【第三章】 正義の代価

1-1 市長ザクリア

 雨の降りそうな曇天を見上げながら、リナは調査に使える最後の一日をどう過ごすべきかを考える。


 昨晩はミコトを自分の部屋に泊めて過ごしたのだが、ミコトの心は鉄壁の防御に守られているらしく、リナが何を話しかけても空返事か無視しか返ってこなかった。

 つまり結局なんの進展もなかったのだが、リナは気にしていないし慣れっこでもある。


 かつてリナは、両親を亡くして一切の心を開かなくなったレイナに何度も話しかけるという苦行を行った経験がある。

 それから比べると、こんなのは昼下がりの優雅なティータイムのようなものであり、一日、二日でめげるようなことはない。


「さて、今日は朝一で行くところがあるわ。ミコトは詰所で待っててくれる?」


 そう聞くと、ミコトは話しかけられること自体を忌々しいことかのようにリナをねめつけながら、面倒くさそうに応答する。


「てめぇがいなくなった途端、勝手にメメリモ通りに戻るかもしんねぇぞ?」


 これまでの彼女の言動からすると十分にあり得る話ではあるが、ここは彼女を信じるしかない。

 ミコトを魔法で縛っておくこともできなくはないが、そんなことをしたらすでに谷底にある彼女の信頼は地中奥深くに潜ってしまうことであろう。


 リナはミコトの両肩を持ってお願いする。


「そんなことしないで? あなたの力になりたいの」


 頼み込むと、ミコトは舌打ちを一つ返すだけでそれ以上反論をしないようだ。

 その様子を見てとりあえずは安心することにする。


 何となくだが、彼女は勝手にメメリモ通りへ行ったりはしない気がしていた。

 ミコトは非常に冷たくはあるが、話す言葉は理路整然としているし、基本的には同意を得てから行動する性格に見える。


 無論、出会って間もない間柄であるため、それも直感的な話ではあるが、これから行く場所には彼女を連れて行くことができない。

 ならばいったんはここに置いていくしかないであろう。


 そのままレイナと合流してから、この都市の市長官邸へと足を向ける。

 今日はシュジュベルの市長と面談することとなっている。

 この面談は前もって予定されていたもので、合同演習を行うに当たっての事前挨拶が主な目的だ。


 都市の中心部にある市長官邸は石造りの非常に大きな建物となっており、階が五階もあると言うだけで高い建築技術を用いられていることがわかる。


 市長の部屋はその最上階にあるようで、階段を登ってからしばらくの待機時間があった後、リナたちは市長の部屋へと通された。


 部屋は非常に広く、彫刻の施された高級な机、天井まで届く本棚、革製の椅子、豪華な装具と、どれも一級品のものばかりだ。


 出迎えてくれたのは市長のザクリア。

 リナはこの人物のことをよく知っている。

 と言うのも彼は元々人族の軍人で、『疾風のザクリア』という二つ名がついていた。

 軍関係者の間ではそれなりに有名で、過去に行われた人族と魔族との戦争では高い戦果をあげていたそうだ。


 ただし、今は中立都市の市長をしているというだけあって、とくに人族に肩入れしているといった話は聞こえてこない。


 部屋へと入ったところで、リナは恭しく市長へとお辞儀をする。

 レイナも人族相手とは言え、さすがにここでは礼を尽くすようだ。


「よくぞ参られた。市長のザクリアだ。今回はよろしく頼む」


 五十代の男性らしい蓄えられた口ひげと恰幅が良さで大らかに挨拶をしてくる。

 ただ、その表情にはあまりこちら歓迎している意図が見受けられず。

 どちらかと言うと社交辞令の色が濃く出ている感じだ。


「初めまして。カナルカ特別小隊の小隊長リナ・レーベラと申します。この度は親善も兼ねての合同軍事演習を行えるとのことで、大変うれしく思っております」

「ああ。貴都市との関係も長いからな。シュジュベルの街は既に見られたかな?」

「はい、観光させて頂いております。とくに美術館のある西区が美しく感銘受けました」


 リナはメメリモ通りがある西区の話題を暗に出していく。

 市長が奴隷売買に関わっているかはわからないが、あくまで探りの話題としてだ。


