ある日、アナタに出逢いました

橋 八四

第1話


――そういえば、ここが『辺境』と呼ばれるようになってどれくらい経つんだ?


そんなどうでもいい領地の歴史なんかを思い浮かべるが、それが世に言う『現実逃避』なのは自分でも分かってる。


はぁ、胃が痛い。

いつもなら朝ごはん食べてる時間なんだよ、お腹が絶叫してる時間なんだ。でも……今日はもう何も食べられないかもしれない。


「シャキッとしてください。それともそのような陰気臭いお顔でお客人を出迎えるおつもりですか?」

「……オレ、そんなに酷い顔してる?」

「もしこの老骨が夜に出会でくわしたならば、間違いなく剣を抜きますぞ」

「…………とても客人に会う表情かおじゃないんだよそれは」


緊張してるんだからしょうがないじゃん。それとも冗談で和ませようとしてくれてるの?


ハッハッハ、気が利くね爺や。


……でも爺やが『剣を抜く』ってことは思ってるよりもヒドいんじゃない?

まぁ、もとより傷顔なんだから暗い表情してたら駄目か。でも笑顔って苦手なんだよ、『引きってます』って皆に指摘されるし。


「なぁ爺や、やっぱり今度にして――」

「――最初に此方こちらへおでになるとの手紙が届いたのは雨花ハラジアの月でございましたね。次に届いたのは商業都市テムーラから、これが一月ほど前でございました。順調に進めば本日か明日ごろには到着されるかと」

「そう、だよね」

「ベインダック家の当主としても恥ずべきことが無いように。領主としてあまりにも不甲斐ふがいないと御父上が戻ってこられますぞ?」

「それは困るよ、父様には天の国で母様と一緒にゆっくりしていてもらわないと」


ようやく辛い病から開放されたんだし。


はぁ、しょうがない。現実逃避はやめて無理矢理にでもご飯を食べ――


「し、失礼致しますっ!!」


――ようかって思った時に執務室の扉が勢いよく開いて、若い騎士が駆け込んで来た。


「っ、な、何事ぉ!?」


び、び、びっくりした!! せめて合図ノックくらいしろよっ!!


ほらぁ!! 言ったそばから不甲斐ない声出ちゃったんだけど!?


「報告致しますっ。パムル村の近辺で王都からの行商が盗賊に襲われました!!」

「――行商および村の被害は?」


心の臓がバクバクと荒ぶってるオレの代わりに爺やが端的に聞いてくれた。


参ったなぁ、どうしてこんな大事な日に盗賊騒ぎが起こるんだよ。


もう一ヶ月以上も被害を聞いて無かったからてっきり野垂れ死んだと思ってたのに。


「常駐している騎士や冒険者達が対応したため物資の被害は無いとのことですっ」


さすが、優秀だねうちの騎士達は。

冒険者達にも後で臨時報酬を出さないと、組合ギルドに連絡しないとなぁ。

う〜ん、何を贈ろうかな? やっぱり手堅くお金がいいかなぁ?


「そっか、報告有難ありがとう――」


ん? 待って?


「――人的被害っ、人的被害は!?」


オレの聞き間違いじゃなければ物資の被害『は』って言ってたはずだよな!?


「行商の娘さんが一人連れ去られたようで、騎士と木樵きこりが数人で追いかけています!!」

「何でそれを真っ先に言わないんだ!? どの方角に逃げたか分かる!?」

「し、し、失礼しましたぁ!! 敵は大森林の方向へ、木樵達の通路を馬に乗って逃げて行きました!!」


ひ、人質だ!! 大変だ!!

今の時期の森はマズいっ。いや、いっつもマズいんだけども!!


「――坊ちゃま!?」

僕達・・が行ったほうが速いっ」


部屋の窓から近くの木に飛び移って地面に着地。それから『相棒』がくつろいでいる小屋へと全力で走る。


さぁ、ここからは時間との勝負だっ!!




