第24話 ラクの悲劇
*
夜明けにラクは目ざめた。いつも外が明るくなると同時に起きて、働きだす。でないと、叱られるからだ。台所長が起きてくる前に、竈に火を起こし、水瓶をいっぱいにしておかないといけない。そのあとは掃除だ。はたきをかけて、床をはく。みんなが起きてきたら洗濯。午後からは、たきぎ運びや洗濯物のとりこみ。ほかにもあれこれ。
毎日、重労働だ。
でも、今日からは違う。昨夜、優しくしてもらったから。ツライだけの毎日に少しだけ幸福な時間ができた。
ラクはケルウスから貰った櫛をとりだし、それで髪をといてみた。髪をとくなんて、何年ぶりだろう? 売られてきてから初めてだ。いや、その前だって、貧しい家には櫛なんてなかった。
初めはひっかかって、なかなかとけなかった。それはそうだ。ずっと放置してからんだ髪だ。洗髪も井戸水でぬらすだけ。
でも、気長に櫛目を入れると、だんだん、ほぐれてきた。ボサボサだった髪がサラサラになると、気持ちもほぐれた。なんだか、自分が変わったような気がする。
嬉しくなって、仕事に励んだ。しかし、あたりが明るくなると、やってきた台所女が、ラクを見て腰をぬかした。目を丸くして、こっちを見ている。ラクのアザはもう見なれているはずなのに、今日にかぎってなんだろうか。
悲しくなって、ラクは急いで外へ出た。水をくんで、洗濯もしなければ。洗濯場へ行くと、そこでも下女が目をみはる。
なんだかおかしい。みんなのラクを見る目がふつうじゃない。
ラクは自分の顔に何かついているのかもしれないと考えた。しかし、みんな、いつも、ラクの顔が泥まみれだろうと、灰をかぶっていようと、まったく気にしないのだが。
変に思いながらも、仕事を続ける。中庭を通ったときに、見まわりの兵士が口笛を吹いた。ラクは未経験の反応にこわばってしまう。
「ヒュー。すげぇ美人」
そのまま、つっ立って、こっちを見ている。いったい何を言っているのか。わけがわからない。
ラクが走って逃げると、まわりの兵士たちがみんなふりかえる。
「待てよ。君。名前は?」
「こんな子がいたっけ?」
「おいおい。よしとけ。これだけ美人だ。きっと、陛下のお目にとまる。手を出したとわかったら首を切られるぞ」
ドキドキしながら、後宮へ逃げ帰った。ここなら、男は入ってこれない。
「ラク! あんた、何グズグズしてたんだい? さっさと掃除して——ヒャアア!」
怒鳴りつけてきた女官が、ふりかえったラクを見て悲鳴をあげる。まわりの女官たちもよってきて、驚愕した。
「ラ……ラクかい? あんた、どうしたの?」
「これがラク? そんなわけあるかい」
「でも、でも、この背丈と言い、服と言い……」
やっぱり、変だ。
ラクは廊下にかかった鏡まで走った。そこに映る自分を見て、愕然とする。
(これが……これが、あたし?)
信じられないくらいキレイになっている。顔のアザが消え、つややかな黒髪が輝いていた。
「あたし……どうしたの?」
そうだ。きっと、あの櫛だ。あの詩人はほんとは魔法使いだったに違いない。親切にしてあげたから、お礼にキレイになる魔法をかけてくれたのだ。
嬉しくなって、ラクは櫛をにぎりしめた。
それを見た女官たちが、嫉妬や羨望の入りまじった目でつめよる。
「なんだい? おまえ。ガキが急に色気づきやがって」
「こんな安っぽい櫛なんか、どこで手に入れたんだか」
「下女にはお似合いだがね。あんた、さては盗んだんだろう? だって、おまえは買われてきた下働きだから、お給料なんてもらってないだろ?」
「イヤな子だね。誰のぶんをとったんだい? 正直に言いなね」
口々に責めたてながら、ラクの手から櫛をとりあげた。
「やめて! 返して!」
ラクにとって、たった一つ、この世の苦しみを忘れさせてくれる、ようやく手に入れた宝物だった。必死にとりかえそうとしたが、大人の女たちが次々に手渡ししていくので届かない。
「返して、返して」
泣きながら訴えた。だが、今までさんざんバカにしてきた下女が、急に自分たちより美しくなったものだから、女たちの妬みはやむことがなかった。ウッカリを装って櫛を落とし、さらにふみつける。パキリと音がして、櫛は二つに割れた。
「ヤダ。壊れちゃったー」
「あはは。あんた悪い人だねぇ」
「わざとじゃないよ。ごめん、ごめん」
「もういいじゃない。さ、仕事しましょ」
女たちが笑って立ち去ろうとする。
ラクのなかで、何かが悲鳴をあげた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます