六章 後宮大魔法
第26話 迫る泥人形
泥のオバケがとびかかってくる。同時に、槍兵士が武器をつきだし串刺しにした。とたんに、泥人形はドロドロと崩れる。
「なんだ。あっけない」
「コイツら、見かけだおしだ」
兵士たちはそうと見て、こちらからふみだし、次々に泥人形を切りふせていく。もとは女官だ。人間に戻る可能性だってあるのに、容赦がない。
「隊列を乱すな。吟遊詩人。おまえは我々のなかにいろ。このまま、陛下のご寝所まで走る!」
フィデスの号令で、隊は走りだす。ケルウスは二列縦隊のあいだに入った。泥人形は動きがのろいので、なんなくかこみをやぶれる。ただ姿が不気味なだけだ。
誰もがそう思い、安堵していた。いや、むしろ、油断だ。
進むにしたがい、泥人形の数が増えてきた。逃げ遅れた女官がすべて、この化け物に変化してしまっているなら、かなりの数におよぶ。半分残っていたとしても、およそ百体。それらが戦闘の音を聞きつけて、しだいに集まってくる。
さしも戦いなれた兵士たちでさえ数で押される。一人が両側からしがみつかれて、一体は切りすてたが、もう一体に腕をつかまれた。
すると、さわられたところから、ズブズブと男の腕が泥にとりこまれていく。皆の見ている前で、男はみるみるうちに全身、泥まみれになった。
「お、おい……」
「大丈夫か?」
「しっかりしろ!」
助けおこす仲間にも、瞬時に泥がかけのぼった。二人、泥にまみれてケイレンする。
「息ができないんだ。今、助けるぞ!」
さらに、口まわりの泥をはらおうとした男にも泥がひろがる。
異変を感じて、フィデスが命じる。
「待て。おまえたち。さわってはならぬ!」
が、そのときには遅かった。泥にまみれていた三人のケイレンがやむ。それとともに、三人は起きあがった。そのまま、こっちに襲ってくる。
「おまえたち、なんのつもりだ!」
「わあっ! やめろ。こっちに来るな!」
さっきまで仲間だった者に抱きつかれると、その兵士も泥に染まる。そして、理性を失い、やみくもに襲いかかる。
ケルウスは叫んだ。
「ふれられるとヤツらと同じものになるんだ!」
泥人形は伝染していく。倒すのは容易だが、ほんの少し、はねた泥がつくだけで、彼らと同化してしまう。
「走れ! 陛下の部屋まで、とにかく走れ!」と、フィデスは言うが、前方にも多くの泥人形が樹海のキノコのようにボコボコ立っている。その数は五十か? もはや、全滅は必至だ。
(くそっ。こんなところで……)
ケルウスは歯噛みした。あるいは、ケルウスだけは泥化しないかもしれない。たとえ、肉体的にはただの人間でも、もともとかかった変化の魔法は、人間の魔術師の魔法などより、はるかに強力だ。
とはいえ、ここでまわりじゅうが泥人形になれば、いずれ捕まり、泥で覆われて窒息する。そう。窒息死はするだろう。
(どうする? おれの剣は昨日、人蛇に壊されたし……)
それで、ハッと気づいた。そうだった。ケルウスの竪琴には、魔法生物に対する攻撃力がそなわったのだ。アクィラの魔法がまだかかっているとすれば、だが。
「神の世の神の庭の花の話。とこしえに咲きほこる一輪の花の語る。その物語——」
弦をかきならすと、泥人形たちは悲鳴の形に口をあけ、バタバタと倒れる。見れば、泥がとれて人に戻っている。
「おおっ! 魔法が解けた!」
「スゴイな。詩人」
「仲間は無事か?」
だが、兵士の息をたしかめたフィデスは首をふる。
「ダメだ。心の臓が止まっている」
やはり、そうだ。さきほど、兵士たちが泥人形になるとき、その前にケイレンした。あのとき、すでに命はつきていたのだ。
「フィデス隊長。急ごう。また泥人形が集まってくる」
ケルウスが進言すると、フィデスはうなずいた。冷静だし、胆力もある。
「陛下の救出が最優先だな。詩人、おまえは我々が守る。泥人形が来たら、すぐに歌ってくれ」
「わかった」
三人ならば、犠牲は少ないほうだ。きっと、あのままなら全滅していた。
ようやく、角を一つまがった。このさき、もう一つの角を越えて、ようやく王の寝所だ。まだ油断はならない。
廊下のさきには、また泥人形が数体見える。が、ケルウスが歌えば、それらは死体に還る。泥がはがれ、丸太のように倒れる。いくら死んでいるとは言え、後味が悪い。
「助かる。詩人」
「ケルウスだ」
「しかし、後宮になぜ、このような魔物が?」
「誰かの魔法だな」
「ウンブラか?」
「わからない」
もうこのまま、王の寝所にむかうだけ。泥人形は脅威ではないと思っていた。
しかし、そうではなかったのだ。ヒタヒタと足音が背後から迫る。
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