◇◇◇◇◇




「やれやれ、行ってしまわれた。この行動力を普段から発揮してくださればよいのだが」


開け放たれた二階の窓を閉めながら老爺はしみじみと呟く。


「あの、指南役。報告は以上なのですが……」

「報告ご苦労。ケインストに後で屋敷へ来るようにと伝えてくれるかね?」

「了解しました!!」


元気な返事の後、扉を閉め駆け出していく若い騎士。軽快な足音が聞こえ、


アォーーーーン。


――同時に遠吠えがすぐ近くから響いてくる。それを皮切りに次々と、遠吠えがあちらこちらから聞こえ始めた。


(さて、騎士達もコレでおおよそ察するだろう)


指南役と呼ばれた老爺は窓の外へと視線を向ける。その瞳に映るのは峻険しゅんけんな山々や延々と続く緑の世界。


その広大な森の正式名称は、ブラン大森林。

カンステイア王国の西端にある巨大森林地帯で、ここ――ベインダック領の約半分を占めている。


広く『死の森』などと物騒な名前で呼ばれているが、昔からこの領地の主な収入源であった。

伐採した大木は丈夫で靭やかな木材となり、薪や家具、家などの材料となる。

生息する獣や魔獣を狩れば食用や餌用の肉が手に入り、皮や骨などは衣服や武具の素材となる。


領主を含めた全員が日々を生きるため。そして国に必要とされているそれらの業種を生業なりわいとしているだけなのだが、他の貴族達の評価はかなり低い。


『国の端にいる田舎者』

『祖先の栄光にいつまでもすがりつく恥知らず』

ほとんど王宮へ呼ばれることのない忘れられた領主』

『泥臭い貴族もどき』


しまいには『蛮族』などと他の貴族達から貶され、軽んじられている始末。


事実としてこの領地には王都のような華々しさなどなく、海都のように煌びやかさもない。

商業都市のような熱気はなく、学術都市のように気品があるわけでもない。


領地を構成するのは三つの町と六つの村。残りは田畑や河川、要塞や森と山である。人々の生活領域はけして広いとは言えず、領民も面積のわりに膨大な数というわけではなかった。


確かに生活はつつましく質素であり、飾り気の無い地味な仕事だ。


――それでも『蛮族』などと呼ばれるいわれは一切無い。


ベインダック家の初代領主が当時の国王を戦場で助け一騎当千の大活躍をしたこと。それは昔話となっている。

その後に貴族になりたがらなかった初代をどうにか説得し、ある程度自由に暮らせる未開の地を領土として開拓したのが今のベインダック領だ。


昔話の内容は全て誇張の無い事実だが、語られていない部分も存在する。もっとも、その内容を知る者は今やわずかになってしまっていたが。



(我らは誇り高き『番人』にして『戦士』。領主となった坊ちゃまにも、その自覚を強く持っていただかなくては)



先ほど窓から飛び出して行った青年が彼らの新しいあるじ。恵まれた体躯と父譲りの行動力を兼ね備えた、将来有望な若人わこうど


(いつまでもあの調子では困るのだが、直ぐに変わるものでもなし。どうしたものか……)


しかし、性格だけは似なかったらしい。今も人前が苦手で小心者と呼べる性格だ。


「なによりも、爺やはあれほど言ったではございませんか」


それに少しばかり――


何方どなたがお客人なのか、此方にどうやって向かわれるのか、ご身分をどう偽って・・・・・・・・・御出でになるのかを」



――忘れっぽい性分だった。




◇◇◇◇◇




「急げっ、もう少しだ!!」

「クソッ、速く走れこの駄馬がッ!!」


耳障りな怒声と馬の嘶きに、激しく揺れる体と動く度に手首に食い込む縄の痛み、濃い草木の香りに混じる不潔な体臭。


わたくしを取り巻く環境、その全てが不快でしたわ。


「やっと着いたぜ……!! オイッ、俺はお頭に伝えてくるから、お前はソイツを荷車に積んどけ!!」

「うっせーな指図すんじゃねえ、んなこた分かってんだよ。オラッ、さっさと動け」

「……縄を解い下さればもっと速く動けますわよ?」

「黙れ、喋るな。いいか? 声を出したら片目をコイツでくり抜く。綺麗な顔でいたいんなら、黙って進め」


脅し、ではないようですわね。仕方がありません、素直に従ってあげましょう。今の私は『行商の一人娘』なのですから。

それにしても見窄みすぼらしい見かけのわりに、剣の心得があるようですわね。動きが素人とは違いますもの。盗賊などに堕ちず、真っ当に働けばよいのではなくて?


