第43話 時空のはざま



 初体の血が流れた呪われた地は、カエルム上では井戸のある中庭に位置していた。


 悲鳴が聞こえるのは建物のなかだ。

 本来ならカエルムにはない柱廊が中庭をかこんでいる。カエルムだけではない。この構造はマグナの後宮のようだ。ノクス王の宮殿も一部重なっているらしい。


「なんだ? 何が起こってる?」


 とにかく、コルヌが心配だ。コルヌが初体なら、もうツライ思いはさせたくない。


 柱廊をよこぎり、建物内へ入る。そのとたん、前からラケルタが歩いてきた。なぜ、カエルムにラケルタがいるのか。この空間は変だ。


「ラケルタ」


 声をかけるが、ラケルタはこっちに気づいていない。髪の乱れなどなおしながら、少し浮かれている。どうも、ケルウスが見えていない。


 ラケルタの心の声が聞こえる。



 ——やっとエブルを落とした。これで、私の後宮での地位もかたまってきたな。できれば正妃の寵愛を受けられれば……。


 ——私の父はイグニス王の信頼あつい宰相だったからな。ノクス王陛下にはご心象が悪かろう。ウンブラを使えるだけではダメだ。もっと確固たる足場がなければ。


 ——しかし、せっかく私の手駒にしたのに、次々、女が死んでいく。いったい、どこの誰が殺しているんだ? 迷惑きわまりないな。



 空間だけではない。時間もゆがんでいる。これは過去。まだ女官たちが連日殺されていたころのようだ。


 そこに悲鳴が響きわたる。さっき中庭で聞こえたのは、これだったのだろうか?


 女の声だ。

 ラケルタがハッとしたようすでひきかえしていく。ケルウスもついていった。ラケルタが一室の扉をひらき、かけこむと、女が血だらけで倒れていた。やや気の強そうな眉だが、なかなかの美人だ。衣装も豪華で、銀細工の冠をつけている。


「エブル!」


 これが殺されたという王の愛妾エブルか。

 だが、室内にいたのは、彼女一人ではない。血にぬれたナイフを手にエブルを切り刻むもう一人の女。


 信じられない思いで、ケルウスはその人を見た。


(まさか、これが、後宮で夜ごと女たちを切り裂いていた殺人鬼だと?)


 ラケルタも大きな打撃を受けていた。


「なぜ……なぜ、おまえが……」

「ラケルタさまはわたし一人のものです! もうほかの誰のところにも行かないで。わたしのそばにだけいて。わたしだけを愛して!」

「よるな……鬼女!」

「なぜですか! あなたをもっとも愛して、もっとも理解しているのはわたしです。なのに、あなたがほかの女にばかり目移りするから!」


 とつじょ、昼になった。時空がさらにゆがむ。場所も後宮のゲート前だ。ケルウスが別れた直後のラケルタである。そのかたわらにはがいる。


「わたしがついています。あなたのためなら、どんなことだって——」

「陛下が亡くなられたのだぞ。後宮の女になど、もうなんの価値もない!」

「ラケルタさま……」


 あッと思ったときには、彼女はふところから血に黒ずんだナイフをとりだしていた。その切先をつきつけ、ラケルタにむかっていく。


「ヘルバ!」


 ケルウスとラケルタは同時に叫ぶ。

 宮中の殺人鬼。それは白い可憐な花をつける雑草のようなヘルバだ。ラケルタにあれほどつくしていた彼女が、嫉妬にかられて罪を重ねていたのだ。


(しかし、だとしたら、ノクス王を殺したのは? あれはヘルバではない……)


 悲しい終わりが近づいている。そんな気がする。


 ラケルタはどうにかヘルバの凶刃をよけた。そこへ、フィデスがやってきて、剣をぬいて応戦する。このフィデスは現在のカエルムにいる彼女のようだ。時間が何重にも重複して、ややこしい。


 ここはフィデスがいれば心配ないだろう。

 ケルウスはコルヌを探して走りだした。


「コルヌ! コルヌ!」


 コルヌレクスの初体。

 ケルウスと同じ神の分身。

 だから、コルヌに会った瞬間から、説明のつかない親しさを感じたのだろうか?

 もとは同じなのに、今はまったく異なる魂。長い孤独も彼と二人なら、きっと退屈しない。


 なんとなく、目の前を暗闇で覆う感覚があるのだが、それには気づかないふりをする。


 そんなわけはない。そう。きっと、あれはウンブラが一人でやったことだ。そうに決まってる。ウンブラがなぜ、ノクス王を殺し、王都を滅ぼす必要があったのかはわからないけれど……。


 ふたたび、悲鳴が響く。

 今度はなんだというのか?


 娼館の女たちがさわいでいた。ケルウスが走っていくと、廊下を巨大な蛇が這いずっている。以前に戦った、ノクス王の死体でできた人蛇と同様のものだ。


 魔法生物。

 ウンブラの術だ。

 今度のソレはケルウスも知った人物の顔をしている。


「これは……セルペンスか?」


 カルエムの娼婦の一人である。セルペンスは女たちに襲いかかり、喰らおうとしている。


 ケルウスは歌った。

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