第3話 エリザベスの憂鬱

●一五八六年春 ロンドン、リッチモンド宮殿


「あの女狐めぎつね、ついに尻尾を出しましたぞ。決定的な証拠を掴むのも時間の問題でございます」


 相変わらず陰険そうな、しかし真面目まじめくさった顔で、私の秘書長官・フランシス=ウォルシンガムが言った。


女狐めぎつねなどというはしたない呼び方はおよしなさい、サー」


「失礼しました。――中心になって動いているのは、アンソニー=バビントンという大陸帰りの若造と、ジョン=バラードという司祭ですが、レディ・メアリーがスペインと密かに連絡を取っていることはほぼ確実。今度こそ、彼女を断頭台に送ることが出来るでしょう」


「サー、何度も言っていますが、私は彼女の処刑を望んではいないのです」


 ウォルシンガムは恭しい態度を崩さなかったが、何を甘いことを、という本音が透けて見えるような気がしてかんさわる。


 去年、お忍びで彼女のもとを訪れた時には、たしかに忠誠を誓ってくれた。

 あまり他人との食事を好まない私が、柄にもなく彼女との会食を思い立ち、どんな料理を出すのがいいかと周囲に尋ねたら、祖国を懐かしく思うような献立が良いのではないかと助言され、わざわざハギスとかいうスコットランド料理まで作らせたのだ。

 あの時の彼女の誓約に、嘘はないと信じたかったのだが……。


「レディはどうやら、息子のスコットランド王ジェームズ陛下と密かに連絡を取り、共同統治者としてかの国に戻れるよう根回しを進めていたようですな。しかし、スコットランド側からすげなく断られたようで。それで、やけになったのではないかと思われるふしがあります」


 それを聞いて、私は眉をひそめた。

 スコットランドの共同統治権? そんなものを要求すれば、ジェームズとその側近たちから煙たがられるのは当然だろうに。

 ただスコットランドに戻って息子のそばにいたいというだけなら、願いを叶えてあげる余地もあっただろうに。


 私がそんなことを考えていると、ウォルシンガムはお甘いですなと言わんばかりの眼差しでこちらを見ていた。

 たとえ権力を要求しなくとも、彼女を自由にさせるのは、災いの種を蒔き散らすようなもの――。ウォルシンガムたちのその懸念は、理解できないわけではないのだが……。


「それにしても……。我が子に拒まれて自暴自棄になる、というのはわからないでもないけれど、それで私の暗殺計画に加担しようというのは、いささか飛躍してはいませんか? レディは一体どういうつもりだったのか……」


「それは単に彼女が浅慮なだけ……」


 失礼なことを言い掛けたウォルシンガムを、きっと睨みつける。


「……失礼しました。これはあくまで推測ですが、レディにとっては、我が子に拒まれたことを、我が子が母親である自分ではなく陛下を選んだ――。さらに申し上げるなら、陛下に息子をられたように、受け取ったのではないか、と」


 それを聞いて、私は首を傾げた。幼くして母親を亡くし、子供もいない私には、そのあたりの心理はよくわからない。


「何故そうなるのです? 政治的なことで行き違いがあったとしても、親子は親子。他人が代わることはできないし、られたなどと嘆く必要もないでしょうに」


 ウォルシンガムは何か言いたげな表情を浮かべたが、沈黙を守った。

 私は今一度、彼に念を押した。


「とにかく、レディ・メアリーを処刑したりすれば、カトリック諸国、特にスペインとの関係悪化は避けられません。処刑は可能な限り回避すべき、というのが私の考えです」


 しかし、彼は譲ろうとはしなかった。


「お言葉ですが陛下。スペインとの関係は、レディをどう扱おうと、ネーデルランドを巡る問題で早晩そうばん衝突は避けられぬでしょう。であるならば、後顧の憂いはっておくべきかと」


