第34話:甘さもバランスが大事ですわ


 聖歴1941年6月1日

 帝都情報局長官室

 ケルテン伯アンドレイ



「やはりヴィクトールにも罠が仕掛けられていたか。ハニートラップに引っ掛かるとは私の息子として失格だな。あの女の息子らしい怠惰さ」


 東部戦線の後方支援部隊勤務に志願したのも許せんが、その物資を横領。しかも合州連合に横流しだと?


 その指示が皇国のニンジャフォースの指図だと。


 これはもうかばってやれん。


 普通なら銃殺刑は間逃れられん。だがせめてもの父親としての温情。シベリー原野で立ち木を数える不毛な仕事に就いてもらおう。重労働よりもましかもしれんが、気が狂うものが続出するという。


 いっそ銃殺刑にされた方がましなのか?


 しかし。

 この件に関しては憶測の域は出ないが、海軍元帥のナヒモヌフが絡んでいる。


 あいつは前々から私の事をおとしめようとしていたからな。このままいくと自分の勢力が弱まるのを恐れていたのだろう。


 そんなとき先の大失態があった。

 あのまま海戦に持っていけば英国海軍の一個艦隊を壊滅させられたものをみすみす逃してしまった。臆病者め。


 あの影響で奴の足元が揺らいだのだろう。こちらに矛先を向けてきた。粛清が役割の情報局への先制攻撃というわけだ。


 そのおかげでスターシャのデビュタントのダンスパートナーがいなくなってしまったではないか!


 せめて兄の役目を果たせ。

 お前の母の罪をお前がかぶせなかったことを忘れたのか。どうしようもない正真正銘のブタ貴族だな。


 下町で赤ん坊のころから鍛えてもらえばスターシャのように心優しい紳士になったのだろう。


 惜しいことをした。


 仕方ない。

 ザイツェフ少佐のデコイを作り一人で踊ってもらうしかない、スターシャには。まだ優秀で素敵な婿が見つかっていないからな。ダンスのパートナーは許嫁という暗黙のしきたりがあるが仕方あるまい。


 自律型デコイの術式はできているそうだから無事踊っておくれ。


 勢力バランスが崩れるのは私にも好ましくはないのだが、ここは反撃をしないといけないだろう。

 


 いや、もっと良い方法があるか。

 

 イリーナ嬢、いやイリーヌ殿の社交界デビューだが、男性はデビュタントなどしないものだ。


 スターシャが「それではかえってビックリさせることができますわ」と、デビュタントに合わせてカミングアウトするという案を出してきた。


 すでにナタリー嬢と作戦を練っているとか。


 さすが私の天使。動きが素早い。





 そう思っていると、その反撃手段を部下が持ってきた。


「長官。失礼いたします」

「入れ」

「例のものが入手できました」

「ご苦労。下がってよい」


 ナヒモヌフの寄子であるベッカー伯の周りで不穏な動きがあるとの報告を受けている。


 その証拠を部下が持ってきた。

 机の上に置かれたその書物からは不気味な、瘴気のような黒いオーラが出ている気がする。


 これは世界に放たれてはいけないものだと直感が教えてくれる。


 心に完全防御をしてから、おそるおそるページを開く。


 こ、これは!

 まずい。


 こんなものが世間に放たれてはこのルーシア帝国の恥。

 この手の書物はその性格上、瞬く間に世界中に広まるであろう。


 ひそかに始末せねばならん。

 秘密警察の総力を挙げて印刷局とこの作者をとらえ、破壊、葬りさらねばならん。


 その筆者。


 ブリリアント・ブラザースキー


 B.L.B.L.


 出版会社は


 B.L.教会出版部。


 邪悪な異教徒め。

 滅ぼしてくれる。


 これをネタにナヒモヌフを失脚させる。


 いや待てよ。


 別の書物も入手できた。

 こちらも邪悪なオーラが。

 だがさっきよりも瘴気が薄い。


 精神を完全防御して本をめくる。


『同窓生2完全攻略本』


 アルフ出版。


 これはまた帝国ではお目にかかれないカラフルな色彩にあふれた、しかし異様にデフォルメされた少女のイラストが多数印刷されている。


 これもあってはならないもの。


 廃棄処分……


 いや、逆手に取るか。

 この下劣なものを貴族の間に流し、それを恥ずかしげもなく買いあさる連中をゆするネタとする。

 ついでに革命分子をたきつけて一気に帝国の病巣を取り除く作戦に出ることもできるか。


 ほかにも使い道はあるだろう。

 ゆっくり考えるとしよう。



 だがなぜか、この二つの邪悪な書物から懐かしいレイカの香りが漂ってくる気がする。


 気のせいだ。

 レイカがこのような瘴気にまみれたものと同次元であるものか!


