【幕間】
勇者一行
リナとレイナがメメリモ通りへと入る前の、ちょうど詰所近くの通りを歩いていた頃、時を同じくして六名の男女がその近くへと差し掛かっていた。
男と女がそれぞれ三名ずつで、前衛、後衛、支援職とバランスの取れた冒険者パーティ。
彼らこそ人族が対魔族戦に用意した最大の切り札、勇者一行である。
そのリーダーの名前は
この世界に来る前は日本の高校生であった。
彼はいわゆるクラスの中心人物で、容姿性格いずれも良く、誰に対してもフレンドリーに接するコミュ力を持っており、
なにより彼は、人一倍正義感の強い男であった。
そんな彼は学校の郊外学習で登山中、事故に遭い崖から滑落してしまった。
そして――、気付くとそこは魔法陣の真ん中だったのである。
それから一年半。
勇者として召喚させられた彼は、現在魔王を倒すための能力向上に努めている。
すでに魔族の中に魔王の素質を持った者がいることは判明しており、
その一方、具体的に誰が魔王なのかまでは噂レベルでしかわかっておらず。
その者が魔王として君臨する前に、可能な限り鍛錬と経験を積み、魔族に対抗できる人族の守り手とならなければならないと彼は考えていた。
カナトは最初こそ戸惑っていたものの、今では自分の役割にも納得している。
彼は旅をしながら自身を鍛えている。
城に籠って人間や丸太を相手に訓練をするよりも、凶悪な魔物や盗賊たちを相手にする方が多くの経験を得ることができるし、この世界のことを知ることも可能だ。
「カナト、この都市に奴隷市があるらしいぜ」
仲間の言葉で観光気分となっていた気持ちを切り替えて、自身の目的を思い出す。
彼らがこのシュジュベルの都市を訪れたのは、法で禁じられている奴隷売買の情報を掴んだからであった。
自分たちの成長という大きな目的はありつつも、明らかな悪が存在する場合はこうして現地に赴き、その問題解決にも務めているのである。
「らしいな。どの国でも禁じられているというのに、理解できない」
「その意見にゃ同意だ。けど聞くところによると奴隷は儲かるらしいぜ。今は休戦期に入っちまったから商品確保に苦労しているだろうが、戦争が再開すりゃ人族も魔族も調達がラクだからな」
人を物のように扱うその考え方そのものにカナトは嫌悪感を示す。
「ラク、か……」
日本の基本的価値観から考えればあり得ないことではあるが、ここは異世界だ。
価値観が大きく異なるのはむしろ自然と言える。
それにカナトが知らなかっただけで、もしかしたら日本においても似たような問題はあったのかもしれない。
そんなことを思いながら通りを歩いていると、ふと一人の少女に目が留まる。
中学生くらいであろうか。
漆黒の髪、深紅の瞳、そして黒角。
童顔ではあるが兵士のような恰好をしている。
カナトは何とはなしに【鑑定】のスキルを使ってみることにする。
鑑定スキルなんて言われてしまうとゲーム感覚となってしまうのだが、勇者専用のこのスキルは相手の情報を
彼女の情報が脳内に流れ込んでくるのと同時に、その内容に彼は目を見開いた。
氏名:リナ・レーベラ
種族:魔族
性別:女
職業:魔王
――魔王……だとっ……!
カナトは咄嗟に剣の柄に手をかけてしまう。
街中で理由もなく剣を抜く行為は処罰の対象となる。
それを知らないカナトでもないため、仲間たちに動揺が走った。
「!? カナト!? どうしたの!?」
仲間の呼びかけがカナトの耳には入ってこない。
それよりも地図とにらめっこを続ける彼女のことを見つめてしまう。
――あれが、俺の倒すべき敵!?
