第20話 ウンブラの幽閉空間



 ここは魔術の空間だ。

 完全に閉ざされている。

 レクシアの神殿で経験したようなもの。なかへは入れるが、出られない。


(くそっ。誰の仕業だ? アクィラか? ウンブラか?)


 魔法で閉ざされた空間から、どうやって外へ出ればいいのだろうか?

 以前は、アクィラが穴を作った。ケルウスにはあんなマネはできない。と言って、運よくまたアクィラがやってくるとは思えない。なんとか、自力でぬけださなければ。


 むやみに歩きまわってもムダだろう。となれば、魔術をやぶる方法をあみだすしかないのだが。


 考えていると、急に周囲の温度が目に見えてさがった。もともと雪の降りそうな気温だったが、背筋に氷をあてられたように寒い。吐く息も白くなった。


 背後に何かがいる。今まさに、ボロボロと灰のように空間が崩れ、凝固する。何者かが閉ざされた空間に侵入してきた。


 ひじょうに、やっかいなものだ。気配だけでわかる。


 グルルル……と、獣のうなり声がした。

 まさか、これは、毎夜、女たちを食い殺している獣だろうか?


 ケルウスは背中をむけたまま、視線だけで存在を確認する。たしかに、いる。しかし、まだ手足がバラバラだ。


 ケルウスは剣をぬくと同時に、体ごとふりむいた。

 目の前に人間のあらゆる部位が、雑然と丸くなったものがあった。人間一人ぶんなので、かなり大きな球状物体だ。そのまんなかから、ウンブラの部屋で見たツボの中身の腕がとびだしている。指や爪の形、筋肉のつきかたも記憶のままだ。

 つまり、この床にころがっているものは、あの部屋にあったツボの中身だ。


 ケルウスは先手必勝で切りつけた。ウンブラの魔術ならば、これがよいもののはずがない。襲ってくる前に退治すべきだ。

 しかし、剣だこのできた手の持ちぬし。相手は生前、名うての剣士だったのだろう。ケルウスがつきだした剣を、中心の腕で手づかみにする。刃をにぎりしめた手のひらから、ドス黒い血がぬるぬると流れた。それは凝固しかけている。


 ただの死体だ。もっと容易に切断できると思ったのに、刃をにぎりこんだまま、手首は球のなかへめりこんでいく。ものすごい剛力だ。刃はもう見えない。柄まで来て、ケルウスは手を離した。でなければ、ケルウスの手がおぞましい死肉でできた球のなかへ、とりこまれてしまう。


 ガリガリと固い音がしたのち、ぷっと球の中心から剣が吐きだされてくる。原形がわからないほどに歪んでいた。


 フフフと笑う声は女だ。おそらく、ウンブラ。


「あなたもね。かなりいい線いってるのよ? でも、あなたの魂はまぶしすぎる。もっと汚れてからいらっしゃいな。それまで、生きてられたらだけど」


 声がやむと、球状物体が変形しだした。さっきまで手の生えていた場所から、ニュッと押しだされてきたのは男の顔だ。


 ケルウスの知らない男だ。たっぷりのヒゲをたくわえ、精悍せいかんな顔つき。年齢は四十代。黒髪で肌は浅黒い。目つきがいかにも冷酷そうだった。しかし、その目は血走り、早くもにごりだしている。


 それがズルズルと球から這いだすと、首のうしろから、球状を形成する腸やら手足やらをねじりあわせた長い胴体が伸びた。人面の蛇だ。


 グルルルルル——


 ウンブラは去ったらしい。もうしゃべらない。人の言葉を理解できるとも思えない代物だ。ながめていると吐き気がする。


 剣もなくなった。逃げるしかない。とにかく、前へ走る。だが、わかっている。ここは魔術で閉ざされた空間。どこにも逃げ道はないのだと。いずれ、疲れて、食われるだけだ。


(どうする? このあいだにも、コルヌがどんなめにあってるか。早く助けてやらないと)


 これはウンブラの足止めだ。ケルウスにジャマされては困るのだ。おそらく、コルヌを使って、王を手玉にとりたいのだろう。


 考えつつ走る。だんだん息が切れてきた。人蛇はチロチロと長い舌を吐きながら、ゆっくり追ってくる。今すぐにケルウスを殺そうとはしない。追いつめて、極限まで怖がらせ、なぶりながら殺す。それがヤツの好みらしい。


(くそっ。ド変態ヤロウめ)


 しかし、この体はただの人だ。悪態をついたところで、体力には限界がある。足元がふらついてきた。このままでは、まもなく倒れる。


(また失敗か……)


 でも、コルヌ。おれはがんばったろう? できるかぎりはつくした。おれには接点がないから、失っても惜しくはないだろうしな……。


 意識がもうろうとする直前、目の前で扉がひらいた。チョイチョイと、白い腕が手招きする。

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