「それは何よりだ。西区には教会もあるがいかれたかね?」

「いえ、そちらはまだです。是非赴きたいと思っております」

「あの教会は歴史ある建造物だ。あそこで信仰されているミナ教も市民から愛されているものだからな。……おっと失礼。魔族の方にこれはあまりよくなかったな」


 ミナ教とは人族に広く布教している宗教のことだ。

 かつて、ミナ・ミナツキと呼ばれる勇者が絶望的窮地に陥った人族を救い出し、魔王を打ち倒したという伝説が残されている。

 その栄誉を称えて、宗教として今も人族の間で信仰されているそうだ。


 ただ、この話題を魔族のリナたちに振るのはあまりよろしくない行為と言えよう。


「いえ、気にしておりません。宗教は人それぞれですので」

「それはよかった。私もそれはもうミナ教の敬虔な信徒なものでね。魔族がかつて敗れていった魔王を信奉しているように、人族もかつての偉大なる勇者様を信奉している」


 ザクリアがさらに挑発的な言い方をしてくる。


「そういえば、今代の勇者様もこのシュジュベルに来ておられるとか。恐らくは姿を偽装されておられるとは思うが、我が町としては嬉しい限りだ。祝宴でも開きたい気分だな」


 魔族からすると勇者というのは敵の象徴と言える存在であり、その勇者訪問を魔族の彼女たちにわざわざ喜ばしいこととして表明してくるのは暴言に近い内容と言えよう。


 レイナは顔をしかめそうになるのを必死に我慢しているところだったが、リナはそんなことよりも、なぜザクリアがこういった挑発行為を繰り返してきているかに疑問がいっていた。

 試しに話題を振ってみることにする。


「そうなのですね。……そういえば、レングー商会が出している店舗も見させていただきました。この都市一番の商会というだけあって、非常に大きなものですね。品揃えにも驚かされました」


 ザクリアはわずかに目を動かすもそのまま話を続ける。


「ああ。我が都市にとって貴都市との交易関係は重要だ。とくに特別な商品を取り扱わせていただいているからな」


 そう。シュジュベルでは人族の地でしか生産できない物品を魔族社会に卸しているし、その逆も然り。

 そう言った意味でカナルカは良いお客さんなはず。

 にも関わらず親善を交えるべきリナたちに対して、なぜ挑発行為を続けるのか。


 ザクリアの意図を読み切ることができないため、やむを得ず自分が持つ手札を使うことにする。


「ええ。我々としても安全保障上の観点から貴国家との関係は重要であると認識しております。ところで――」


 リナは改まった視線でザクリアをじっと見つめる。


「先日カナルカにおいて、偶然奴隷の密輸業者を発見致しました。これに関して何か心当たりはありますでしょうか?」


 ステップとしては、まずこの話題を振っておき、後出しで奴隷の出所がシュジュベルだと考えているという話までするつもりである。

 つまり、揺さぶりをかけるのがリナの狙いだ。

 ただザクリアはこれに眉一つ動かすことなく、むしろ言おうとしていたことを回答してきた。


「それについてはいくらか情報が私の耳にも入っている。なんでも我が都市が出所かもしれないという話だ。こちらでも内偵を進めているので何かあれば連絡しよう」


 予想外に向こうから話が出てきた。

 と言うことは、市長は白となるか?


 あくまで平然とした表情で答えてくるザクリアを判別するのは難しい。

 本来政治家とはこうあるべきなのだろうが、彼は恣意的に表情や言動から意図を読ませないようにしている。

 元軍人とは思えない手腕だ。


 これ以上の情報は得られないと判断し、リナはこの場を切り上げることにする。


「……そうですか。よろしくお願いします」

「週末に予定している軍事演習においては、貴部隊と我が国の部隊とで極めて実践形式に近い模擬戦を実施する予定だ。リナ殿やレイナ殿におかれても得られるものがあることを願っている」


 その言葉にリナは目を見開く。


「……ええ。楽しみにしております」

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