2-2 私の一番なりたいもの

 ディルメイア孤児院に行くに当たって、かなり治安の悪い通りを進まなければならなかったが、リナにはあまり問題とならなかった。

 道中何度かガラの悪い連中に絡まれはしたが、リナの相手になるようなレベルの者はいない。

 少々痛い目にあわせるだけで、奴らは尻尾を巻いったのである。


 目的地となる孤児院は、外見だけでも非常に違和感のあるものであった。

 これだけ治安の悪い場所なのに、この孤児院だけはやけに小綺麗である。

 まるで、この場所にだけは絶対に手を出してはならないと周知されているかのようだ。

 

 おまけに孤児院なのに庭で子どもが一人も遊んでいない。

 たまたま部屋遊びの時間なのかもしれないが、この庭はどちらかと言うと、普段から子どもが遊んでいない場所のように見える。

 

 雑草は人に踏まれた形跡もなく伸び放題となっているし、片付け忘れのおもちゃの一つも転がっていない。


 鉄格子の門には施錠がなされており、代わりに魔導ベルが置かれていたためそれを鳴らす。

 昔は扉をノックすることで訪問を知らせていたらしいのだが、魔法技術の発展でそういった風習はなくなりつつある。


 しばらく待ってみるが応答がない。

 恐らくだが居留守であろう。

 奴隷の保管場所であるのならある意味納得の対応だ。


 やむを得ずリナはわざと建物から離れた風を装って、そのあと窓の少ない北側へと回り込み敷地内へと忍び込む。

 背の高い鉄の柵に覆われている施設ではあるが、正規兵のリナからすると魔法を使えばひょいと飛び越えられる高さだ。

 

 完全に音を消してくれるわけではないが、いちおう消音魔法をかけて空いている窓から内部へと侵入していく。


 中は静かなもので、まるで人っ子一人いないかのよう。

 用心しながら静かに廊下を進んでいく。


 もし奴隷をこの建物に捕らえておくとすればどこが適切であろうか。

 一階は逃げられるリスクがあるから論外。

 二階も窓越しに外から見えてしまうので、あまり賢い選択とは言えない。

 となると――。


 リナは孤児院一階の部屋を一つ一つ覗いていくことにする。

 誰かと遭遇する可能性があるため非常にリスクの高い行為ではあるが、部屋を見ないことには判断がつかない。

 そうしていると、四つ目の部屋でようやくそれと思しき場所に出た。

 

 背の高い本棚が一つ置かれているだけで、何の目的に使われているのかわからない部屋。

 しばらくその部屋を眺めた後、本棚を魔法補助で持ち上げてずらす。

 するとそこには、リナが予想していた通り地下へと続く階段があった。


 地上に保管リスクがあるのであれば地下に置くのが最も合理的と言えよう。

 相手が合理的行動を取るがゆえにリナは読みを効かせることができる。


 狭い階段を潜り抜けた先は石で囲まれた牢獄のような場所であった。

 その最奥部の檻の中には一人の少女の姿。


「ミコト!」


 見つかってしまう可能性もあるだろうに、リナは声をあげてしまう。

 走って彼女の方に駆け寄るも、ミコトは相変わらず木で鼻を括ったような態度だった。


「はぁ……。なんでてめぇは来ちまうんだよ。昨日のあの状況がどういうことかわかってんだろ?」


 この言葉で、やはりミコトは全てを承知だったのかと理解する。


「ええ、もちろんわかっているわ」


 リナは苦しいながらも言葉を続ける。


「それでも、このままってわけにはいかないから」

「大切なもんを失うことになんぞ?」

「ミコト。あなたはやっぱりレイナのことを以前から知っていたのね」

 

