第48話 角の王降臨



 ケルウスは竜の眼をにぎりしめた。


(コルヌレクス。あなたのために捧げる歌だ。コルヌの魂をあなたの箱庭へ導いてくれ)


 ケルウスは神の一部だ。だからこそ知っていた。

 極世界にただ一人しか存在しない住人であるコルヌレクスは孤独をかこっている。だからこそ、彼の箱庭を訪う者が死んだとき、その魂を花に変え、永遠に愛でるのだと。

 花になれば、もはや生前のように語りあうことはできないが、かつて愛した者をかたわらに感じられる。それが重要なのだと。


 コルヌにも、その価値があるはずだ。


「神の世の神の庭の花の話。とこしえに咲きほこる一輪の花の語る。その物語。

 恋よりも甘く、殉教よりも苦く、嵐よりも激しく。その声。その笑み。そなたの思い出よ。黄泉へ離れても、白き翼となりて、この歌を届けよう。神の箱庭へたどりつきし、今は花となりし君へ。

 復讐の果て命散らすとも、誇り高き。その花ほどにかぐわしく、麗しいものはない。

 眠れ。神の庭で。

 君は咲く。

 われは歌う。

 永遠なる友情を。その物語を」


 竜の眼が金色に輝く。涙あふれるように、まぶしい光の波が満ちた。

 神の分身であるケルウスが竜の眼へ歌を捧げた。接点が働く。箱庭への道が瞬時にひらく。


 目の前に、コルヌレクスが立っている。

 黄金細工のような金色の鹿の角を頭上高く持ち、うずまくブロンドと鮮烈な青い瞳。そして左目には竜の眼をきらめかせる、比類なく麗しい青年。コルヌに似ているが、コルヌより雄々しく、神聖な気をまとっている。何者も近づきがたい。


 その神気だけで、邪神に冒されていたコルヌの死体は腐りおちた。無に帰す。ヒィヤアアと尾長鶏のような悲鳴をあげて、邪神は去った。


「接点をとりもどしたのだな? ケルウスよ」

「ここに」

「ならば、帰るがよい」

「おれはあなたの化身だ。だが、あなた自身ではない。そこに帰れば、一本の髪と一滴の血に戻るだけ」

「たしかに」

「だから、提案がある」

「私の髪と血が私に意見するか。まあ、いいだろう。そなたは人界を旅し、私にはない経験を得ている」


 ケルウスはうなずいた。神が自分の申し出に惹かれると確信を持っていた。


「おれはこのまま旅をする。そして、この接点を持って、あなたの目となろう。あなたは人界の各地をおれを通して学ぶだろう」

「悪くない」

「ただ一つ、条件がある」

「それは?」

「あなたの巫子であったコルヌが死んだ」

「やはり、散ったか。先夜、別れを告げに来た。彼をわが箱庭の花にしよう」

「彼の魂をこの接点に封じてつれていくことをゆるしてほしい。おれのこの体が死ぬまでのあいだだけでいい」


 コルヌレクスは考えこんだ。それには納得できないという風情だ。


「花は庭で咲くべきだ」

「しかし、あなたとて、おれの目で見たとき、となりに友がいたほうが楽しかろう?」

「だが、器がない。さきほど腐りおちた」

「……」


 やはり、説得できないのか?

 コルヌをまだ失いたくない。旅は一人より、二人のほうがいい。

 それに、コルヌだって、ほんとはもっと生きたかったはずだ。復讐のためだけに捧げられた人生など、悲しすぎる。


 ケルウスがなんとか神を納得させられる答えはないかと思案していたときだ。

 廊下から、ある人物が入ってきた。ウンブラかと身構えたものの、違っていた。


「スティグマータ?」


 例のごとく獣のようにうなり、クンクンと匂いをかぎながら、あふれる金色の光の源をたどっている。ふつうの人間なら、そのまばゆい輝きに目をやられ、二度と見えぬようになってしまうのに、スティグマータは平気なようだ。もともと、すでに視力を失っているからだろうか?


 傷だらけの醜い少年を見て、コルヌレクスは麗しいおもてをしかめた。


「初体ではないか。ひどいありさまだな」


 ケルウスは愕然とした。これまで、スティグマータとは何度も会っている。なのに、化身である自分が、同じ神の化身である初体に、まったく気づかないとは。


 しかし、それもしかたない。スティグマータの精神は完全に獣と同一で、その外形以上に、激しく損なわれている。神の威厳など微塵みじんも残されてはいないのだから。流した血が多すぎたせいか、年齢も退行している。成人の体には再生しきれなかったのだろう。


「あまりにもむごい。これは、もはや回収できぬな」と、コルヌレクスは自身のなかへとりこむことをこばんだ。


 だが、初体は帰りたがっている。ツライだけの人生だった。もうここに存在していたくないのだろう。


 とつじょ、ケルウスはひらめいた。


「そうだ! こうすればいい!」


 見えない目から涙をこぼす初体の傷だらけのまぶたの下に、ケルウスは竜の眼をグイグイ押しこんだ。


「何をする。接点を持たせれば、痛みの記憶が私に見える」


 当然、神は不満を言うので、

「なれば、ここにコルヌの魂を封じてはいかがです? コルヌの高潔な精神を通せば、痛みもやわらぎましょう」

「……そなたもズルい人の技をおぼえたようだな。ケルウス。まあ、よかろう。いたしかたない」


 コルヌレクスが初体を抱きあげ、その左目にくちづけると、神の放つ光が優しく少年を包んだ。神の箱庭に咲いた一輪の花が接点にこめられる。白銀に輝くガラス細工のような花。コルヌの魂だ。


 コルヌの魂を得ると、初体が変化し始めた。背が伸び、傷が消え、長い白銀の髪のコルヌの姿になる。初体の心は壊れ、獣のように単純化されていたので、コルヌの魂のなかにとりこまれたのだ。


 コルヌが自身の体を見おろしつつ、つぶやく。


「私は……生き返ったのか?」

「いや。おれと同じ、神の化身として生まれ変わったのだ」

「よくわからないが、おまえの歌が聞こえた。おまえが私を呼んだ」

「ああ」


 コルヌレクスの姿は急速に遠のく。金色の光の帯だけ残して去っていく。



 ——ケルウス。そなたの望みは叶えた。代償に歌うのだぞ? よき旅の歌を所望する。



 神はまたあの箱庭で、一人、花を愛でるのだ。長い孤独の日々のなか、ケルウスの歌声は深い癒やしとなるだろう。そのくらいは、お安いご用だ。

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