3-2 熊人の密売人
しばらく歩いたところで、探査のために集音魔法を唱える。
「【コレクトサウンド】」
この魔法は周囲の音という音を野生の猫のごとく聞き取ることができる。
雑多な場所では使えないという点を除けば非常に有用な魔法と言えよう。
幸いこの通りは人通りが少ないため、使用にはうってつけだ。
リナが耳に意識を強めていくと、途切れ途切れの呼吸音と、水の跳ねるような音が聞こえてきた。
――何の音……? 水? 激しく咳き込んで……!
「どう? なんか聞こえ……」
「っ……!」
レイナの言葉を遮りながら小さい悲鳴とともに大急ぎで路地の中へと走り込む。
「こっち!」
建物と建物の間の狭い小道があり、そこを抜けると少し開けた場所へと出た。
「やめなさい!」
リナの叫びが響く。
そこではなんと、人族の少女が熊の大男に顔を水へと沈められて殺されそうになっていたのだ。
レイナもリナを追いかけてやってくる。
「なんだてめぇらは」
大男はリナ二人分はあるのではないかと思えるほどの大きさの熊人と呼ばれる亜人だ。
リナは熊人を見るのが初めてなのだが、二足歩行する熊が服を着ている感じで、野生の熊と大差ないように見える。
亜人種の表情というのをよく知らないのだが、恐らくは驚きの色を浮かべているようだ。
男が手を放したことで人族の少女がゲホゲホと咳込みながら地面に倒れ込んでいる。
それを横目にリナは熊人に対して敵意を向けていた。
「おいおい、観光客が迷い込んで来れる場所じゃねぇだろ。ずいぶんと物好きなやつらだな。だが……」
熊人は二人を舐めるようにべったりと眺めたあと口元を緩める。
「こいつぁはずいぶんと上玉じゃねぇか。高値で売れそうだ。見られちまった以上タダでは返せねぇ」
『上玉』というのはリナたちの容姿のことを言っているのであろう。
亜人種もまた、人族や魔族の容姿の良し悪しを見分けられないと聞くので、この熊人は恐らくそう言った評価を長らくやってきたと推測される。
奴隷売人としての経歴が長いと言うことなのかもしれない。
「こっちも用があってきたんだもの。タダで帰るつもりなんてないわ。おまけに殺人の現場に出くわすなんてね」
「殺人じゃねぇよ。こいつは奴隷で俺の所有物だ。どうしようと俺の勝手だろう。加えて言うなら、こいつは死なねぇ。絶対に死なねぇ奴隷なんだよ」
死なない……? という言葉に疑念の目を少女に向けてしまうも、今それは関係ない。
彼が間違いなく奴隷の売人である言質は得られたので、遠慮なく行動することができる。
「この国で奴隷は禁止されているわ」
「バレなきゃいんだよ」
「法を破っていい言い訳になってない」
熊人が面倒くさそうに傍に置いてあった大型のこん棒を片手に掴む。
「痛い目見んぞ?」
リナは不敵に鼻で笑う。
「脅しになってない」
ブォン!
勢いよく横なぎに振られたこん棒を、リナは屈んで、レイナは後ろに引くことで避ける。
そのまま懐へと踏み込んで熊人の腕を掴もうとするも。
「わざとすかしたんだよ!」
熊人がニヤリと笑いながら、空いている方の手で強烈なパンチを繰り出した。
バギャリ!
肉と骨がひしゃげるような音が鳴り響く。
勢い威力ともに受ければリナの骨が折れかねないレベル。
だがその結果や、無傷の笑みなり。
「なっ!」
「わざと受けたのよ」
青白い半透明の手のひらサイズの防御魔法が熊人の攻撃を阻み、リナには届かず。
それどころか防御魔法に込められた反動倍増効果により、指の骨が折れてしまっている。
動揺する熊人の足を払い、リナはそのまま体長が二倍はあろうかという熊人をいとも容易く組み伏せるのだった。
瞬時に起こった一連の動きにレイナがヒュー、と口笛を鳴らす。
「この子は私の方で保護させてもらうわ」
「クソっ、いてぇ! 強盗だぞ!」
「法の上では奴隷を所有できないって言ってんじゃん。話のわかんない奴だな」
法律上存在しないものは所持することも奪うこともできない。
彼がシュジュベル警備隊に駆け込んだところで痛くもかゆくもないのである。
だが、この熊人はそうであったとしても警備隊に通報することであろう。
恐らくだが、警備隊の目を掻い潜りながら奴隷を取り戻す手段を持っているに違いない。
さもなくばリナでなくともこの熊人はとっくに縛り首となっているはず。
そしてここで熊人のみを摘発しても、組織的に行われている奴隷売買を止めるには至らない。
ならば、彼を泳がせることで次なる手を模索していくのが最善と言えよう。
本当はこの熊人に逆捩じを食わしたいところだが、今は我慢だ。
リナは熊人を放し少女の手を取りにいく――のだが、少女も少女で言葉を一切発することなく、強い警戒心と共にリナをねめつけていた。
「待てや! このまま行かせると――」
「【マテリアル――】!」
熊人が飛び掛かろうとした刹那。
光り輝く五つの魔法陣がリナの周囲に出現し、膨大な魔力を見せつけた。
彼が再び立ち向かって来ることは十二分に予想できること。
その返しに魔法を途中まで詠唱し、『脅し』を目にもの見せる。
亜人も魔力を感じ取ることはできるはずで、リナがどれほどの魔法力を持っているかは実感できたことであろう。
「次は痛い目じゃ済まないわよ」
殺意を持って睨むと、彼はまさに蛇に睨まれた蛙となってしまった。
手に取ろうとしていたこん棒を落としてしまい、その場で腰を抜かす。
「立てる?」
警戒心を向けてくる少女は食事をあまり与えられていないのかフラフラと立ちあがりながらも依然として梨の礫だ。
ただ、黙ってリナたちについてくるようではある。
その様子だけで十分と判断したリナは、
「行こ。レイナ」
と声をかけて、三人でその場を立ち去っていくのだった。
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