そう認識した瞬間、カナトは強い違和感を覚えてしまった。
魔王は諸悪の根源だと教えられてきたが、ホントにあの子がそうなのだろうか。
彼女からは今のところ邪悪な何かを感じ取ることができない。
それどころか、何かを必死に悩んでいるように見える。
いくつもの疑問が頭をめぐる中、仲間の言葉で我に返る。
「カナト! あいつがどうしたんだ! 何か見えたのか!?」
「あ、ああ、……いや、すまない。勘違いをしたようだ」
仲間たちを適当にごまかして様子を見ることにする。
どの道、街中でいきなり戦闘を始めるわけにはいかないし、破壊活動を行っているならまだしも、彼女はただ通りを歩いているだけ。
いきなりこちらから攻撃すると言うのも間違っているであろう。
カナトは固唾を飲んで彼女の行動を見守ることにする。
いつ仲間たちにこの情報を打ち明けようかと迷いながら、勇者一行は目的地となる奴隷市場へと歩を進める。
別にあの魔族を追っているというわけでもなしに、必ず視界のどこかで少女の姿が映っていることに、カナトの胸の内にある底なし沼のような感情が徐々に粘度を増していく。
彼女ばかりを見ながら歩いていると、仲間の一人であるリーリアから声がかかった。
「あの子、気になるの?」
「いや、魔族をあまり見たことがなかったから、角とかが珍しくてな」
「ふーん。まあ確かに可愛いけどね」
隠そうとはしているが、どことなくリーリアは怒った風な口調だった。
「あたしの耳だって可愛いと思うんだけどな」
自身のうさ耳をいじりながら彼女はそんな風に小さくつぶやく。
リーリアは兎人と呼ばれる亜人種で、パーティの中では唯一人族ではない。
ただ、外見的に言うと、兎人は兎の耳と尻尾が生えている以外はほぼ人間であり、あまり亜人っぽさがない。
カナトは兎人以外の亜人を何種類も見てきているが、そのいずれもが動物的な見た目であった。
その点で言えば、兎人だけが特異に人間に近しい種族なのかもしれない。
リーリアは戦闘力、知識、才能のいずれもがトップクラスにあり、カナトはよく彼女を頼りにしてしまうのである。
「なんだ、妬いてるのか? 別にそんなんじゃないぞ」
「や、妬いてるわけじゃないって!」
顔を赤らめる彼女を横目に、西区の裏通りへと差し掛かる。
これまで調べた情報によれば、この裏通りのさらに細道からメメリモ通りと言うところに入ることができ、そこに奴隷の保管・売買場があるらしい。
前を歩く魔族の少女たちも未だ同じ道を辿っているため、このあたりからカナトの嫌な予感は疑念へと変わりつつあった。
あるいは、信じたくないという感情であろうか。
あんな可愛げな少女が人身を売買する。
そんな現実を信じたくなかったのかもしれない。
だが一方の脳では、魔王と呼ばれる者であればそれも十二分に考えられた。
むしろ、幼げな見た目や可憐さのすべてをも策謀に用いてくる方が、噂に聞く邪悪な魔王そのものと言えよう。
それと、カナトの頭はもう一つの違和感についても思考を巡らせていた。
彼女は魔王であるというのに、なぜ魔王の名が世には出回っていないのであろうか。
さすがに新たな魔王が
だが実際にはそうなっていないので、
――魔王であることを隠している?
カナトは高速に頭を回転させながら、なぜわざわざ魔王であることを隠すのかや、どういった企みを抱いているのかを考察していく。
そんなこと考えていたら、魔王とその連れは奴隷市場があるメメリモ通りへと入っていってしまった。
「確定だ……」
小さく呟いた彼の言葉が仲間たちの足を止めさせてしまう。
どこか残念で、でもどこか思った通りだという鉛のような思いが胸の中を行ったり来たりしながら、カナトは仲間たちと顔を見合わせる。
「カナト……?」
彼らも何かを感じ取っていたのであろう。
静かにリーダーの言葉を待つ。
「その、落ち着いて聞いてほしい。……さっきそこへ入っていった二人組の魔族がいただろう。あの黒髪の方が魔王だ」
五人の仲間たちはみな息を呑む。
「……やっぱりそうだったのか。お前がずっと見つめていたから薄々感づいてはいた。だがどういうことだ。なぜ新魔王の名前がどこにも上がってこない?」
しばらくの思案の後、全員がカナトと同じ結論にたどり着く。
「……恣意的に隠している、ということか」
「俺もそうだと思った。でなければ魔王を名乗らない理由がない。……メメリモ通りに入っていく彼女たちのことはどう思う?」
「十中八九、取引だろうよ。魔王になってしまったら都市の検問を通れない。ここは中立都市であるがゆえに超えてはならない線をしっかりと決めている」
シュジュベルにとって魔族の重役を都市に招き入れる行為は人族に対する挑発となるし、その逆もまた然り。
双方との交易を主産業とするこの街にとって、人族、魔族いずれとも関係を壊したくはないはずだ。
「やはりそうだろうな」
「奴隷売買が目的ならそれをちゃんと見ておいた方がいいと思う。目撃情報があれば、その場で現行犯死刑が成り立つわ。まあ、魔王なら別にそんな口実いらないけどね」
仲間たちが静かに頷いたのを見て、一行はメメリモ通りへと入っていく。
かなり遠めに魔王を捕えながらしばらく歩いていると、魔王が通りの真ん中で立ち止まり耳を澄ませていた。
「何かあるのか……?」
「近づくなよ。人通りがないからさすがにあの距離まで行くとバレる」
「わかっている」
勇者一行は不自然にならないレベルで停止し事態を見守る。
すると、急に魔王が走り出し建物の中庭の方へ入っていく。
しばらくすると、小さな人族の少女を連れて戻ってきたのだ。
少女はボロボロの布切れ一枚しか着用しておらず、その隙間からは骨と皮しかないのではないかと思われるほど痩せている腕が見えている。
茶色い髪はボサボサで、その顔には世界のすべてを諦めたような表情が浮かんでいた。
「奴隷……か」
カナトは思わず顔をしかめる。
あの少女――リナ・レーベラはやはり奴隷を売買しに来たのであろう。
今まさに引き渡しがなされたように見える。
「資金のためか、あるいは人材確保のためか。なんにしてもこれで確定だ。カナト、迷うことはねぇぞ。奴隷売買はどの国でも極刑だ」
そう言って、仲間たちが武器を取り出していく。
だがカナトの判断は、
「待ってくれ」
焦燥の音を織り交ぜながらカナトの声がこだまする。
カナトはこのとき、自分が何に迷っているのかがわからなかった。
胸の中を粘度の高い水あめのようなものがドロドロとうねるばかりで、でも事を急ぎたくないという直感が頭の中を霧のように覆っている。
「もう少しだけ、様子を見させて欲しい」
「……反対よ。魔王が素性を隠して体制を整えているのであれば、今すぐにでもこれを打ち滅ぼすべきだわ。幸いにも、今は仲間が一人だけという千載一遇の好機よ」
リーリアとは別の女性の仲間から声がかかるも、依然としてカナトは俯いたまま。
「カナト、あなたが殺しを嫌っているのは私も知っているわ。けど相手は魔王よ。おまけに奴隷と思われる人族の少女を連れ回している。躊躇う理由がない」
「…………」
再び仲間が声をかけようとしたところで、リーリアが間に入る。
「待ってイシュア。カナト、あなたが様子を見たいという理由を聞かせて?」
リーリアの表情はカナトの真意を汲み取ろうとするもの。
「……彼女が悪であるかどうかが、現時点では判別できない」
「奴隷売買は悪ではないの?」
「本当に……本当に、彼女は奴隷を買ったんだろうか。あの魔族の表情は、そんな風には見えない。悪でないのなら、戦わない道だってあるはずだ」
「それは関係ないと思うわ」
イシュアと呼ばれた女性からの冷たい水が注されて、カナトは顔をあげる。
「関係、ない……? どうして?」
「彼女が魔王だからよ。悪であるかは関係ないわ」
「理解できない。悪でないのなら魔王とは戦わなければいいじゃないか」
カナトが語気を強める。
「いいえ、魔族との戦争は避けられないわ。人族も魔族もみんな恨み合っているんだもの。戦争をしないと収まらないくらいにね」
彼女の言葉はどこまでも冷たく、どこまでも現実的だ。
カナトだって数多くの怨嗟を人族の社会で目の当たりにしてきた。
それこそ、日本では見たこともないレベルのものを。
「でも魔王がいなければ今代の戦争は早期終結を狙える。そうすれば人死にも、奴隷の数だって減るはずよ。その方がより多くの悪を滅せられるとは思わない?」
「賛同できない。善人かもしれない彼女を殺した方がより多くの悪の芽を摘むことができる、と言う理屈だろう? 大のために小を犠牲にするのが勇者のやり方だとは思えない」
「理想論ね。世界はそんなに簡単じゃない」
「勇者なればこそ、理想を追い求めるべきだ。さもなくば誰も理想を追わなくなる」
一行が難しい表情を浮かべる。
「……いいわ。今はリーダーのあなたに従う。けど覚えておいて。世界は理想だけでは立ち行かない。それは勇者であるからこそよ」
イシュアの冷たい言葉に、カナトは唇を噛むことしかできないのであった。
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