4 魔獣ベエマス
鬱蒼と茂る道なき道をゆっくりと進みながら、背後を歩く彼女へと気を払う。
足は治療こそできているものの、彼女は体力を消耗してしまっており、その足取りは重い。
手を取ろうかと差し出しては見たものの、イシュアは無視して杖のみを頼りに歩を進めていたのである。
「カナトさん、いっつもあんな感じなの?」
そんな風に問いかけるも、イシュアはゴキブリの散歩でもしているかのような視線しか送って来ない。
「少しくらい教えてくれたっていいじゃない」
「はぁ……。私、あなたと馴れ合う気ないんだけど」
「馴れ合いじゃないよ。情報交換? ってやつ?」
「どっちでも一緒よ。まったくもう。…………普段はあそこまで突っかかってはこないわ」
大変面倒くさそうにしながら、それでもイシュアは話をしてくれるようだ。
「そうなんだ?」
「あなたのこととなるとやけにムキになるわ、カナトって。そう言えば聞いたわよ。あなた勇者選定を受けてたんですってね」
鼻で笑われてしまう。
「受かるわけないじゃない。魔族のあなたが」
「べ、べつにいいじゃんよ。私だって勉強頑張ったんだからっ」
「そういう意味じゃない。カナトから聞かなかったの? あそこは派閥争いの中心地よ。魔族じゃなくとも、毎年たまーにいるのよ。それを一切わかってないで受験してくる平民の実力者が」
「実力は関係ないの? その割にはイシュアも強く見えるけど」
「もちろん実力は絶対に必要よ。ただ実力があるっていうのは前提みたいな感じかな。それより家柄とかどこの派閥に所属しているとか、財力がどれ程あるとかの方が大切になるわ」
「私には入る余地がなかったってわけね」
「魔族という段階で問題外ね」
やっぱりかぁ、なんてちょっとだけ落ち込んでしまう。
「慰めのつもりで言うわけじゃないけど、あんな試験、受けるべきじゃないわよ。本当に人の醜さが詰まった試験だもの」
「そうなの?」
「あたしとレドルとシュナは養子組よ。親同士で勝手に子どもの家を決めて、子どもを道具みたいに扱う。それが勇者選定ってやつよ。まあ、私の場合はちょっと特殊だけど」
文句を言うように、ブツブツとイシュアは述べていく。
「特殊なの?」
「ええ。売られたんじゃなくて捨てられたの。実父に捨てられて、実母に捨てられて、どうしようもなくなったから、自分を買えってお
「捨て、られた……?」
想像もしていなかったイシュアの発言に顔をしかめてしまう。
「そうよ。最初は実父に捨てられたの。お前は実力がないからうちには要らないって。けど母親一人で子どもを養うなんて無理よ。人族は男尊女卑社会だもの。その点、魔族は進んでるわよね。比較的女性が社会進出してる」
「それは……、辛い思いをしたんだね」
「やめてよ、同情なんてしないで。……おまけに買った側は絶対に受からせたいもんだから、子どもを殺す勢いで育てて来るの。とくに私は剣がダメだったから、辛かったわ」
以前レレムの山で霊剣ズィルカを扱っている彼女を見た時、たしかに彼女は剣が得意のようには見えなかった。
「得意不得意で役割を分けてるんじゃないの?」
「もちろんそうよ。でも全員が全役割をできるよう訓練させられるの。私のミルガルト家はとくに武官の家だったから厳しかったわ。知ってると思うけど今回来ているトルスペイア家とは双角をなしてる」
トルスペイア家とミルガルト家と言えば有名な大貴族だ。
「はぁ……。それにしても、私はなんであなたにこんなことを話しているのかしらね。まったく」
「ふふっ。私があなたたちの情報収集をしてるかもよ?」
ふざけてそんなことを言ってみる。
「安心していいわ。どの情報も少し調べればわかるものだもの」
これに二人して鼻で笑うのだった。
またもルノ川の支流へと到着する。
跳躍魔法でギリギリ飛び越えられそうな河川沿いを下流へと進み、リーリアが逃げて行ったと思われる方向を目指して、さらに数刻ほど移動しただろうか。
もうすぐ夜に差し掛かろうというとき、リナはその鳴き声を聞いた。
ギェェェェ!!
