。物凄い悪いことをしているような、けどどこかワクワクするような。
別におとさまから、『片時も離れるな』なんてことは言われたことはない。ただ、メメがおとさまを好きで、今まで離れなかっただけだ。
メメは一人で歩き出す。他の生徒から見とがめられることはなかった。一応メメも、制服を着ていたからだろう。
メメは鼻息を荒くして、少し頬を膨らませて先ほど後にした保健室に向かった。
先ほどの怪我人の場所は覚えていた。だから迷わず、一人でメメはその怪我人の生徒の場所に辿り着いた。
「……あ? お前、ゴッドリッチの付き人だったな」
「めぇ? 付き人?」
メメがキョトンと首を傾げると、怪我人はメメを鼻で笑った。
「何だ? 獣人はバカだという話は聞いたことがあるが、付き人という自分の身分すらまともに理解していないのか?」
「めぇ……? メメは付き人? じゃないの」
「ハハハッ! 付き人じゃなかったら何だというんだ、この獣人風情が! これはお笑い草だな! ゴッドリッチの付き人はここまで間抜けか!」
メメは何で笑われているのかよく分からなかったが、ともかくバカにされていることは分かった。む、と口を引き締める。
悔しい。だが、悔しさをぶつけるために来たわけじゃない。メメは口を開く。
「人狼のこと、教えて」
そう。メメの目的は、おとさまの代わりに人狼のことをこいつから聞き出すことだった。
メメは知っている。おとさまはこいつよりもずっと強い。なのに無理やり聞き出さないのには、理由があるのかもしれない。
なら、とメメは考えた。おとさまが怪我人から話を聞き出せないなら、メメが代わりにしてあげようと。そうすれば、おとさまは喜んでくれると。
すると、怪我人は大声を張り上げた。
「だから! 何で貴様のような獣人風情に話さなければならないんだ! 身の程を知れ、家畜が! それともこの場で屠殺してやろうか?」
怪我人に怒鳴られ、メメはびくりと震える。酷いことを言われた気がするが、メメにはその意味がほとんど分からない。
どちらにせよ、アモンの咆哮に比べれば、こんなもの比べるまでもなかった。メメは睨み返して言う。
「めぇ! あなたが人狼のこと教えてくれないと、また他の人が怪我するの! おとさまは解決しようとしてるんだもん!」
「ハッ! 例え解決するにしても、他の王子陣営に任せるに決まっている! 十三王子陣営に情報など渡すか!」
ギリギリと睨みあう。メメはムカついて、手が出そうだったが、それはおとさまに禁止されていたからしなかった。
だが、やはりムカつく。ムカついて仕方がない。そういう感情の高ぶりが、バチバチと電気になってメメのモフモフの毛に走る。
「ああ、もういい! お前のような獣人とまともに話しているなど、家畜臭くって反吐が出る! 今すぐ消えろ! でなければ―――」
ニヤ、と怪我人は歪に笑った。
「お前に殴られたと報告して、ゴッドリッチに責任を取らせてやろうか?」
「……めぇ?」
おとさまの名前が出てきて、メメは語気を抑える。怪我人は「バカの獣人でも、主の名前が出れば落ち着くな」とせせら笑う。
「いいか? バカのお前に分かりやすく言ってやる。俺とお前では、社会的信用が違う。俺が嘘をついても、周りはお前の言葉を信じない」
「め、ぇ……」
「そんな俺が、お前から殴られたと報告する。貴族で怪我人の俺が、獣人の付き人のお前にだぞ? 大問題だ! お前は縛り首、ゴッドリッチも追放処分になる!」
「めぇ……」
「ハハハッ! 思ったよりもいい案だな! 脅しで済ませるよりも、実行に移した方がよほど効果的だ! やってしまおうか! ははははは!」
怪我人は邪悪に笑う。その姿に、メメは信じられないものを見る目を向けていた。
メメは、悪い人もいるけど、人間はみんないい人だと思っていた。おとさまは言うに及ばず、サテラもルルフィーも悪くないし、マリアは一番優しい。
ユディミルはまぁ、アレだが。それでも本当に悪いことはしないし。
だから、嘘のたった一つでメメもおとさまも傷つけると笑う、目の前の人間が信じられなかった。こんな人がいるのだと思った。
だから、メメは思ったのだ。
こんな人の意識など、大切にする必要はないと。
「――――めぇ」
パツパツッ、とメメの体で電気が走る。それを見降ろして、メメは思い出す。
「『記憶の中の黙示録の仔羊』は、白い雷でみんなを焼いてたけど、強い相手には弱い雷を流して、操ってた……」
「おい、何とか言ったらどうだ? それだけはやめてくださいとか、主は見逃してくださいとか、そういう言葉の一つも言えないか!? えぇ!?」
「人の体は、電気で操作されてる。だから、メメの白い雷は、それを上書きして『支配』できるんだって。それが、白い雷の本当の力。『支配の雷』なんだって……」
「おい! 聞こえないのか家ち―――」
メメは顔を上げる。怪我人に指を向け、告げた。
「めぇ、うるさい。黙って」
微弱な白い電気が、怪我人に放たれた。怪我人は直後口を閉ざし、動けなくなる。
「!? ッ!??!?!?」
「できた……! めぇ、おとさまからは魔法、禁止されてるけど、詠唱してないし魔法じゃないよね……。これなら……」
メメは笑みを堪えきれない、という表情で、怪我人にこう告げる。
「人狼の話、全部聞かせて? あと、メメのことおとさまにバレたら嫌だから、全部話したら忘れてね?」
怪我人は、恐怖で顔を青くし冷や汗をかきながら、口を開く。そこから紡がれるのは、人狼の情報。
ひとしきり話し終え、怪我人は沈黙した。そこには忘我の色がある。メメは「めぇ♪」と上機嫌で、もう用はないと立ち上がった。
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