「乗れ、お前は一番奥だ」


森の中、獣道と呼べるかどうかもわからない道を少し進んだ先。これは……荷車ではなくおりでしょうか?


っう、それに酷い臭いですわね、立ち止まってしまいそうになりますわ。


「いいかお前ら、くれぐれも騒ぐなよ。分かってるな? これ以上価値が落ちればどうなるのか、それはお前らがよく知ってるだろ? アレと同じようになりたきゃ別だがな」


小さな子供から私と同じような年齢の娘達、それにご婦人方までもが一斉に恐怖を押し殺して必死に頷く様のなんと異常な光景でしょうか。可哀そうに、よほど酷い扱いを受け――いえ、見たのですわね。

このような下衆ゲスが考えることなどたかが知れていますもの。


……皆を後で必ずご家族の元へ連れて行って差し上げますので、今しばらくお待ち下さい。



――さぁ、ゴミ掃除を始めましょう。



「『価値』とおっしゃいましたわね?」

「オイ、聞こえなかったの――」


ゴキャッ。


「――貴方のような殿方には、『生きる価値』さえありませんわ。その自惚うぬぼれごと、天の国で神々に裁かれるとよろしいかと」

「……お、ごぁ」


あら、鈍いですこと。もしや『自分は死なない』とでも思っていらっしゃったのかしら? 随分ずいぶんと楽観的に生きてこられたようですわね。


そうでなければ私の如き小娘に――首を捻じ壊されることなど無かったはずでしょう。


はぁ、それにしても慣れませんわねこの感触は。


何か武器があればいいいのですが――ああ、コレを拝借いたしましょう。最低限のお手入れはされているようですし、何も無いよりはましですわ。


っ、私としたことが、大切なことを忘れていましたわ。


「皆様、お初にお目にかかります」


優しく、笑顔で丁寧に、声をつむいで。


「私の名はエレノア・カンステイア。このカンステイア王国の――第三王女・・・・でございます」


これで少しでも皆様の不安を拭うことがきればよいのですが。


「『暴走王女』や『お転婆姫てんばひめ』と噂されている、張本人ですわ」



◇◇◇◇◇





オォ――――ン。



「カ、ハッ」

「ふぅ。これで五人、見た通り大所帯ではなさそうですわね」


獣の鳴き声が聞こえる薄暗い森の中。


軽く剣を振って血を飛ばし、喉を貫かれ倒れ伏した男の服で脂を拭きながら長い金髪を軽く整える女――エレノアは周囲を見回す。


あの死臭ししゅうただよう檻を抜けた後、巨木や草に身を隠しつつ敵をほふり続けていた。


(これで見張りは全員でしょうか?)


移動しながら感覚をませて敵の位置を探っていたが見張り役などはある程度は片付けたよらしい。残るは当初に連れて来られた広場と貧相ひんそうな小屋だけとなっていた。


(……目的が人身売買なのは明白なのですが、少しに落ちませんわね)


人攫ひとさらい。

それも見目麗しい女子供ばかりとなればその売り先が貴族か、娼館か、または奴隷闇市かは分からないが、しかしそのいずれかにおろされることは明白だった。


いかにも下衆の考えつきそうな商売である。しかし、目的がそうであるならば少し違和感があった。


(これまでの全員が素人ではありませんでしたわね。それに、明らかに傭兵ようへいとは違い統率された気配を感じますわ)


いかに小汚い見た目であっても武器をたずさええる位置や目線、体の動きに無駄が少なかったのだ。明らかに慣れていることが分かるたたずまいには、技術と経験が垣間見かいまみえた。

立ち位置にしても素早く連携できるように個々が位置取っており、エレノアもすきを探すのに時間がかかっていた。


(それにしても『死の森』などと呼ばれているはずですが、想像よりも静かですわね。深くはなくとも、浅い場所ではないはずですのに)


大型の魔獣が通った痕跡痕跡があり鳴き声も聞こえているが、獣ですらいる気配すら無かった。


凶悪きょうあくな魔獣や巨獣がひしめき、ただの獣ですら強き力を持つブラン大森林の中にあって、この静けさは異常といえた。


(――理由は分かりませんが、好都合ですわ)


しかし、エレノアはそれを好機と捉える。

何故なら血の匂いに釣られて寄ってきた魔獣などから身を隠す必要性がない、つまり敵を斬ることに集中できるのだから。


(もう、隠れる必要もありませんわね)


