3-3 奴隷の少女

 迷路のようなメメリモ通りを抜け出して、ようやく普通の人が出歩く通りへとたどり着く。

 本来であればもう少し調査を進めたかったのだが、殺人現場に出くわしてしまったためやむを得ず引くこととなった。


 彼女たちは新たな連れとなる短い茶髪の女の子とともにゆっくりと道を歩いていく。

 少女は十歳くらいの年齢だろうか。

 未だ名前がわからない点やリナたちに警戒心を向けている点などいろいろとあるのだが、一番の問題は彼女が人族であるというところにある。


「その子、本当に連れて行くの?」


 案の定、レイナから強い懸念の声が飛んでくるわけで。


「当たり前でしょう。面倒を見るしかないじゃない。行政や警備隊に預けても無事に済むかはかなり怪しいわ」


 メメリモ通りが平然と存在している段階で、警備隊や行政のどこかしこがこの件に関わっている可能性は高い。

 その全貌がわかるまでは彼女を手元に置いておいた方が安全と言えよう。

 逆に身元不明の少女を連れ回すというリスクも取るわけだが、現状ではやむを得ないとリナは判断している。


「はぁ……すごく嫌なものを見てしまったわ。こんなことが平然と行われているなんてね」

「抑えてよリナ。ここは国外よ。逮捕権も奴隷売買人の殺害権も持ってないわ」

「わかってるわよ。ちゃんと見逃したじゃない」


 しばらく歩いたところで、追跡の目がないことを確認し少女に向き直る。


「私はリナって言うの。もう大丈夫よ」


 非常に汚い身なりをしている人族の彼女は、ガリガリに瘦せておりろくにものを食べさせてもらえていないことが伺える。

 それと気になっている点は、あの熊人がこの少女のことを『死なない』と言っていたことだろうか。


「あなた名前は?」


 少女は何も答えず、相変わらずにべも無い様子だ。

 リナたちのこともまた、何か私欲を持って利用しに来た悪い奴らとでも思っているのだろうか。


「なんとか言えよ人間、リナが聞いてんだろ」


 それまでとは異なる声色を発するレイナは、人が変わったように怨敵の眼差しで少女を射抜く。


「レイナ、怖がらせないで」

「別にいいじゃん。どうせ人族だし」

「私のためと思ってお願い。ね?」


 人族のことが嫌いなのを知っているからこそ、彼女にはお願いすることしかできない。

 レイナからすれば人助けであったとしても不快なことこの上ないはずだ。

 彼女は短いため息をついた後、降参のポーズをリナに見せる。


「……いいわ。リナの頼みなら聞いてあげる。人族は嫌いだけど、それ以上にリナのことは好きだから」

「ありがとう、レイナ」

「ふふ。貸よ。あとで体払いだから。エロいことしちゃうぞ~」


 レイナがいつもの表情に戻り、体をくねらせながらおっさんのような顔を向けてくる。


「いっつもしてるじゃない」

「あれはエロの内に入んないって。もっと過激なのがあるんだから!」


 彼女の言葉には鼻を鳴らすだけにして、再び少女に目線の高さを合わせる。


「ねぇ。私は決してあなたのことを傷つけたり、酷いことをしたりはしないわ。だから名前を教えて?」

「……ミコト」


 しつこく聞いてくるリナに心が折れたのか、少女は諦めたように名を名乗る。

 その言葉にリナは顔を太陽のように輝かせた。


「ミコトって言うのね! よろしく!」


 笑顔で握手を求めて手を差し出すも、ミコトはそれを無視。

 まだこの少女との心の距離は埋まっていないようで。

 それでもなおリナは食いついていく。


「じゃあまずはご飯ね! ミコトちゃんお腹がすいてそうだし」


 お昼にはだいぶ早いが、三人で食事処へと入ることにする。

 シュジュベルは多民族国家であるため食文化も多様だ。

 人族と魔族はそこまで食べる物に差がないのだが、亜人は種族によって食べる物がかなり変わってくる。


 リナたちの入った食堂は人族、魔族向けの大衆食堂で、夕食時ともなれば恐らく人がごった返すような店なのであろう。

 今は朝御飯と昼御飯の中間時ぐらいであるため、店内に客はほとんどいない。

 太い幹の木をそのまま板にしたと言わんばかりの机を三人で囲み、文字しか書かれていないメニューを眺めていく。


「食べたいものはある?」

「これ! この羊肉と蜂の巣の包み焼! これがいいわ!」


 レイナが真っ先に食べたいものを述べてくる。

 かく言うリナもカナルカで見たことのないその料理名に興味津々ではあった。


 一方ミコトはと言うと、メニューすら見ておらず食べたいものを言う気配もない。

 何度か聞いては見たものの、彼女は口を開くつもりもないようだ。

 やむを得ずレイナが言っていた料理を三人前頼むことにする。


 しばらくすると、蜂の巣に穴を開けて、その中に羊肉がたっぷりと詰め込まれた料理がテーブルへとやってきた。

 その見たこともない食べ物は蜂蜜の甘さとピリッとした辛みで味付けされており、リナとレイナは喜々としてフォークを進めていく。

 だがミコトは無表情のまま一切手をつけようとしないのであった。


「食べないの?」

「…………」

「ねぇ、好きなものがあったら言って? それを頼むからさ」


 やはり無視。

 何が彼女をそうさせているのかわからずリナは困惑してしまうが、お腹の虫は泣いているため空腹なのは間違いないはず。

 レイナの方を見るも、人族のことなど興味の対象にすらなっていないようで。


「気にしなくていいじゃん。餓死したいんなら勝手に餓死させればいいわ」

「そんな言い方しなくてもいいじゃない」