 たまに

「二次元も懐かしいわ」

 などと言っていたことがあるが、それはもっと高尚な意味があるのだろう。


 私はこのまがまがしいものを、ごみ箱にごみを放り込むようなぞんざいさで、一番汚い書類棚に投げ入れた。


 ◇◇◇◇


 へえっ、くちっ!


 わたくしたち仲良し四人組は相談事をするためにイリーナちゃんの温室でお茶会をしております。


『顔面紅潮度、上昇中。対処策の必要性を認む』


「それはいけません、スターシャちゃん。このカゼ薬入りウイスキーボンボンを召し上がれなのです」


「それ。ものすごく美味しくな……。いえ、なんでもありません……」


 なにか異様な寒気がいたしましたが、この世には見てはいけない世界もあるとか。きっとどこかで薄汚い陰謀が繰り広げられているのですわ。

 この部屋も少し寒気がする雰囲気のは気のせいかしら。


 それはさておき、ウイスキーボンボンは甘さ控えめ、バランスが取れていてなんだか体が温まりました。


「そうですわ。イリーナちゃんのデビュタント、途中から嫡男として認めてもらえるような手続きと宣言を陛下にしていただくことにしません?」


 そうなのです。

 デビュタントしてから「実は男でした、てへっ」はさすがに通りません。


 わたくしでしたら何ともないのですが、か弱いイリーナちゃんには陰口はつらいでしょう。


 そこでお父さま経由で、その宣言を陛下にお願いすることをご提案いたしました。


「でもそれですと、陛下にお手間を取らせることに。ボクにはなかなか、でき……」


『その想定は愚問。秘密警察情報では、第二皇子派が秘密に到達寸前。早期のカミングアウトが最善手』


 わたくしのお父さまからも早い方がいいとダリアちゃんのお父さまにアドバイスが。


「デビュタントで最初にダンスを踊る方は婚約者だとか。イリーナちゃんの場合は難しいですわね。ザイツェフ少佐がパートナーですと男の子宣言した後、男同士の危険な噂が立ってしまいます」


 最近は、ベッカー家のツェツィーリアさまがB.L.教というものをひそかに立ち上げ、布教なされているとか。


 あのような不気味で耽美な世界に巻きこまれるのは遠慮しておきます。


「うきゃ。ぴええ~」


 なんですの。カエルの踏みつぶされたときのような声が。


『作戦変更要請。父殿より着電。第二皇子派に動き。海軍卿を抹殺できる見込み』


 振り返ると左手に小型プラカードを持ったナタリーが右手でサムズアップしていました。


 ナタリー。

 あなたがしゃべらないお気持ち、わかりましてよ。


 凛とした顔に似合わない可愛い声ですのね。でもお母さまのビデオにあったアニメ声というものとよく似ているので、好きな方も多いと思うのです。

 ギャップ萌えと言っていましたわ。


 これからは毎日発声練習、頑張りましょうね。




 ◇◇◇◇


 聖歴1941年6月5日の空戦日記


 お母さま、ついにデビュタントが来てしまいます。

 その前にイリーナちゃんの男の子宣言をしないとですけど。


 伯爵家令嬢ともなれば、これ以降、様々なお方から夜会のお誘いがまいるでしょう。


 いやです。

 嫌いです。

 行きたくありませんわ。


 きっとつまらなくてよ。

 貴族の方々の香水が嫌いです。

 あれで葉巻のにおいや体臭を消しているのでしょうから。


 下町のドブのにおいの方が、正々堂々とした清廉な臭さで素敵です。


 でも、スイーツが出てくれば我慢できるかしら。おいしいものが出てきたら、マリアにお願いしてバッグに入れてもらいましょう。


 新作のバッグはお母さまの不思議な板での情報によれば『キャディーバッグ』というものが一番素敵なデザインでした。


 ですので新作アイテムボックスはキャンディバッグと命名しましたわ。


 これでアイアンでできた一番から六番までの兵器アイテムがつめられます。二十ミリが一番アイアン。七.七ミリが二番アイアンです。


 次に撃つときが楽しみですわ。


 すこしおしゃれに、空だけでなく芝生の公園をお散歩したくなったスターシャより。

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