五章 後宮からの脱出

第21話 対決の蛇



 壁の一部が細くひらいている。そこから白い手が手招きしていた。


(誰だ?)


 いや、そんなこと気にしている場合じゃない。さっきまでなかった扉がひらいているのだ。一か八か、逃げこむしかない。


 人蛇は余裕を見せているつもりか、油断しているのか、ケルウスの背後のギリギリ舌が届かないあたりで追っている。まだ、あの手首に気づいていない。


 そこまで走っていく体力は、もはや残っていなかった。近くまで歩みより、よろめいて壁にもたれかかるふりをする。そのまま、クルリとすきまに入りこんだ。バタンと扉を閉ざすと、外で咆哮ほうこうがとどろいた。悔しくてならないふうだ。ドンドンと巨体をぶつける音もする。が、壁はビクともしない。


(助かった……)


 ひとまず、これで蛇に丸飲みされる心配はない。が、だからと言って安全ではないだろう。


 壁にもたれたまま、ケルウスは暗闇を見まわした。手首のさきには人間の体がついているはずだと考えて。


「誰だ? おれを助けてくれたのか?」

「うむ。そなた、コルヌのアレだろう?」

「コルヌのアレって、なんだ?」

「アレはアレだ。おまえには、まだ死なれては困る」


 その声には聞きおぼえがあった。


「アクィラか」

「ウンブラのやつ、派手にやりおる。あれはな。ある意味、無欲なのだ。自身の欲がない。欲と言えば、いい男を自分のものにすることだけだな」

「コルヌの魂が腐ってるなんて言った。あいつの言葉は出まかせばかりだ」


 フォフォフォと、笑うと歯のすきまから空気がぬける。目をこらしたが、姿は見えない。


「わしもなんとか、ウンブラの編んだ魔法のすきをついて忍びこんでおるにすぎん。針の穴ほどのな」

「ここから出してはくれないのか?」

「それはできん。わしが王宮に戻ったと、あやつにバレてしまう」


 魔術師同士、いがみあっているようだ。今だって、ケルウスがウンブラの手に堕ちてはいけないから助けてくれるだけだろう。ウンブラの企みが成功するのは、アクィラの望むところではないからだ。もし利害が一致していれば、ケルウスがやられるのも放置して見ていたに違いない。


「じゃあ、どうすれば? このままずっと、ここにいろとでも?」

「これであの蛇を殺すがいい。忘れるな? 蛇はウンブラの忠実なしもべだ。いつなんどきも気をゆるしてはならん」


 闇のなかに、ぼんやりと手首が浮きあがり、あるものをにぎっていた。しかし——


「おれの竪琴じゃないか」


 武器庫に隠してきたものだ。


「蛇の苦手な振動をつけておいた。魔法生物にはよく効く」


 ほんとだろうか?

 とは言え、信用するしかない。


「ここをあとにしたら、あの蛇を倒すまで、もう二度とは外へ出られぬぞ。よいな? 心してかかれ」


 アクィラに言われ、壁に手をあてる。どこにも扉などなさそうだが、かるく押しただけで、ズルンと体がとびだした。アクィラの魔術で作られた仮りの空間は、秒で閉じる。以前の神殿のときといっしょだ。アクィラは空間をあやつるのが得意なのかもしれない。


「まったく、ウンブラめ。まさか……を……するとは、思いきったな」


 ぼそりと老魔術師のつぶやきが、かすかにエコーとなった。


(何? なんだって?)


 今、なんだか、とんでもない言葉が聞こえたのだが、気のせいだったろうか?


(王がなんとか……?)


 考えているいとまはなかった。いったん見失った獲物が戻ってきて、人蛇は歓喜している。いっきに距離をつめて襲いかかってきた。


 人の頭がこれ以上裂けるのかと目を疑うほどに大きくひらいた。上あごと下あごが完全に離れ、顔が真っ二つに割れた。真っ赤にあいた巨大な口が、目前に迫る。


 ケルウスはあわててよける。が、人蛇の口のほうが大きい。かわしきれず、手首にかみつかれてしまう。激痛が手指のさきから脳天までかけあがる。


 あいているほうの手で、人蛇の顔をたたく。こめかみあたり。が、きいているふうがない。


 このままでは手首を食いちぎられてしまう。吟遊詩人にとって一大事だ。竪琴を弾けなくなる。


 それはイヤだ。いつか必ず、この世界の不思議をサーガにして神に捧げる。コルヌの前で歌う。そう誓った。


「神の世の、神の庭の……」



 ——神の世の神の庭の花の話。とこしえに咲きほこる一輪の花の語る。その物語。



 無意識に歌っていた。歌声に竪琴が共鳴する。ケルウスの詩にもっともふさわしいと思える音階が、鳴り響く弦から湧きだしてくる。


 人蛇の口から、すさまじい悲鳴があがった。かまれていた手が離れる。

 そのすきに竪琴をつまびく。音の一つずつが、人蛇の骨をゆらし、からみあっていた造形をほどく。腸は腸に。手は手に。足は足に。支える体を失って、生首がゴロンと床にころがった。ころがりながら、カツカツと歯をかみならす。


 さらに、竪琴をかきならす。


「神の世の神の庭の花の話。とこしえに咲きほこる一輪の花の語る。その物語——」


 ヒィヤアアアアアアア……。


 人蛇は雄叫びをあげながら、崩れていった。

 空間がひらいた。

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