 それは……確かにそうかもしれないが……。


「レディの運命は、かのお人がイングランドにやって来られた時から、こうなるものと決まっていたのです。陛下がお気にまれる必要はございません」


 ウォルシンガムがそう言ったのは、おそらく彼なりに私のことを気遣きづかっての言葉だったのだろうと思う。


「……そうですね。サーの言うとおりなのかもしれません……」


 しかし、その後に続けるべき「ありがとう」の一言は、どうしても口にすることができなかった。



 秘書長官が退室した後、私は執務机に顔を伏せて、ぽつりと呟いた。


「メアリー、本当に馬鹿な女……」


 正直に言って、私はあの女が嫌いだった。

 美人で、周囲の人間を引き寄せる華やかな雰囲気をまとう一方で、今一つ思慮が足りず、感情のままに振舞って騒動を起こす。

 そんな彼女に羨望と嫉妬と軽蔑の入り混じった感情をいだいてきた。


 思い起こせば、私は肉親の縁に恵まれなかった。

 母とは幼い頃に死別し、父は私のことを愛さなかった。

 父の六番目の妻となったキャサリン義母かあ様は、私を実の子のようにいつくしんでくれたが、トマス小父おじ様(トマス=シーモア)を巡って気まずくなり、館を追い出される羽目になって、そのまま永遠とわの別れとなってしまった。


 そして、恋人や婿候補は何人かいたものの、結局誰とも結婚することなく、今日に至る。

 イングランドと結婚した、などとうそぶいてみたこともあったが、実際のところは、誰か一人を結婚相手に選んでそれ以外の候補を切り捨てるという決断の重みから逃げ続けただけに過ぎない。


 そんな私にとって、メアリーは数少ない血縁者の一人だ。

 たとえどんなに浅はかでも、危険な厄介者でも、命を奪うのは忍びない。

 けれど――。




●一五九〇年夏 ロンドン、リッチモンド宮殿


 バビントン事件が発覚した翌年(一五八七年)の二月、メアリーは断頭台の露と消えた。

 刑に臨んで、彼女は悪あがきせず、堂々とした態度だったと聞いている。

 私は最後まで処刑に反対したが、止めることはできなかった。

 いや、内心では避けられないことも承知していたのだから、偽善のそしりは甘受するしかないだろう。


 彼女の処刑の後、やはりスペインとの衝突は避けようのない状況となった。まあ、処刑が原因のすべてではなかったのだが。


 処刑の翌年、八月。ついにスペイン艦隊とフランドル沖で雌雄を決することとなる。

 そして、我がイングランド艦隊は大勝利を収めた。

 これは、もちろんドレーク提督ら海軍将兵の奮闘も大きいが、それ以上に、ウォルシンガムの諜報網がスペインの動向を詳細に掴んでくれたことの功が大きかった。


 そのウォルシンガムも、この春やまいを得て帰らぬ人となった。

 結局、彼の判断が正解だったということになるのだろうか。

 そして、そう思いつつもなお、彼の功績を素直に称賛する気にはなれない私は、狭量なのだろうか。


 とりとめもなく思いを巡らせながら、一人で食事をる。

 もう慣れっこのはずなのに、不思議とわびしさがつのる。

 ふと、メアリーと食べたハギスの味が、懐かしく思い出された。



――Fin.


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蛇足ですが後書き。


メアリーとエリザベスの人物像について、世間一般でイメージされているものとはいささか異なるかもしれませんが、『女王様はロマンの塊』執筆に当たってあれこれ調べてみて、私自身が抱いたイメージに沿って書いてみました。

エリザベスは懐に飛び込んで来たメアリーを冷徹に処刑した。処刑に反対していたというのもポーズに過ぎない、とかね。何で皆そんなにうがった見方をするかなぁ。素直に解釈してあげようよ、と思ってみたり(笑)。


ちなみに、英国でのジャガイモの栽培は、諸説ありますが1586年以降にジョン=ジェラードが始めたのが最初という説が有力なようです。

つまり、本作の舞台1585年の時点で、たとえ女王の食卓と言えども、ジャガイモが登場するのはいささか無理があるのですが。

本作はあくまで歴史を題材にしたフィクションですので(最強の言い訳)。

……大丈夫かな、ジャガイモ警察が飛んで来ないかな(びくびく)?



ハギスを実際に食べてみた模様をエッセイに纏め、『小説家になろう』に掲載しています。よろしければそちらもどうぞ^^

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ハギスと女王と元女王 平井敦史 @Hirai_Atsushi

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