3 血染めの親友

 巨木が立ち並ぶ森を切り分けて作られた街道にて、最悪の事態にリナは脂汗を滲ませていた。

 先ほどまで煌々と照っていた日光は分厚い雲に阻まれ、今にも降り出しそうな空はまるでリナの真理を繁栄しているかのようだ。


 帆馬車一台が大破し何名もの人族が死傷している。


 ――自分のせいだ。


 よかれと思ってやったことなのに、結果として無関係な人を大勢巻き込む事態となってしまっている。

 おまけに目の前には、自身の魔法によって大量の血を吹くハウルホーンの死骸。

 こんなことになるのなら最初から討伐しておいた方がよかった。

 だが、いくらそう思ったところで後の祭りである。

 失意に包まれているリナに、背後から行商人の声がかかる。


「リナ・レーベラ……!」


 自分の名前を呼ばれてドキリとしてしまう。

 なぜこの人物はリナの名前を言い当てることができたのだろうか。

 疑念とともに男へと視線を向けると、落ち着きを取り戻しつつある男は、目前にしていた自身の死から、徐々に命の実感を取り戻しているところだった。


「どうして、私の名前を知っているんですか」

「……君は有名人だ。魔王と目される少女よ」


 またそれか、とリナはため息を吐く。


「違います。私はただの魔族です」


 男は奇妙な者を見るような目でリナのことを見るも、その言葉を飲み込んでくれるようだ。


「……そうか。いずれにしても命の恩人だ。助かった、礼を言う」


 その言葉にリナは唇を噛みながら俯いてしまう。

 賞賛されるべき点など一つもない。むしろ彼らには泣いて謝るべきなのだろう。

 相手は大きな損害を被り、死傷している人もいる。

 こんなの責任の取りようがない。

 だからこそせめて謝罪を述べるべきなのだが、真実を語る言葉はリナの喉より先へと進もうとはしない。


 なぜなら、厳密なことを言えばこれはリナのせいではなくハウルホーンのせいだからだ。

 意図してハウルホーンを彼らのところへ行くよう誘導したわけではないし、むしろ街道やカナルカからは遠ざかる方向へと逃がしたはずだった。

 それがハウルホーンの意思によって逸れてしまったのだ。

 