足音を殺し、息を潜め静かに小屋へと近付く。


「今回は大量だったな」

「当たり前だ。そのために念入りに策を練り、こんな田舎の森の奥にまでわざわざ移動したのだからな」

「何を落ち着いていらっしゃるんですか!? お急ぎ下さいっ、騎士や冒険者どもが迫っているんですよ!?」

「君、少しうるさいな」

「何を――」


ゴトンッ。


何やら言い争っていたらしいが、物が落ちたような音をが聞こえると急に静かになった。


「失敗し、追われているのは君達の責任だ。騒ぎ立てる暇があるのなら、騎士達の始末に行くべきだったな。それに――」


カチャンと、硬質な音が聞こえた。


「――どうやら余計なお客様を連れてきたようだ」


気付いているらしい。


「近くにいるんだろう? 入ってくるといい。なに、罠など無いよ。そんなものを仕掛けたら、この小屋が余計に狭くなってしまうのでな」


落ち着いた男の声が明確にエレノアへと向けられる。


(いいでしょう、正面から叩き潰して差し上げますわ……!!)


挑発の意が含まれていることは明白であり、それがよりエレノアの心を奮わせる。


「失礼致します」


壊れかけの扉を数回叩いてノック、開きうやうやしく頭を下げる。


「――なッ!? どうして、貴様がこんな場所にいる!?」


それは当然の疑問だろう。

エレノアよりも頭一つ高い赤髪の美丈夫の表情は驚愕に染まっていた。


「『どうして』とかれましても、貴方のお仲間にむりやり連れて来られた、としかお答えできませんわ」

「……そんな馬鹿な話があるものか。わざと捕まった・・・・・・・のだろう? っは、見た目が成長した割に中身は変わらずか。めかけの子は大変だな?」

「その態度と言葉、王族に対して不敬ですわよ」

「これは驚いた、貴様に王族の自覚が在ったとは」


だが、驚いているのはエレノアも同じ。


「私こそ驚いていますわ――オンデマシット、なぜ生きているのか説明していただいても?」

「貴様が三年前に斬ったのは『影』だ。どうだ、納得したか?」

「そうでしたの、ようやく納得できましたわ。元第二騎士団副団長ともあろう御方が、あれほど弱いはずがありませんもの」


三年前に自身が斬った相手が、こうして目の前に座っていたのだから。


「また、悪趣味なご商売を始めたんですのね」

「ああ、特に外国の貴族連中は金払いがいいからな。よく儲けさせてもらってるよ」


小屋とは対象的に宝石や貴金属で着飾った己を見せつけるように立ち上がる。


「一度きりの人生なんだ。私が楽しく生きられるのなら、他人などどうでもいいさ」

「本当に、呆れるほどの下衆ですわね」

「褒め言葉として受け取っておこう」


かつて王都を震撼させた事件の首謀者の余裕は崩れない。


「それで、どうやって嗅ぎつけたんだ? まだ騒ぎにはなっていなかったはずだが?」

「偶然ですわ」

「……冗談だろ?」

「いえ、本当ですわ。私は父の名代としてベインダック領に視察に訪れただけですもの」

「なんだ、本当に偶然だったのか。まったく、神々の悪戯も困ったものだな」


――巻き込まれたならしょうがない。

――ついでに解決しておこう。


言うなれば、ただそれだけのことだった。


(生意気で手が付けられないじゃじゃ馬だが……、少し手足が動かなくなっても商品にはなる、か?)


薄暗い中でも目立つ長い金髪。深い緑色の瞳は落ち着いた色合いとは裏腹に好戦的に爛々らんらんと輝いている。

もともと整っていた顔貌かおかたちは成長とともにより美しくなり、安い服の下に隠れている肉体は母親メイドの血が強いのか男好きのする身体というのが見て取れる。


(売れるな。クククッ、これは高値で売れるぞ)


