1-2 レイナの想い
市長官邸を出た後、リナは得られた情報をどう調理したものかと熟考していた。
今回得られた情報は二つ。
一つは難しいけど知りたかった情報。
もう一つはモヤモヤとする知りたくなかった情報。
まず一つ目の方は――。
「どう? リナのことだから、市長が奴隷売買に関わっているって疑っているんじゃないの? なにか隠してそうだった?」
さっそく隣にいる金髪の美少女からいつものごとく質問が飛んでくるが、何か普段と雰囲気が違う。
快活さがなく慎重な様子だ。
「そうね……。可能性として考えてはいたけど、薄いと思ってるわ。もし奴隷売買を今後も続けたいのなら魔族との関係は保ちたいはずよ。さっきみたいな挑発のオンパレードにはならないと思う」
人族嫌いのレイナがよく耐えられたものだ。
彼女の方を見てみると、なるほどねぇ、と言いながら自身の長髪をいじっている。
――また髪いじってる。そう言えば、レイナが髪をいじるのってどんなときだっけ。
茫然とそんなことを思いながら、市長に関してはもう一つの可能性を考えてしまう。
ザクリアの挙動は明らかに魔族との関係悪化を狙ったものであった。
もし彼が奴隷売買で何かしらの利益を得ているのであれば、この挙動は明らかに逆行するものと言える。
カナルカとの交易関係が切れてしまえば、必然的に奴隷売買も不可能となってしまうからだ。
だが、もしザクリアの動きが奴隷売買とは関係なく、そのままの意味だったらどうであろうか。
そのときは奴隷売買以上の問題が背景にあることになってしまう。
すなわち、シュジュベルが魔族との関係を清算し、人族に転属するという動きだ。
この場合、魔族たちは直ちにシュジュベルと戦果を交える必要が出てくる。
この都市は魔族領土に食い込む形で都市が存在し、人族側に寝返ってしまった場合、攻撃の橋頭堡としてこの上ない要所となってしまう。
そのため、安全保障上の観点から魔族はすぐさまここを占領する必要性が出てくるのだ。
一方で、城塞上にあった防衛兵器を見るに、この都市が多少の犠牲で攻略できる見込みは皆無であり。
奴隷問題と並行してこれに対処していくのは大変であろうが、当事者として蔑ろにするわけにはいかない。
「そしたらどうしよっか。またあの熊人の動きを追う?」
「そうね……。まずは詰所でミコトと合流して、そのあと動きを追おっか」
ミコトと、という言葉を出すや、レイナが固まってしまう。
そこには明確に負の感情が込められており、地面へと移されたその瞳には鬱屈とした色が浮かべられていた。
そんな彼女の挙動に訂正を入れるか迷ってしまうが、レイナならきっとわかってくる、と心の中に希望を持ってしまう。
「……リナ、まだあの子を連れていくの?」
明かに棘のある声色。
「ええ。詰所に置いておくのじゃ不安だわ。何かあったときに対応できない」
「詰所ってそんなに危険なところ? 他の隊員もいるじゃん」
「いるけど部屋が違うし常に目を光らせているわけでもないわ」
レイナがその手を握りしめる。
「リナはなんでそうまでしてあの子を守りたいの? 人族だよ?」
最後の一言に、リナも自然と視線が彼女から地面へと落ちてしまい。
「種族は関係ないよ。彼女を助けたいと思ったの」
親友同士なのに、まるで今日はじめて出会った赤の他人同士のようなトーンの会話。
「理由は?」
理由なんてそんなの――。
「人を助けるのに理由なんてない」
「ええ。リナがそういう人だってことはよく知ってる。でも今回は違うでしょう?」
……違う?