 その言葉にミコトが目を丸くする。


「……そこまで気付いてんのか。だから言っただろう。『大けがする』って」


 ――違う、だからこそなんだ。


 ミコトは自分を奴隷に戻すようしきりに言っていた。

 最初は自分の未来を諦めたことによる発言だと思っていた。

 でも違う。

 彼女はリナとレイナが決別するのを防ごうとしてくれていたんだ。

 彼女とは昨日出会っただけの何の関係もない赤の他人。

 なのに、自身が奴隷に逆戻りするなんか気にせず、リナたちの間柄を身を挺して守ろうとしてくれている。


 そんな彼女こそ、まさに勇者と呼ぶべき存在なのではないだろうか。


 対する私はどうだ、とリナは自身に問いかける。


 ――まだ間に合う。今ならやり直せる。


 目を落としながら、それでも胸に手を当てる。


「大けがしなきゃ、私は前に進めないの」

「友人を失ってもか?」

「……失いたくはない」


 じゃあ、とミコトは十歳とは思えないような態度で述べる。


「だったら前に進むな。必ずしも前進しなくたっていいだろ。大切な者を守りてぇっつうのは誰しもが持つ想いだ。そのためには時として罪に目をつぶることだってあんだろ」


 非情な言葉がリナに突きつけられる。


「ええ。そうかもしれない。でもそれじゃあダメなの。レイナとはちゃんと向き合って、彼女の心に呼びかけないといけない」

「答えてくれねぇかもしんねぇぞ」


 いいえ、としゃがんで鉄格子越しに彼女と目線を合わせる。


「必ず答えてくれるわ。だって私の大好きな親友だもの」


 ミコトには依然として無を体現した瞳。


「それはてめぇの願望だ。現実はそんなに甘くない」

「わかってる。想いがすれ違うことだってある。それでも、信じないと前には進めない」

「いくら信じても前に進めねぇときだってある。世界は物語のようにはできていねぇ。信じていればいつかは幸せになるなんつーのは夢物語だ。その夢は時として親友を殺すだろうよ。てめぇはそれを覚悟できてんのか?」


 どこまでも現実を突きつけてくる彼女に、それでもとリナは自身の手を見つめる。


 そこにある自分にとって一番大切なものを優しく包み、



「……私ね。勇者になりたいの。人族が擁立している勇者じゃなくて、文字通りの勇者に」



 それを胸の中へと大切に納める。


「たしかに自分の事だけを考えてもいい。人はみんな弱いからそうやって生きているし、私だってそうよ。でもね、それに甘んじてはならないという心だけは忘れちゃいけない。現実は辛くて厳しくて、そこから逃げたくなる時もあるけど、それでも私はそれを彼女に示したい。たとえ命を賭けることになっても」

「命を賭けても届かなかったら?」

「それでも戦う。届かないとわかっていても、私は立ち向かわなければならないの」



 それが私の――勇者だから。



「……そうか」


 諦めと、それとは相反するような希望の両者を織り交ぜたようなため息は、彼女の中にある何かを決意させたように見えた。

 ミコトがリナを睨むのをやめる。


「てめぇも馬鹿なんだな」

「ええ。あなたのようにね」


 この言葉に、ミコトは初めてほんのわずかに微笑んでくれる。


「さ、行くわよ」


 そう言ってフォトンセイバーを作り出すも。


「待て、あーしは置いて行け」

「できないわ。あなたのことは今度こそ絶対に守る」

「話を最後まで聞け。てめぇはまだ見つかってねぇんだろ? 事起こすんなら一斉に起こした方がいい。それまであーしは捕まったふりをしておく方が得策だ。もしここであーしの脱走がバレれば行動しにくくなる」

「でもそれじゃあミコトが危険だわ」

「探査魔法の魔法陣を出せ」

「どうして今そんなことを?」

「いいから出せ」


 眉を寄せながら、とりあえず彼女に従い魔法陣を出す。


「ふっ。ずいぶんカスタマイズされてんな。まあいい。ここと、ここんとこを四十八卦に書き換えて、こっちをレンデロ型に書き換えろ。そんであーしにそれを付けておけ」


 ――四十八卦? レンデロ型?


 一瞬何のことを言っているのかわからなかったが、変更後の魔法陣を頭の中に描くことで、それが自身でカスタマイズしてきたものよりも完成度の高いものであることを理解する。


「これって……」

「早くしろ。いつ見つかるかもわかんねぇ」


 とりあえず魔法をミコトに発動させる。

 これならば解除魔法を使われても無意味であろうが、ミコトはなぜそんなことを知っているのだろうか。

 リナは奇妙な生き物を見るような目で彼女を見つめてしまう。


「あなた、何者?」


 ミコトはそれを無視して、


「これで万が一あーしが移送されても、てめぇが見つけてくれる」


 ミコトがさらに奇妙なことを言ってくる。

 昨日の彼女であれば、二言目には自分をほおっておけだのなんだのと言っていたのに、リナに『見つけてもらう』つもりのようだ。


「私の事、信じてくれるの?」


 その問いかけに、なおもミコトは答えてくれない。

 代わりにこんなことを言ってくるのだった。


「人は弱い生き物だ。それは誰にも変えられない。でもな。だからって諦めきれねぇ気持ちはあーしにもわかるよ」


 鋭い瞳をリナへと向ける。


「いけ! てめぇの戦いを戦え。リナ!」


 彼女の言葉に突き動かされて、リナは動き出した。

 ミコトのことは気がかりだったが、それ以上に彼女を信じることができたからだ。



 そして、初めて呼んでもらえた自分の名前には温かみが籠っていた。

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