二人して一瞬で顔つきが変わる。
今の咆哮は先に聞いたベエマスのものと酷似していた。
おまけに戦闘音と思しき魔法を行使する音までこちらに聞こえてきている。
イシュアと視線を交わして、念のため確認しておく。
「一緒に戦ってくれる?」
「今だけよ。さっきも言ったけど、あなたとは馴れ合わない」
その言葉に頷いて、二人して音のする方へと駆けていった。
イシュアの足もだいぶ回復しているので、戦う分には問題ないであろう。
近付けば近づくほどに、爆発系の魔法が行使されている音とベエマスが巨体を振るって木々をなぎ倒して行く音量が増していく。
ややもすると、その姿が顕わになった。
小山のように巨大なその体には鋭い棘が幾重にも生え、爪の鋭さはあの鵺をも凌ぐ。
口からは黒き炎が漏れ出ており、牙は岩をも砕くであろう。
黒色の皮膚を持つその四足獣は――
「――ベエマス」
そちら側へ走り込んでいくと、満身創痍となっているリーリアさんと、その奥の方で亜人たちを必死に守りながら魔法を行使するサラの姿があった。
亜人たちの中にはクーティカさんたちの姿もある。
懸念はしていたが、やはり巻き込まれていたか。
サラたちと別れてから、ベエマス出現まではそう時間が経っていない。
位置的にも襲われる可能性は十分にあり得ることだ。
「リーリア! 【フリーズクラスター】」
「イシュ、ア……」
槍を杖代わりにギリギリ立つことのできていたリーリアさんはイシュアの姿を見るや倒れてしまう。
ベエマスにやられた傷が体中にあり、そこからは結晶が生えていた。
「リナ様、彼女はわたくしが治療します!」
サラの悲鳴に近い声を聞きながら、イシュアと共にベエマスへと相対する。
こいつはこれまで戦ってきたやつらとは比べ物にならないレベルの魔物だ。
鵺を高機動の
皮膚は分厚く硬い。
リナお得意のフォトンセイバーで斬りつけても、奴の体格からすれば擦り傷が一つ増えた程度にしかならない。
「私が前衛をやるわ、イシュアは火力で叩いて!」
「ちょっと、なんであなたが仕切るのよ!」
イシュアが文句を言ってくるも、今は言い合いをしている場合じゃない。
「剣が使えないんでしょう! この分担しかないわ! 【フリーズスピア】」
氷槍を飛ばしながら、飛んでくる巨大な腕をギリギリに回避していく。
「引き付けるから、大火力で押して行って。体格が大きいから小出しの魔法じゃ効果が薄いわ」
指示を飛ばしながら、土砂崩れのごとく押し寄せるベエマスの突進を腹下からくぐり抜けていく。
「あなたに言われなくとも!」
ベエマスはその巨体を生かした肉体攻撃が脅威ではあるものの、氷魔法が有効であることが知られている。
ただ、この魔獣を討伐する場合は、通常五百人規模の大隊を用意して、一斉に氷魔法で攻撃するという戦法を取る。
今は戦闘員がたった二名しかいないので、有効という言葉がどれほど信憑性を持つかは甚だ疑問だ。
リナはとにかく攻撃を引き付けながら、回避の際に光剣で斬りつけるというスタイルで傷を与えていく。
ベエマスの体長は人の二十倍ほど。
あと何回この傷を与えれば相手を倒せるかと思うと、気の遠くなる話だ。
対するベエマスは突進の一つでも掠らせられればリナたちに重傷を負わせられる。
どちらが優位であるかなんて言うまでもない。
「振環冷凍魔法【フリーズ・ディ・レゾナンス】」
イシュアの空間冷凍により巨体が凍てつくも、痛痒の声一つ上げていない。
本当にこちらの攻撃は効いているのであろうか。
ベエマスは魔法を振るうイシュアの方へと視線を向けるが、よそ見をしている間に――、
「【パワーインパクト】」
強攻撃で頬を殴り飛ばしていく。
「よそ見なんて余裕ね。あなたの敵は私よっ!」
怒りマークの乗った前足を避けて行きながら、光剣を振り回して、とにかく注意を逸らしていく。
イシュアはあまり近接戦闘が得意には見えない。
ならば、可能な限りリナが引き付けるべきと言えよう。
「振環冷凍魔法【フリーズ・ディ・レゾナンス】」
再び空間冷凍がベエマスへと直撃。
威力は十分な魔法であるため、これを続けられればいつかは勝てる。
なんて思っていたのに、ベエマスが――
消えた。
「ぇ……?」
次の瞬間目に映り込んだのは、どこからともなく現れたベエマスの巨体にイシュアが撥ねられ、だらりと地面に横たわる姿であった。
「イシュア!」
叫ぶも返答はなく、頭部から血が流れている。
「くそっ!」
何が起こったのかわからず頭を整理させながら、ベエマスへと再び剣を向ける。
対する奴は、ようやく一匹目の邪魔なコバエを叩き潰せたと言わんばかりに表情を緩め、残り一匹をどう殺したものかと舐めるように見てきていた。
さっきの攻撃は一体なんなのであろうか。
光学系の魔法で姿を消した? いや、それはおかしい。
光学魔法は居場所を誤認させる程度のことはできるが、どれだけ光を捻じ曲げても姿そのものを消すことはできない。
そもそも、位置誤認ならば収差演算ですぐにわかる。
だがその収差演算からは、やつの姿そのものが消えてしまったかのようであった。
つまりは、
「空間転移魔法……っ! あの巨体を!?」
ギェェェェ!
