1-3 正義と弱さ
やって来た警備隊の数は小隊規模、おおよそ三十名。
あっという間にリナたちは包囲されてしまい、小隊長と思しき人物が顔を表す。
昨日のスナクは白黒の判別に時間を要したが、この人族は実にわかりやすい表情であった。
蔑んだ目と嘲笑の浮かぶその顔には、明確にこちらを子馬鹿にした色が見えている。
警備隊の連中はそのまま抜刀して、剣をリナたちへと向けてきた。
こちらが武器を手にしているわけでも、逃げる素振りをしているわけでもなしに、この行為は非礼極まるものと言えよう。
「貴様がリナ・レーベラだな。奴隷売買の容疑で即刻死刑を宣告する」
「奴隷売買? 何を根拠に!」
警備員の一人が少女を手荒に引っ張り出す。
ミコトだった。
「この者を売買しようとしていたな。貴様らが出入りする詰所にいるところを保護した」
手足こそ縛られていないものの、口を塞がれ逃げられないようにしっかりと警備隊がその細い腕を掴んでいる。
どう見ても保護ではなく拘束だ。
「なっ! 今すぐミコトを放しなさい! どう見ても保護じゃないじゃない!」
「罪人と交わす言葉はない! 隊列構え!」
そう言って隊長と思われる者は邪悪に笑みながら腕を掲げて合図を送る。
それだけで囲んできている警備隊たちが剣先をリナたちへと突きつけてきた。
――どうする。
このままだと対話をする間もなく戦闘に突入してしまう。
逃げる? ミコトを確保して強行突破? その後の影響は?
現状に対する考察を瞬時に頭の中で演算するのだが、いずれの選択肢も何かしらの問題が生じてしまう。
場合によってはカナルカとシュジュベルとの関係を壊しかねないことに冷や汗が増すばかりだ。
もう待ってはくれない。
相手小隊長がその腕を――
「待って」
レイナの声が周囲に響く。
彼女の手にはリナが見たこともないようなブローチが握られており、小隊長へ良く見えるように掲げていた。
彼女の瞳がリナを見てくる。
悲哀色。
瞬時に意味を理解し、リナは思わず首を振ってしまう。
彼女がそんな色を見せることは滅多にない。
彼女は恐らく、リナが望まないことをしようとしている。
思考の時間すら与えてくれずレイナは動き出した。
「その子は昨日、偶然我々が保護した子どもです。少々手違いがありまして、ちょうどそちらへと届けようとしていたところです」
相手小隊長がレイナを睨む。
「なぜ一日遅くなった?」
「本日、市長のザクリアさんとの面談を予定しておりまして、届け出る時間がありませんでした」
「だが、身元不確かな少女を連れ回したのであろう? このまま返すわけにもいかないな」
「我々は他国の者です。本件にはこれ以上関わるつもりはありませんし、その義理もありません。逆に、他国の者を謂れなき罪で処罰した場合、責めを負うのはザクリアさんとなりましょうが、それでもよろしいですか?」
レイナとは思えないようにスラスラと出てくる言葉。
まるでこの文言を言えばこの場を逃れることができると知っているかのようだ。
……いや、実際そうなのであろう。
それがわかってしまうだけに、リナの心は台風のように荒れ狂っていた。
レイナはつまり……そういうことだったのだ。
男はレイナをしばらく睨みつけたあと、忌々しそうに舌打ちをして、掲げていた手をゆっくりと降ろす。
すると、兵士たちは一斉に剣を鞘へと納め、その場を立ち去っていくのだった。
ミコトを連れて。
「まち……!」
リナが叫ぼうとしたところでレイナが抱きつき口を塞ぐ。
「お願い。お願いだから今は我慢して。お願いよ、リナ」
「でも、ミコトが!」
警備隊たちは、言い合うリナたちを無視してその場を離れていく。
「今ここで彼らと一戦交えるの?! そんなことをしたらその後どうなるのかわかっているの?!」
それがわかっているからこそ、リナは歯を食いしばる。
恐らくこの警備隊は昨日出会ったスナクたちとは違って、奴隷が見つかってしまったときに対応するための部隊であろう。
正規の手続きで抗議してもよいが、その場合は捏造された証拠で対抗されるに違いない。そうなればミコトが解放される未来は訪れない。
「人一人の人生がかかっているのよ!」
「あたしにとってはあなたの命の方が大事なのよ!」
必死にそう言ってくるレイナをリナは睨みつけてしまう。
警備隊の者たちはすでに通りの向こうにまで行ってしまっている。
彼ら追いかけることもできなくはないが、それよりもレイナを問いただしておかなければならない。
手が震える。
手だけじゃない。
横隔膜がうまく動かなくて、塗炭の苦しみを味わう。
「レイナ……いくつか聞きたいことがあるわ」
聞きたくない。
それでも、聞かなければならない。
「そのブローチはなに?」
彼女がこんなブローチを付けているところなど見たことがない。
リナとレイナは互いがどんなアクセサリーを持っているかをほぼ全部言い当てることができる。
それくらいに二人は仲が良いのだ。
――それくらいに、仲が良いはずなんだ。
レイナは黙って俯いたまま。
自分が酷い顔をしているのは鏡を見なくともわかる。
