3 傷つく敵国の勇者

 亜人領を迂回するように移動しながら、ルナ川の支流沿いを半日ほど進んだであろうか。


 ベエマスが現れたのであれば戦闘音を頼りに人族を見つけられるかとも思っていたが、リナが探索に出てからはそう言った音が一切聞こえてくることもなく、結局森の中を彷徨う羽目になってしまった。


 どうすべきか迷っていたところで、背後に違和感を覚える。

 振り返ると、そこには木陰の中から強い警戒心と共にこちらを睨むイシュア・ミルガルトの姿があった。


 いつもの魔女帽子をなくしてしまったのか、冷や汗を浮かべながら、こちらをうんざりした表情で睨みつけている。


「また、あなたなのね……」

「やめましょう。戦う必要性はないわ。証拠を持ってきたの」


 そう言って、懐から矢を取り出していく。


「当時部隊を指揮していた小隊長を諮問したんだけど、人族から奇襲を受けたと主張していたわ。それで、魔族軍で最初に殺された者を射抜いた矢を調べたの。外見は人族の矢と同じだったけど、矢じりの成分が異なるわ。違う鍛冶場で作られたものよ。第三勢力が私たちをぶつけようと目論んでいる」


 イシュアが訝し気な表情でこちらを見つめ続けるも、その杖はこちらを向いたまま。


「その矢をあなたたちが予め用意していたという可能性は?」

「シャロル公爵は急遽このベベルへとやってきたのよ。それほど迅速な計画を立てることが私たちにはできない」

「人族だってすべての矢が同じ鍛冶場で作られているとは限らない」

「シャロル公爵ほどの大貴族が矢じりを別口発注するの? お抱えがいるんでしょう? なんならそちらで照合を行ってくれても構わないわ」

「……。その証拠だけで人族上層部が引き下がるかはわからないわよ」

「それでも、今あなたと私は戦わずに済むわ」

「私があなたと戦う理由は他にもある」


 そんな風に依然としてこちらをねめつけてきた。

 だがその瞳には、わずかに違う色が混じっている。


「……ねぇ、あなた今なにかに困っているんじゃないの? 力になれることがあるなら言って」


 そもそも彼女の状況はおかしい。

 すでにリナに発見されているというのに、なぜ木陰の中に入ったまま、立ってすらいないのだろうか。

 どう考えても臨戦態勢をとっているとは言い難い。


「魔族の手なんて、借りないわ」


 その顔は脂汗にまみれており、よく見ると血の気も薄い。


「……あなた、怪我しているの?」

「来るな! 【サンダーストライク】」


 一歩近づくも雷弾でこちらを威嚇してくる。


「……。これから私はあなたを治療するために近づくわ。あなたがたとえ魔法で攻撃してきたとしても、私は文句を言わない」

「はんっ。カナトと、同じで、きれいごと、ばっかり」

「こんな時くらいきれいごとにすがりなさい。あなたさっきからまともに杖も構えられてないわよ」


 彼女の元へと行くと、攻撃してくることもなく素直に治療を受け入れるようだ。

 茂みから移動させて彼女の様態を見る。


 両足がズタボロになっていて、肉どころか骨まで見えている。

 そこから結晶のようなものが生えており、出血も酷い。


「ベエマスの結晶化ね。この結晶だけは取り除かないと治療できないわ。取るときにかなり痛むけど、我慢して」


 ベエマスに攻撃されてしまうと傷口から特殊な結晶が生えてしまうことが知られている。

 その結晶は、時間が経つと毒素を体内に排出してくるのである。

 幸いにも彼女のものはまだ毒を発する前段階だ。


「痛みぐらい、勇者なら耐えて見せるわ」

「軽口が叩けるなら上等ね。いくわよ」


 足から生えた結晶を力任せに引き抜く。


「がぁあぁぁっ! うあぁぐぅぅ……っ」


 この結晶は神経に直接生えると知られており、抜くときは皮をはぐような痛みに襲われると記録で読んだことがある。

 あれほど強がっていたイシュアが涙を流しているので、あながちそれも嘘ではないのであろう。


 小さめの木の枝を拾って水魔法で洗浄する。


「咥えなさい。歯を食いしばるだけでも痛みが少しはマシになるわ」


 焼け石に水ではあるが、ないよりマシだ。


「次行くわよ。あと八つ。結晶さえ取り除けば助かるわ。頑張りなさい」


 再び彼女のうめき声が森に響く。

 脂汗にまみれた彼女の顔は、これまでの人生で味わったことのないような苦痛にまみれており、涙と涎と汗でくしゃくしゃとなっていた。


「頑張りなさい。あと七つ」

「待って、ちょっとだけ待って。これ、本当に痛いの。お願いよ……っ」

「【ホールドクラスト】。長引くと出血多量で助けられなくなるわ。一気に行くわよ」


 身が引けていくイシュアに拘束魔法をかけて、彼女の絶叫を聞きながら無理矢理に結晶除去を行っていくのだった。



 そんな時間がしばらく続いたであろうか。

 残り七回の叫び声を聞いてからは、彼女もさすがに疲れたのであろう。

 素直にリナの治療を受け続けていた。


「よし。だいたい治ったわ。しばらく休めば歩けるはずよ」

「……あなたもカナトも、なんでそんな感じなのよ。信じられないわ。私たち、お互い敵同士なのよ」


 多少は元気が出て来たのか、イシュアが悪態をついてくる。