「どういうこと?」
思わず彼女を見る。
「あの子は助けてなんて一言も言っていない。それどころか助けなくていいって素振りをずっと続けている。なのにどうしてリナはそれに手を貸そうとするの?」
「あの子の境遇が可哀そうだと思ったからよ」
「リナはあの子の何を知っているの」
それは――。
…………。
何も知らない。
勝手に自分で想像しているだけだ。
彼女の口から聞けている情報は、名前と死なないと言うことだけだ。
「で、でも助けてなんて言われなくたって私は――」
「そうじゃない!」
レイナには似つかわしくない怒鳴り声に心臓を掴まれたような思いをしてしまう。
「あたしが聞きたいのは、リナが本心からそれだけの理由であの子を連れているのかってことよ」
ぞわりとする息苦しさを背中に感じながら、必死に回答していく。
「本心? 本心に決まっているじゃん。だってあの子は……」
「嘘よ!」
レイナの声が通りに響く。
リナの両肩を持っておおよそ普段のレイナには見られないような悲哀の表情で迫ってきた。
「リナ、お願いだから正直に答えて。あなたは本当に可愛そうだからあの人族を助けているの?」
「そ、そんなの――」
「人族だから、彼女を助けているんじゃないの?」
人族、だから……?
疑問がいくつも頭の中に湧き出る。
「人族って、どういうこと?」
レイナはリナの元を離れ後ろを向いてしまう。
その背中は、これを言ってしまうか酷く迷っているものかのように見えた。
言ってしまったらもう後には戻れない。
そんな覆水のようなものを胸の奥の奥に大事にしまって隠しているかのよう。
だからこそ、彼女の口が開かれるのをリナは恐れていた。
凶悪な魔物や横暴を繰り返す権力者などよりも、よほど恐怖すべきもののようで。
例えるなら自分の体をゆっくりと引き裂かれていくような感覚。
「リナ……」
背中が引きつる。
「リナは、私の人族嫌いを一緒に直せちゃえば、って目算してたんじゃないの?」
その言葉を聞いた瞬間、身体中に電気が走った。
「ち、違うわ。そうじゃなくて……」
否定しようとするも鋭く睨まれ。
「そういうのやめて!」
通りには多くの人が歩いているはずなのに、周囲の音が一切耳に入って来ない。
彼女の声と、彼女の動作と、彼女の呼吸をただ必死に聞き取り、そこにないはずの答えを探し求めてしまう。
「リナが本心からあの人族を助けたいんならそれでいいよ。たぶんその思いもきっとリナの中にはある。でもそれだけじゃないでしょ。あなたはあたしのことも計算に入れてる。そういう余計なおせっかいはやめて! あたしは人族が嫌い! これは変わらないわ!」
「…………ち、違うよ。れい、な……」
「あたし、リナのこと好きよ。すんごく好き。リナも私のことを好きだって思っている。でも――」
語気が強まる。
「だからって何でも許した覚えはない! 勝手にあたしの大切なところにまで踏み入らないで!」
視界が歪んで、世界が壊れていってしまう。
必死に守ろうとしていた世界。
それがどうツギハギをしようとも直せない領域にまで入ろうとしてしまっている。
彼女の声が胸に響き、リナはどんな言い訳をしようかと必死に頭を回す。
――言い訳? 違う、言い訳じゃなくて……。
…………。
自分に嘘をついていることに気付いたリナは、息を吐き出して自分を落ち着かせる。
――そうだ。彼女の言う通り、私はミコトを助けるのと同時に、ミコトを通してレイナの人族嫌いも何とかならないかと頭の中で考えてしまっていた。
だから出来得る限りミコトとレイナを一緒に引き合わせようとしていたんだ。
レイナの気持ちも考えないで。
自分のしでかした失敗に、ハンマーで殴られたような痛みを胸に感じながら、何とか彼女に謝罪を述べようとする。
「レイナ。私ね……」
だが、リナが喋ろうとした瞬間、通りの向こうからシュジュベルの警備隊が駆けつけてくるのだった。
「いたぞ! リナ・レーベラだ!」
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