答えようとしないレイナを見て、リナは質問を変える。
「あなたザクリアさんと会ったときに一度も名を名乗ってないわよね?」
市長との面談でわかった二つ目の気がかりで知りたくなかった情報。
それは――。
「なのにどうしてザクリアさんはレイナの名を知っていたの? それに、あなたは大嫌いな人族を名前で呼んだりしない。なんでさっきザクリアさんのことをさんまでつけて呼んでいたの?」
警備隊が過ぎ去った通り。
友人同士で買い物に繰り出す市民たちの声や、スキップの足音が聞こえる中、聞こえてくることのない親友の返答にリナは耳を傾けるばかり。
この街に入って、最初からおかしいと思っていた。
シュジュベルは人口の六割が人族だ。
人間を見ることすら嫌がるレイナがなぜこの都市を何度も訪れていたのか。
シーア大森林で部隊を任せたはずのレイナが、なぜリナを追いかけてきたのか。
奴隷売買に関する情報が出てくるたびに、なぜレイナは癖となる髪いじりをしていたのか。
彼女が髪をいじるとき。
それは、嘘をついているとき。
そして、彼女はカナルカ軍の輸出入管理担当メンバー。
たぶん、彼女が――。
「レイナ、答えて」
声が震えてしまう。
この答えを聞いてしまったら、その後自分はどうするんだろうか。
彼女をどうしなければならないんだろうか。
いつもなら見通しを持って行動するリナだが、このときだけは行く末から目を背けたくて仕方がなかった。
なのに、頭の中では最悪の事態を想定してしまっており、それを口にするのが怖くて次の言葉が喉から出てこようとしない。
やがて、レイナが息を吐き出し、すべてを諦めたように言葉を紡いできた。
もう耳を塞ぎたくて仕方がない。
「はぁーあ……。ここまで、か。リナとは親友のままでいたかったな」
――過去形……。
人生の最後に発される言葉かのごとく、レイナの表情は清々しいものだった。
そんな顔、見たくない。
「ねぇリナ。私のこと見逃してくれない? そしたらまだ親友……は難しくても、友達ではいられるかもよ」
正義感溢れるリナを良く知るくせに、そんなこと毛ほども思っていないであろう。
リナは無言で首を横に振る。
その長い髪をしならせながら。
「じゃあ、どうする? 逮捕? それとも、ここで死刑? まあ、リナに殺されるんならそれもまたいいかな。あたしは悪人だもん。パパとママを殺されてしまった日から、あたしの時間はずっと止まったまま。あそこであたしの人生は閉じちゃったんだ。だから殺されても別にいいやって思える」
「いいわけない!」
通りを行きかう多くの人たちの視線すら入って来ない。
そんなことよりも、目の前にいる金髪の少女がいつまでも自分に視線を合わせてくれないことの方がよっぽど心に響く。
「レイナこの前言ってたわよね。人族は嫌いだけど、それよりも私の事の方が好きだって。今でもそう?」
希望を込めたその言葉に、彼女は背を向けてしまう。
「ねぇ、レイナ。もうやめよう? 私が弁護するからさ。今ならまだ間に合うよ。なんとか死刑は免れられるかもしれない。ほら、私って魔王って思われてるでしょ? みんなを騙すことになるかもしれないけど、その力であなたのことを……」
「ダメよ」
空を切り裂くような断言がレイナから聞こえてくる。
「リナは強くて、気高くて、天才で、正義感が強くて、人のために一生懸命に頑張る善人。対するあたしは馬鹿で、弱くて、過去の遺恨にずっと囚われていて、人族を売ることでその恨みを晴らし続けてきた、ただの悪人。悪人のために善人のリナが嘘なんてついちゃダメだよ」
震える声でそんなことを。
その足が背を向けたまま動き出してしまう。
「……あたし、行くね? リナがどうしようと文句を言わないわ。後ろから捕まえてこようとも、後ろから刺してこようとも。まあ、たぶんリナの事だから今は落ち込んじゃうと思うんだけど、ちゃんと覚悟が決まったら――」
儚い笑みをこちらへ向ける。
「あたしのこと、ちゃんと捕まえてね。あたしの大好きなリナ」
そのままレイナはゆっくりと歩いて行ってしまった。
その背中がどうしようもなく遠くに感じてしまい、必死に手を伸ばすのに空を掴むばかり。
胸が痛んで止まないのは、親友の悪事を知ってしまったからか。
それとも親友がどこか遠くへ行ってしまったからか。
あるいは自分の正義を信じられなくなってしまったからか。
正義を口にしながら、自分は親友の悪には手を出すことができずにいる。
結局そんな薄っぺらいものだったんだろう。
誰かのための人助け。
レイナのための人助け。
ミコトのための人助け。
そう口先で謳っておきながら、その実は弱さで溢れている。
一時は勇者になりたいと願った想いも、結局のところただの自己中心的な我儘に過ぎなかったのかもしれない。
考えれば考えるほどにそれを自覚してしまい、リナはその場で膝から崩れ落ち、嗚咽することしかできなかった。
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