第27話 化身する
背後から、ヒタヒタ、ズルズルとイヤな音が近づいてくる。
前からは泥人形。しかし、背後の気配は泥人形のそれではない。
「妙だな」と、フィデスもつぶやく。彼女は戦士の勘が卓越している。
「何かが迫っているな?」
「そのようだ」
ケルウスは弦を弾く。和音を奏でるだけで、前方の泥人形は倒れる。が、まがりかどのむこうからの気配は、とどまることなく追ってくる。
何かがさっきまでと違う。
あのまがりかどを越える前、魔力の波動が高まった。魔法が一段階あがった。
(この後宮全体を包む魔力。少しずつ強固になっている?)
力が増していく魔法。
そんなものがあるのだろうか? たいていの魔法は一回きり、かけすてのはずだ。
「フィデス隊長。急ごう。イヤな予感がする」
「うむ」
そのとき、視界の端を何かがよぎった。青白い影。天井あたりにとびつき、消える。よく見れば、周囲の壁が動いている。
「壁が……?」
いや、壁じゃない。壁の上を何かが這っている。あまりにもその数が多いので、壁じたいがゆれて見えるのだ。
「何かいる」
「ケルウス。歌え!」
フィデスに言われ、ケルウスは竪琴を弾いた。だが、壁のシルエットはほんの少し動きを遅くするものの、泥人形のように、音色で一撃にできない。
「ダメだ。ほとんどきいてない」
あきらかに泥人形とは違う。
フィデスは命じた。
「しかたない。進むぞ。なんとか、ふりきる」
一丸となって走る。
角が見えてきた。
そこをまがれば、あと少し。
そう思った瞬間、まがりかどのむこうから、泥人形の集団が現れた。ケルウスの歌で、もろくも崩れる。
が、崩れたとたん、そのまま、形を変えた。なかの死体が血管を浮きあがらせながら、巨大化する。いや、大きさではない。羽だ。腕のつけねからコウモリのような羽が伸びるのだ。爪もするどくなり、獣じみた牙が生えた。
「これは……ハーピー?」
人間の死体でできた人鳥だ。まわりの壁にしがみついているのも同じだろう。ケルウスたちに正体を見やぶられると、いっせいにとびかかってきた。羽をたたみ、天井から急降下してくる。
「——一輪の花の語る、その物語。昔、花が人だったころ。翼持つ竜の神が舞いおり、卵をもたらした。卵は人々を争いへ導いた」
やはり、効果が薄い。
一瞬、ヤツらはためらい、壁にとまる。が、次の瞬間にはふたたび襲いかかってくる。
「フィデス隊長、頼む!」
「全体、円陣を組め! 槍隊、頭上から来る敵を攻撃。剣隊は左右前方を攻めよ!」
フィデスの判断は的確だ。それでも、敵の攻撃力が格段にあがっている。さっきまでの弱々しい泥人形とは根本的な強さが異なった。兵士たちはしだいに押される。
「うわー!」
「やられた!」
数名が深手を負った。隊形が目に見えて崩れる。倒れた兵士がわめく。
「イヤだ。死にたくない! 誰か助けて……」
「もっと、強く……強くなれたら……」
ききめが弱まっているとは言え、ケルウスは竪琴をかきならし続ける。だから、最初の変化を見逃していた。
とつぜん、兵士たちが悲鳴をあげたのは、人鳥に襲われたせいではなかった。もっとおぞましいことが目の前で起こったからだ。
演奏に集中していたケルウスがふりかえったときには、床にころがり瀕死だった兵士の体がグニャグニャと飴のようにゆがんでいた。
(な……何が起こってる?)
泥人形のときのように、泥をかぶったわけではない。何がキッカケになったのかわからない。ハーピーの爪でえぐられたからだろうか?
忙しく考えをめぐらしているとき、またアレが始まった。激しい衝撃波。魔法の波動が急激に高まる。
(また段階があがった?)
形がゆがんだまま、瀕死の男たちが巨大化していく。天井をつきやぶるほどに。
残る兵士たちが悲鳴をあげた。
「わあッ! なんだ、コイツら?」
「なんで、なんで、みんな化け物なんかに——」
ケルウスの前に幻覚が降りる。
女官たちの姿だ。今ではない。もっと以前の日常生活。大勢の女たちの他愛ない会話や食事、着替えをするさまが、走馬灯のようにかけめぐる。
——お化粧するのもいいけどさ。もうちょっと鼻が高けりゃねぇ。
——贅沢言ったって変わりゃしないよ。
——だってさ。エブルだって、位の低い女官だったのに。急にキレイになって。ズルイよねぇ。あたしだって、もっとキレイになれたら……。
——もっとキレイに。キレイになりたい。
——キレイになりたい!
願いの力が女を変える。まるで化身するように、目に見えて美しくなる。思いが強ければ強いほど、その力は強まる。
(願えば姿が変わるだと? そんなバカな)
魔法だ。魔法でないと説明がつかない。
ケルウスはひらめいた。
(変化の魔法か? 人間が泥に変わった。死体が人鳥に。さらには、兵士が巨人に)
後宮を結界にして、変化の魔法が敷かれている。
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