第42話 初体の呪い



 ドラコレクスの影が消えたので、レクシアの村を覆っていた忌まわしい魔法も解けた。さまよっていた死者の霊がいなくなっている。


 だが、それならなぜだろう?

 村からは、まだ禍々しい気配がただよっている。


 神殿だ。やはり、初体が襲われた神殿から、その気配はする。あの場所を呪われた地に変えたのは、殺されたコルヌの怨念だろう。


(初体は死んだのか? おれは、あるいはコルヌがそれではないかと思っていたが)


 娼館のコルヌ。名前だけではない。姿形もコルヌレクスに似ている。化身であるケルウス自身よりもだ。ケルウスは初体での失敗から、用心のため、より人間らしく作られた。外見もコルヌレクスのそれとは変えてある。


 コルヌは襲われたあと、どうにか生きのびた初体。そうでなければ二体めではないかと思う。ケルウスの再生能力におどろいていたから、なぐられた衝撃で記憶をなくしてしまったのか?


 とにかく、呪われた地へ行ってみよう。


 神殿へむかうあいだ、ずっとつけてくる者がいた。ふりかえっても姿は見えないのだが。


(まといつく空気。魔術師か?)


 神殿についたときには、完全に夜になっていた。竜神の魔法が解けたせいか、今日は月光が明るい。おかげで視界には困らない。


 以前にはまだ生き残りがいたノクス王の軍勢は、もう誰も生きてはいなかった。テントのまわりで死んでいる。あれから半月は経過しているのだ。食料もつきたのだろう。


 神殿へは入らず、中庭へまわった。コルヌの初体が襲われた場所だ。初体の流した血がしみついている。

 以前には竜神の幻視にジャマされ見えなかった過去がよく見える。


 うしろからなぐられ、昏倒しているうちに、接点である竜の眼を隠すためにつけていた黄金の眼帯を外された。

 その瞳を見た男は急に恐怖しつつ、自身の悪事を正当化するために、かえって残虐に初体を襲う。右目をえぐりだし、そればかりか、全身をめった刺しにしたのだ。

 とくに美しい顔を重点的に。それは神性の発現そのものだったから。人間はなぜか、神聖なものほど穢したくなる不思議な生き物だ。


(哀れな……)


 ケルウスは幻視として見るだけだ。五感を共有するわけではない。だから、このとき初体が受けた痛みや苦しみまでは感じない。

 それでも、彼の恐怖や苦痛の激しさ、みじめさ。憎悪。それらが手にとるようにわかった。


(彼は神だったのに)


 永遠に時のない箱庭から外へさえ出なければ。本来の彼でさえあれば。

 誰にもこんな仕打ちをさせはしなかった。念ずるだけでしりぞけ、天罰をあたえられたのに。


 無邪気で無垢で、人の恐ろしさを知らなかった神は、ここで殺された。


 ゆいいつ、ふれあったドラコレクスのような高潔な師や、親しき友と出会うことを夢見て旅立った幼心おさなごころの神に対する、初めての人の所業がコレなのだ。人とは、なんと傲慢で身勝手で愚かな生き物なのか。


(この苦痛の記憶は、どっちみち、コルヌにはふさわしくない。これを回収したら、他者を憎悪するだけの魔神となってしまうだろう)


 かつて歴代の極管理者のなかで、たった一柱。邪悪に堕ちた神があるという。ケルウスも名前しか知らないが、その神の統べた三千世界は、極悪非道がはびこり、疑心暗鬼の人間たちが、つねにだまし、だまされ、それはもう凄惨なありさまだったという。悪徳こそが善であり、冷酷が美徳であり、たえまない戦火はまるで宴であったと。


 それらを陽動し、そそのかし、笑う神。

 コルヌにそんな神になってほしくない。


「竜神は花の女神と旅立ち、ただ残る。殺されし神の化身の呪い。晴れることなき血の饗宴きょうえん。今こそ、聞け! 堕ちし神の嘆きを——」


 ひとしきり竪琴を奏でたのち、ケルウスは地面に伏し、初体の流した血に接吻した。せめてもの葬礼のつもりであった。が、その瞬間、きわめて鮮明な幻視が立ちあがった。


 雪のなかに倒れた初体の、完膚かんぷなきまでに破壊された遺体が、再生されるさまを。

 殺戮者が背をむけた瞬間だった。すべての手足の骨が粉々にくだかれているのに、それは立ちあがり、殺戮者の喉笛にかみついた。血肉をむさぼり、その肉を使って、急速に自身の傷を治していった。


(死んでいない? 初体は、生きている)


 やはり、コルヌがそれなのだろうか?

 だが、それなら、接点を奪いかえせば、彼はコルヌレクスとの同調を復活できるはずなのに。殺戮者からとりもどさなかったというのか?


 そのときだ。

 とつぜん、何者かの魔術が働いた。神殿の敷地全体が大きくゆらぐ。

 空間が飛んだ。別の空間と重なる。カエルムの内部だ。そこは竜の神殿でありながら、娼館カエルムでもあった。二つの異なる場所が魔術上、同時に存在している。


 カエルムのなかには悲鳴が響きわたっていた。

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