考えている間にも、ベエマスの巨体が再び迫る。
光剣で斬り裂いていくも、今後の方針が立たない。
このまま戦い続けたところでリナは有効打を打つことができないまま時間とともに消耗してしまうであろう。
大魔法を放つ猶予が与えられればそれも覆せるが、ベエマスがそこまでの隙を見せてくれるとも思えない。
「くっ、どうすれば……」
何度も何度も奴とぶつかって、ギリギリの回避を繰り返していく。
サラの様子を観察するも彼女は亜人たちを守るのに必死だ。
再び尻尾が降り注いで、紙一重にこれを何とか避ける。
だが、避けられ続けたことを忌々しく思ったのか、ベエマスは血だらけに倒れるイシュアへと視線を送った。
酷い傷を負ってはいるものの、彼女はまだ死んでいない。
「……っ!? やめろっぉ!」
先と同じようにベエマスを急襲したのだが――、
その動きは、やつに読まれていた。
再び奴の姿が消えたと思ったら、
気付いたときには、リナは地面へと寝転がっていた。
――あれ……? やられた?
遅れて痛みがやってくる。
防御魔法は全て破られており、背中に濡れた感触があるのは、たぶん出血しているからであろう。
上体を起こそうとしたのだが、体が上手くうごいてくれない。
目の端で仲間たちを確認していく。
イシュアは先の状態と変わらず、リーリアさんも戦闘不能のまま。
この中でまだ動けるのはサラと亜人たちだが、そもそも彼らは民間人であって戦闘員ではない。
――ダメだ。このままじゃ……全滅する。
サラの方を見ると、何か必死に魔法を組み上げているところだった。
亜人たちを守るための防御魔法だろうが、それとて限界はあろう。
ここで倒れたら、サラと後ろにいる亜人たちはどうなるんだ。
イシュアやリーリアさんは?
全員関係な人たちだ。
少し話したことがある程度で、別に友達なわけでも、ましてや大切な人というわけでもない。
けど――。
瞳に炎を宿していく。
――勇者に、なるんでしょう?
悲鳴を上げる身体を引き起こし、ぼたぼたと垂れていく自分の血なんて無視して、光剣を創り出す。
「そうだ……。私は、勇者に、なるんだ。みんなを、……っ、守って。みんなを、助けて……っ。はぁ、……はぁ」
全神経が解放されて行き、収差演算がすべての空間を支配していく。
ぱっくりと割れた傷口があったはずなのに、全身を魔法が覆っていき、立っているような、浮いているような、自分の状態がよくわからなくなっていく。
この感覚には覚えがある。
たしか……、レレムの山で鵺と戦ったときだ。
あのときはカナトさんが死にそうになってて、
とにかく必死で、
鵺を殺すことに集中してて……。
不思議な感覚に包まれるリナに、どこからともなく声が聞こえて来た気がした。
頑張れ。
負けるな、と。
どこかで聞いたことのある少女の声にリナは懐かしさを覚えてしまう。
「わたしが、みんなを……っ。絶対に――」
身体中に魔力が満ちていき、重く動かなかったはずの体に息吹が巡る。
そして、殺意の眼差しでベエマスを射抜いた。
「――負けないっ! 【フォトンブレイバー】!!」
フォトンセイバーの五倍丈の光剣。
構わず突進してくるベエマスにリナも【アクセルバースト】で突っ込む。
勝負は一瞬。
瞬く間もなく終わりを迎える刺し違えに、全神経を集中させる。
するとなぜだか、
『未来だよ』
という声とともにリナは
未来を見た。
急停止、旋回、右パンチ、左振り下ろしのフェイント、最後に尻尾。
なぜその光景が見えたのかも、なぜこれが未来だと認識できたのかもわからないが、直感で分かった。
奴はその通りに動く、と。
ぶつかり合う瞬間、リナは剣を振らなかった。
思った通りベエマスは急停止。
ここで剣を振っていたら浅い切り傷しか与えられなかった。
次に急旋回からの右前足パンチ。
これは回って回避する。
続けての振り下ろし。
普段のリナなら、合わせて切り払いに行っていたであろう。
相手がフェイントの場合のみ負けが見える攻撃に、リナは、
あえて、合わせた切り払いを入れるのだった。
ニヒルに笑う奴の表情は勝ちを確信したからであろうか。
右前足は降りてくることなく、尻尾が――。
払った瞬間、ベエマスは終わったとばかりに余裕の表情を浮かべていた。
だが次の瞬間――、
血の噴水が湧き上がる。
あまりの事態にベエマスが混乱を極めた。
棘だらけの尻尾で払ったはずの奴が、自身の身体を一刀両断にしていたからだ。
ベエマスの臓物が外側へだらりと落ちてくる。
痛みは感じているであろうに、ベエマスは声を発することすらできなくなり、巨体は崩れ落ちて、轟音を響かせながらその場に倒れるのであった。
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