第38話 レクシアの怪



 昼日中だというのに、おびただしい数の亡霊が、あたりまえに、そのへんをウロつきまわっている。この世の終わりのありさまだ。



 ——助けてくれェ……。

 ——おれ、どうなってるんだ? 首が痛いんだ。

 ——目が……目が見えん。



 灰色の顔をし、なかば透けた人影。目や口から血を流しているが、その色も黒い。


「不気味だな。わたしは幽的はあまり得意ではないのだが」と、フィデスは顔をしかめる。


「こいつらは無視しておけばいい」


 とは言え、気味が悪いのはたしかだ。

 村の住人はどうしているのだろうか? おびえてはいないのか?


「カエルムのみんなはどうしてるだろう。行ってみよう」

「カエルム?」

「……なじみの宿だ」


 なんとなく、娼館と言えば、フィデスの機嫌をそこねる気がした。グレーの亡霊をさけつつ、カエルムまで行くと、案の定、フィデスの目が冷たい。


「……おまえの言いたいことはわかる。しかし、これには事情があって」

「別にかまわないとも。わたしはおまえの護衛を任されているだけだ。というか、レクシアに到着したのだから、わたしはもうマグナへひきかえしてもいいのだよな? 亡霊に気をとられて、ついついここまで来てしまった」

「日没まで、もうあまり時間がない。夜になると竜の影が動きまわり、街路にいる者すべてを殺戮さつりくしていく。建物のなかにまでは手出ししてこないから、おまえは今夜、この宿に泊まったほうがいい。夜が明けてから帰れ」


 そんな話をしながら、表口まで来たときだ。扉にすがりつくような形で人が倒れている。コルヌだ。


「コルヌ! しっかりしろ!」


 大急ぎで馬をとびおり、かけつける。まさかもう死んでいるのかと気が気じゃない。が、抱きおこすと息があった。


「コルヌ! コルヌ!」


 呼びかけると目をあける。


「ケルウス……」

「よかった。無事だったんだな? 怪我はないか?」

「……」


 コルヌはケルウスを見ると微笑んだ。


「また会えると思ってなかった」

「ああ、まったく。おまえはなんでこう、魔術師にさらわれるんだ? アクィラは?」

「たぶん、竜のところへ行った。すきを見て逃げだしてきたから」

「そうか」


 コルヌが弱っているので抱きかかえる。扉をたたくと、なかから恐る恐るといったようすで、グラキエスが顔を出した。


「コルヌ。お客さん。早く、なかへ」


 招き入れられるが、娼館のなかも空気がよどんでいた。もう何日も閉めきっていたようだ。


「グラキエス。娼館のみんなは無事か?」

「うちはなんとか。コルヌの残してくれた金で食料を買いこんでましたのでね。中庭に井戸もある。ですが、よその連中はどうなったことか」


 たしかに、昼のあいだ害はないとはいえ、あれだけの数の霊が歩きまわっていれば、まともな人間なら恐ろしいだろう。外へは出られない。この状態が長く続けば、村人は店へも畑へも行けず、餓死してしまう。


「グラキエス。コルヌの部屋に飯を持ってきてくれ。腹ごしらえしたら、おれは行く」


 コルヌがひきとめる。


「ケルウス。今から行くのは危険だ」

「だが、アクィラを止めないと」


 コルヌと会えたのは嬉しい。だが、アクィラがマグナを灰燼かいじんに帰すために魔法を使ったとき、コルヌを生贄にしたのなら、このままではどっちみち死んでしまう。

 あの夢の内容も気になった。


「コルヌ。おまえ、おれに隠しごとはないよな?」

「何を?」

「たとえば、夢を見ないか?」

「どんな?」

「コルヌレクスの箱庭を訪う夢だ」

「……知らない」


 ほんとか嘘かわからないが、コルヌはただ優しい笑みを浮かべる。


「ケルウス。サーガはできたのか? 私のために歌ってくれると約束しただろう?」

「すまない。まだ途中までしか」

「歌ってくれ」


 ちょうど料理が運ばれてきたので、なつかしい女たちと飲み食いしながら、ケルウスは竪琴をひいた。

 だが、コルヌのようすには奇妙な違和感をおぼえる。やはり、何かを隠している。死を決意したような風情。余命ひと月と知った人であるかのような。


 こんなようすのコルヌをほっとけない。ケルウスがいなくなると、何かしでかしそうで目が離せない。


 迷ったが、ケルウスは神殿へむかうことにした。日が暮れたら竜の影が村を歩く。しかし、逆に言えば、そのぶん、神殿は魔法の影響が少なくなるのではないかと考えたからだ。


「フィデス。おまえは翌朝発つんだろう? 不本意かもしれないが、今夜一晩、コルヌを守ってくれ」


 ケルウスの決心を感じたのか、フィデスは黙ってうなずく。

 コルヌだけが悲しそうだ。


「行くのか? ケルウス」

「ああ。アクィラと決着をつける」

「必ず帰ってきて、私にサーガを聞かせてくれ。ちゃんと最後までだぞ?」

「……」


 それまで、コルヌのほうこそ、生きていてくれるのだろうか?

 ケルウスはわかっていた。あの夢で見た人物、あれはコルヌだ。コルヌレクスと話していた巫子。もうじき散る花。魔法の贄に自らなったのだと。


「おまえを悪しき魔法から解放する。だから、待っていてくれ」

「なぜ、そうまでして私を救おうとする? 以前、私が竜の影から助けた恩返し?」

「おまえは初めての友だから」


 コルヌは少女のように優美なおもてに忘れられない微笑を刻む。


「行ってらっしゃい。おまえの帰りを待ってるよ」


 うしろ髪はひかれるが、ケルウスは竪琴を背に夕暮れの街路へとびだした。

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