「別にいいでしょ。私は軍人よ。戦争しているわけじゃないのなら、私個人があなたに優しくするのは私の自由よ。服を洗うから脱がすわよ」


 彼女は痛みのあまり、途中で失禁してしまっている。

 今不貞腐れているのは裸を見られているからではなく、魔族のリナを前に醜態をさらしてしまっているからだ。

 服を魔法で洗浄していき、おおよそそれが終わった頃、イシュアがポツリと呟いてくる。


「……あなたも、私のこと嫌な女だと思ってるんでしょ」


 いきなり、そんな切り出しで。


「別にそんなこと思ってないわよ?」

「そんなわけないでしょう! なんなのよ。もう……っ。私が、悪者みたいじゃない。私だって、みんなのために頑張ってるのに……っ」


 瞳に涙が浮かんでいるのは、痛みが残っているからではない。

 魔族のリナを前にこんな弱音を吐いてしまうとは、イシュアも相当に参っているのであろう。


「あなたもそう思うでしょ! すべてを信用なんて言葉に頼ってしまったら、いつか全部奪われることになるわ! 世の中には陰謀も策略も打算も卑屈さだってあるじゃない! それをないものになんてできないわ!」


 必死に訴えてくる彼女からは涙がポロポロと流れ。

 そんな彼女だったからこそ、服の着せ終えたリナは膝枕で彼女の頭を撫でてやるのだった。


 実際問題、今回の件だって魔物凶暴化を契機に多くの策謀が飛び交っている。

 亜人保護を建前にベベルへ取り入りたい魔族上層部。

 それに対抗してきたシャロル公爵。

 魔族と人族の対立構造を利用して利益を得ているマーク市長。


 魔物凶暴化の原因究明やその対策なんて二の次で、皆がみな自身の利益を優先しているのもまた事実なのだ。

 リナとて魔族を不利にするような行動は取りたくない。


「うん。そうだね」

「なんでなのよ……っ。あたしだって、言いたくて言ってるんじゃないのに。なんで……っ。あたしだけっ」

「何があったか、聞いてもいい?」


 ため息とともに、イシュアは語りだす。


「……あのあと、結局ベエマスのところに向かう途中でまたカナトと言い合いになって、リーリアまで、カナトの肩を持つようになって、みんな、私の……っ、味方してくれなくて……っ。なんでよっ。みんな、カナトばっかり。私、一人で……っ、つらかった」


 なんとなく状況の察しがつく。


「……カナトさん、ちょっと子どもっぽいところあるからさ、これからベエマスと戦うってときにパーティが乱れちゃまずいと思って、みんなとりあえず彼の肩を持ったんだよ。あなたが信頼されてるからだよ」

「ふっ、あなたに慰められるなんてね。……そのあと、戦いが全然上手くできなくて、途中で仲間とはぐれて。私とリーリアがベエマスに追いかけられたの。私が負傷したから、リーリアがそのまま囮になって森の奥へと行ってしまったわ」

「そうなると、今度はリーリアさんが心配ってことね。動けるようになったら探しに行きましょう」


 イシュアが生のジャガイモでもかじってしまったような顔となる。


「あなたって、とことんお人好しよね。敵国の勇者パーティなのよ?」

「立場が違う相手でも、知っている人の命を心配するのは人として普通の事だと思うわ」

「そんなこと私だってわかってる! でも、将来私たちは戦う可能性が高い。自分で言うのもなんだけど、私やリーリアは人族の中でもかなり強い方よ。殺しておく方が将来的に魔族の得になるじゃない」

「あまり損得で命を考えたくないわ。助けられるなら助けたい」

「そんなの詭弁よ!」


 イシュアがムキになって主張してくる。


「実際戦争になったら損得を基準にものを考えないと、結果として多くの命を失うことになるわ! それに戦争でなくとも損得が多くの人の命に関わることだってあるはずよ! 国家間の話ともなったらそれこそ――」


 イシュアの手を両手で握り、優しく笑いかける。


「わかってるわ、イシュア。それでも、私は見つけたいの。たとえ損をする選択であったとしても、みんなで幸せになる方法を」

「……っ。理想論よ……っ、そんなの」


 そう言われてしまい、苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 実際これまでのことを振り返ると、リナは何も反論できない。

 

 シュジュベルでリナは結局レイナを斬るという選択肢を選んでしまった。

 ミコトが身代わりとなったからこそ、あの場はすべてをうまくおさめることができたものの、そうでなければレイナの命はなかったであろう。

 それに、レレムでもリナは選ぶことすらできなかった。

 リュッカとレレムの街を天秤に、リナは選択をすることができず、結局はリュッカが自らを犠牲にしてレレムを守ることとなった。


 イシュアに理想論だと罵られても、何も言い返すことができない。

 立ち上がって彼女に手を差し伸べる。


「さっ、リーリアさんを探しに行きましょう?」

「はぁ……。言っとくけど、仲間と合流したらあなたと敵対するかもしれないからね」

「いいわ。けど、あんまり酷いことしたらお漏らししたことばらすからねっ」

「っ! まったく忌々しい魔族ねっ!」

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