 リナがハウルホーンに手を出さなかった場合は、おそらくカナルカ軍もハウルホーンを放置し、この行商ではない誰かがその被害に遭うこととなったのであろう。

 普段兵舎に務めているリナは当然救援に駆けつけることができないわけで、今以上の被害が出ることは容易に想像ができる。


 つまり現状は最良の結果なのだ。

 だがそれを堂々と彼らに言う事ができず、後ろめたさが冷や汗となってリナの体を伝ってしまう。


「ありがとう、本当に助かった。あなたのおかげだ」


 感謝と共に交わす握手や、リナへの気遣いのすべてが彼女の心を刺す刃となったのである。

 男が周囲を見回す。

 壊れた馬車の破片が散らばっており、彼らの荷も散乱状態だ。

 このまま放置というわけにもいかないことがわかってか、男は肩を竦める。


「この場は俺たちが片付けておく。命を助けてもらったんだ。それくらいはさせてくれ」

「あ、あの……いえ、片付けを手伝わせてください」


 居ても立っても居られない思いからそう申し出るも、否定的な言葉が男からは飛んでくる。


「いや、そこまでしてもらうわけにはいかない。命を助けてもらったんだ。俺たちの荷なわけでもあるし、あとのことは任せてどうか休んでくれ」

「で、ですが、私であれば魔法で重量物も移動できます。お願いします」


 ――そうじゃない。私は何を言っているんだ。今もっともすべきことは彼らを手伝う事ではなく、真実を伝えることだ。


 対する男は頬を掻きながら、どう言ったものかと悩んでいる。


「……実は、男性向けの性的嗜好を凝らした商品があってね。女性の君には見せるに忍びないんだ」


 引かざる得ない言葉を言われ決心する。

 ここで黙って行ってしまうのはただの卑怯者だ。

 ただ、視線だけはどうしても俯いてしまいそれを男へと向けることができない。


「その、違うんです……。そうじゃなくて、私が‥‥…ハウルホーンを……」


 リナが言いかけたところで、聞き慣れた女性の声が飛ぶ。


「たしかに性的嗜好を凝らしたね」


 部隊を任せたはずの声の主が、壊れた荷馬車の傍に立っていた。

 彼女はそのまま邪魔な物をどかし、そこに隠されている彼らが運んでいた荷をつまびらかにする。


「そりゃリナに手伝われたらたまったもんじゃないわよ。奴隷を密輸中だったんだもの」


 そこには二人の人族が入った鉄製の檻があった。

 それまでの後ろめたい感情はさておいて、疑念の視線と共に男性を見てしまう。


「これは……! どういうことですか……!」

「なっ! おまえは……!」


「【セイバースラッシュ】」



 それは、予想だにしてない親友の行動だった。



 喋らせる間もなく、男性の喉がレイナの剣撃スキルによって掻っ切られる。

 男は出血多量でまもなく命を絶たれてしまったのであった。

 それを見て逃げる別の男性がいるも、


「【サンダーブラスト】」


 心臓が止まる威力の雷撃魔法。

 確実に殺しにかかっている。


「レイナ! 待って!」

「どうして? 奴隷の売人は即座に死刑。どこの国でも一緒だよ。ハウルホーンの時と違って、バカな私でも間違えない」


 そこにいつもの笑顔はない。ただただ冷たい瞳が彼女のすべてを物語っていた。


「だ、だからって……」

「捕まえてもカナルカで即日死刑になるだけだよ。誰が殺すかの違いしかない。だったらあたしがやっちゃった方がいいじゃん」


 黙ったリナを見て、レイナはそのまま殺戮を開始する。

 人を殺していると言うのに、その行為は淡々とした作業のようなもので。

 リナは心に黒々とした重石がのしかかっているかのような圧迫感を感じてしまった。

 そうしてすべてが終わったときには、濃密な血の匂いと、鳴りやまぬ鼓動と、そして返り血で真っ赤に染まった親友の姿を目にしなければならなかった。

 そのどす黒い赤をまとった彼女に、いつものあの笑顔が舞い戻ってくる。


「リナはすごいよね。大手柄だよ。さてはこのためにハウルホーンを逃がしたね?」

「……違うわ」

「そなんだ。じゃ偶然か。いやぁ、あたしも偶然見つかってよかったよ」


 偶然……。

 そう、偶然だ。

 偶然が不運となったのだ。

 だが、今はそんなことよりも聞いておかなければならないことがある。


「レイナ、悲しくないの?」

「悲しい……? なんで?」


 キョトンとした表情。それにリナは手を握りしめる。


「たとえ罪人とは言え、何人もの人が死んだんだよ。悲しくないわけないよ」


 表情の変わらない親友の口からは、ある意味思った通りの、そして聞きたくない言葉が返ってきた。


「魔族ならともかく、人族だよ。敵だし別にいいじゃん」


 それを聞いて、リナはどうしても確認せざるを得なかった。

 本当は聞きたくなんかない。

 もしここで本音の返答が返ってきてしまったら、リナはその後どうすればよいかがわからなかったからだ。

 だから聞くのが怖かった。

 それでも彼女の上官とし、そして友として聞かないわけにはいかない。



「……レイナ、人族だから殺したんじゃないでしょうね?」



 この時、いつの間にか降りだしていた雨の音がリナにはやけにうるさく聞こえた。

 それは、久しく雨がカナルカで降っていなかったことによるものか、はたまた人の死を目の当たりにして鼓動が昂っているからか。


 ――あるいは、親友から聞こえてくることのない否定の言葉を、雨の音のせいにしたかったからか。


 彼女は笑顔のままリナを見つめ、やがて後ろを向く。


「――違うよ。密売人だからだよ」


 返り血で赤く染まる彼女は、その言葉もまたどこまでも赤く染まって見えるのだった。

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