第22話 召使いラク



 魔術で作られた閉ざされた空間が、布のように裂ける。

 とびだしたケルウスは、ギョッとした。一難去ってまた一難だ。暗い廊下に明かりが近づいてくる。それも一つ二つではない。十はある。手燭を持った女官の集団だ。


「そこにいるのは誰です? まさか、男? この後宮に男が?」

狼藉ろうぜき者ですわ!」


 しまった。自警のために、男の入れない後宮内は女官が見まわりしていたのだ。

 急いで角をまがる。このさきの中央あたりへ行けば、王の寝所があるはずだ。


 しかし、足音がすぐあとに迫っている。とてもそこまで逃げきれない。


 せっかく、ここまで来て、コルヌに会うこともできず、捕まってしまうのか?

 後宮への不法侵入だ。死罪に該当するだろう。無念すぎる。


 と、そのときだ。

 前方の扉がひらいた。すきまから白い手が、おいで、おいでをするので、またアクィラかと思う。ところが、部屋のなかへ入ると違っていた。目の前にいたのは少女だ。位が低いのか、みすぼらしい服装をしている。それに、よく見れば、部屋ではない。物置だ。宮廷で使う豪華な調度類や木箱などが棚に整然とならんでいた。


「おまえは——」

「しっ」


 息をひそめているうちに、女官の集団は扉の前を通りすぎていった。


「助けてくれたのか。ありがとう」


 薄暗いのでよくわからなかったが、どこかで見た顔だ。身長がだいぶ低いことから考えて、まだ幼いのだろう。


「いえ。昼間、助けてもらいましたから」と、子どもは言った。


「ああ、井戸で水を運んでた子か」


 子どもを助けたと言えば、そのときしかない。水運びはそうとうの重労働だ。大人に命じられてたった一人でやらされていたので、手を出さずにはいられなかった。


「中庭で獣狩りの隊のなかにならんでたでしょう? だから、何かお役に立てないかと、ようすを見ていたんです」

「しかし、おれが建物まで入ってくると、なぜ予測できた?」

「おつれの人が、魔術師にさらわれたの、見てたから」


 なるほど。廊下のまんなかで拉致されたのだから、誰かが見ていてもおかしくない。というより、たぶん、親切にしてもらったので、ケルウスたちのあとについてきていたのではないだろうか?


「そうか。ありがとう。助かった。しかし、危険だ。もう自分の部屋へ帰りなさい」


 ケルウスが言うと、少女は目を伏せた。


「あたしの部屋はないの。いつも、ここで寝ているんです」

「えっ? ここで?」

「ここなら、予備の古い布団があるから」


 かたすみにつまれた布団を少女はさす。


「あたしの家は貧しくて、親に売られたんです。でも、とても醜いから、下働きしかできなくて」


 昼間に見た少女の容貌を思いおこす。顔の半分に赤いアザがあった。たしかに、容姿の美しさを競う後宮では致命的な短所だ。アザさえなければ可愛い顔立ちなだけに哀れを誘う。


「つらいことも多いだろうが、気の持ちようだ。いい日も、きっとある」


 気休めにすぎない励ましを言う。現実はそんなに甘いものではないと知ってはいたが。


 竪琴を背負いなおして、ケルウスは外のようすをうかがった。女官たちの声はかなり遠くなっていた。建物の反対側へ移動してしまったらしい。


「では、おれは行く」

「あの」

「なんだ?」

「お名前を教えてください」

「おれは、ケルウス」

「わたしはラクです」

「ラクか」


 牛乳の意味だ。たしかに、アザのないほうの頬はミルクのように白かった。


「ラク。おまえに、これをあげよう」


 ケルウスはふところから手作りの木のくしをとりだした。ラクがボサボサの髪をしていたので、せめてもの心づかいだ。


「ではな」


 ラクと別れて、廊下へすべりだす。今のところ人影はない。女官たちが大々的に調べだす前に、王の寝所へたどりつかなければ。


 ありがたいことに、今回はちゃんと壁にいくつか扉があった。さっきの物置のようなものか、それとも、妃や王の子どもたちの部屋か。どちらにせよ、魔術の空間ではない。中庭からの月明かりもさしている。


 王の寝所はひとめでわかった。ほかとは違う華やかな彫刻が扉にほどこされ、色もぬられている。位置も廊下のなかほどだ。


(ここに間違いないな)


 コルヌは無事だろうか?

 王に残酷なあつかいを受けてなければよいのだが。あるいはウンブラにあやつられて、王に危害をくわえてなければ……。

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