 鼻を鳴らしながらそっぽを向いてしまうレイナ。

 困ったリナに向かって発された声は他ならのないミコトからであった。


「彼女の言う通りだ。気にしなくていい。あーしは死なねぇ。死なねぇから食べる意味がねぇ。意味がねぇことをしてなんになる」


 喋ったと思ったら酷く暗澹迷妄あんたんめいもうとした様子だ。

 この言葉から、彼女がこれまでどういう生活を送りどういう扱いを受けて来たかが想像できてしまう。

 それゆえにリナは食べるのをやめて居住まいを正す。


「意味はあるわ」


 どんな? と明らかに否定の意図を込めた声。


「お腹が膨れて生きる気力が湧いてくる」

「気力が湧いて、で?」

「楽しくなる。それが積み重なって幸せになるわ」


 陽気にそう言ってみせるも少女の瞳には光りが差し込まない。


「人は弱い。幸せを積み重ねても簡単なことで壊れちまう」

「そんな寂しいことを言わないで。あなたにだって、誰かと一緒にご飯を食べて幸せを感じたことがあるはずよ。食べれば思い出すわ。はいっ」


 羊肉をフォークにさしてミコトの方へと差し出す。

 しばしの間リナを睨みつけていたが、リナが一切ひるまないことに観念したようで、ようやくその肉を口にする。


「どお? おいしい?」

「……不味い」

「口に合わなかった?」


 空腹に勝る調味料なしとは言うが、当然それも人の感性に依ろう。

 不安と期待を織り交ぜながら問いかける。


「あーしと仲良くなったら、てめぇらはあとで大けがをする。だからこの飯は不味いんだ。そういうのはお前の大切なお友達とだけにしておけ」


 意味が分からず、無意識に顔をしかめてしまう。


「それってどういう……」

「あ! ずるーい! あたしもあーんしてよぉ~」


 レイナが間に割って入って来てプンスカ言ってくる。


「い、いや、これはそういうんじゃなくて……」

「だってさっきエロいことしてくれるって言ってたじゃん!」

「え……。これエロの範疇に入るの?」


 入るよ! とレイナはテンション高め。


「リナがしゃがんで上目遣いであーんってしてたらエロくない!? 絶対エロいよ!?」

「いや、同意を求められても困るし、レイナが意図しているシチュエーションとは全然違うと思うんだけど」

「あたしが意図しているシチュエーションって具体的にどんなの! それってもしかして、男性が女の子に……」


 チョップが炸裂していつものごとくレイナは悶絶する。


「うぅぅ、暴力反対」

「暴力を誘発するような発言は控えるように」

「リナって規律正しいのにあたしに対する暴力だけは容認してるよね」


 再度腕を構えて、もっかい喰らっとく? と目を吊り上げる。


「ぬあぁやめて! わかった、わかったから。そしたら普通にあーんにしよ! これなら友達同士よくあるシチュエーションだよ! はい、あーん」


 そんな頻繁にあるものじゃないと思うんだけど、なんて考えているリナへ羊肉がグルグルと太くまかれたフォークが差し出される。

 恐らく先ほどレイナが言おうとしたことの続きを、言葉にせず実践でやろうと言うのであろう。

 まったく忌々しい。


 ただ――、とミコトへ目をやる。

 リナたちがこうやって楽し気にしている姿を見せるのは、出会ってからずっと冷淡な態度を取る彼女にとってプラスに働くかもしれない。

 不本意ではあるが、レイナの芝居にのってやることにする。


「はぁ……。レイナじゃなくて私があーんする側なのね」

「そう言ったじゃん。はやくはやくぅ」


 まくし立ててくる彼女に、やむを得ずリナは躊躇いがちなあーんをする。

 すると羊肉を運び終える前にレイナが鼻血を吹き、身を乗り出してきた。


「ヤバい!」


 もはやフォークなど投げ出して、両手を口に当てながら顔を真っ赤にしている。


「このほんのりと染まった頬! おねだりしてくるような上目遣い! ちょっとだけ出てきている舌! あああ! ダメ、ダメよあたし! こんな背徳感抑えられるわけがない!」

「レイナ、お願いだから小さな声で喋って」


 店にいる客は少ないがいないわけではないし、店員だっている。

 主に視線がすんごく痛い。


「リナ! 今晩は私の部屋に泊まるの! 命令よ!」

「身の危険を感じるから嫌なんだけど」

「さっき約束したでしょう! 体払いって! 約束通りきっちり払ってもらうわ!」

「ええ!? 今あーんしたじゃんよ!」

「ぜっんぜん不十分よ。あたしが性的に満足するまで終わらないわ!」

「そんなの一生じゃん!」

「その通りよ! リナ~、約束破る気ぃ~?」


 レイナが伝家の宝刀とばかりにその言葉を発する。リナは基本的に約束事を守る主義であるため、冗談半分であったとしてもこれを断りづらい。それをわかっているからこそ、レイナは『約束』という言葉を前面に出してきているのだ。


「エ、エロいのはなしだからね」

「うひょひょい! エロいことし放題だぁ!」


 馬耳東風となっているレイナにため息をつきながらも、リナの心にはミコトの言葉が魚の骨のように刺さり続けるのだった。

 仲良くなったら大けがをするなんて嘘だ。

 親友のレイナとは今までずっと仲良くやってこられたのだ。

 ミコトとだって絶対に同じように仲良くなれるはず。


 そんな風に思いながらも、心のどこかでぞわぞわうごめく不安が、この食べたこともないおいしい料理の味を忘れさせてしまうのだった。

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