オンデマシットは素早くエレノアの価値を素早く算出する。


「おい」


エレノアから視線を外さずに背後へと声をかけた。


「なんだ?」


応えたのは、髪も服装も、何もかもが黒い男。


「くれぐれも顔と胴体は傷つけるなよ?」

「それが要望でいいか?」

「そうだ。手足の一本は多めにみよう」

「……無理だな。加減すればこちらが危うい」

「誰が一人でやれと言った」

「それほどの相手か」

「男として産まれていれば、英雄と呼ばれていたであろうな」

「なるほど。それは大仕事だ」


黒い男が黒い双剣を構え、オンデマシットも側に立て掛けてあった宝剣に手をかける。


「あら、作戦会議は終わりまして?」

「抵抗は無駄だ。いくら貴様であっても我らを同時に相手取るのは不可能だろう」

「ふふふ、それはどうでしょうか」

「大層な自信だな」

「ええ、だって私――」


元副団長と黒い男を前に、第三王女の余裕も崩れない。


「――三年前より強いですものッ!!」


言い終わるやいなや、オンデマシットの喉をめがけ突きを放つ。


「本当にっ、手のかかるお姫様だな貴様は……っ!!」


宝剣を抜き、自身を狙う切先きっさきそらしたオンデマシットは反撃にエレノアの頭へと剣を振り下ろす。


吸い込まれるように頭へと迫る刃を剣で防ごうとして――やめた。


(何、っ!?)


エレノアあえて剣で受けずに片足を軸に体を反らして宝剣の一撃を避け、その後空を切った宝剣を片足で踏みつけた・・・・・


「私は大人しくしているよりも、こうして『暴れて』いるほうが性に合っていますの」


危険をかえりみず剣を踏みつけるという行動は、オンデマシットに一瞬の硬直スキをもたらす。


「それで悪党が減るのであれば、何も問題はありませんわ」


王女とは思えぬ好戦的な笑みを浮かべながら、エレノアは悪党の首をめがけ全力で剣を振った。


あやまたず首を落とすはずだった刃は――



ギャキィィィン!!



「俺を忘れてもらっては困るな」


――黒い双剣にはばまれる。


「もちろん、忘れてなどいませんわ」

「やれやれ、本当に女か疑いたくなるなッ」


剣を踏みつけている足と腕をぐように振るわれた黒剣を飛び下がり、窓から外へと飛び出して避ける。


「今の言葉、淑女レディに対して失礼ですわよ」

「淑女が自ら剣を踏むなど、ありえんだろう」

「同感だな」


ゆっくりとした歩調で二人の男が小屋から出てくる。


「加減はやめだ。間違って殺しても文句は言うな」

「仕方ないな。もしものときは私が止めよう」


オンデマシットが剣を構えると、黒い男は影へと消えた・・・


「あら、珍しい護衛をやといましたわね」

「この状況も想定していたのでな。……相手が貴様なのは想定外だが」


魔法。それも闇系統のものだろう。


(厄介ですわね)


薄暗く、影の多いこの場所では相手にとって好都合だろう。奇襲にまで気を付けなければならない状況は非常に厄介であった。


「さぁ。その余裕、いつまで保てるかな?」


手練てだれの剣士と暗殺者アサシン。そのどちらも手を抜くことを止めたとあっては、エレノアも本気を出さずにはいられない。


それに、殺しにかかってくるのであれば――相応そうおうの『力』で立ち向かわねば失礼というもの。


「では、私も本気で戦いましょう」


エレノアは秘めた魔力、その封を解いた。


――瞬間、まばゆい光と熱波がエレノアから溢れ出す。



「馬、鹿なっ」



かつてカンステイア王国に騎士として仕えていたオンデマシットは、もちろんソレを知っていた。


いわく、破邪の輝き。

曰く、裁きの火。


歴史書にしるされていたソレを、知識としては知っていた。



「今の王族は、誰もソレを使えなかったはずだぞっ!?」



だから、実際に見るのは初めてだった。


それは王族のみが使えるとされた金色こんじきの炎。



名を――『天煌てんこう』と言った。



「言ったではありませんか。『三年前より強くなっている』と」


刃毀はこぼれが酷くなっていた長剣を放り捨て、エレノアは右手に炎を集束させ『炎の剣』を作り出す。


「ですので、観念して大人しく――斬られなさい」


灼熱のドレスを身にまとい金の炎剣を携えた第二王女は、そう高らかに告げる。


文献によれば魔法すら焼き尽くすとされるそのすさまじい熱量に、剣士と暗殺者は近づくことができなくなった。

つまり、エレノアを捕らえることができなくなっていた。


逆にエレノアは相手に近づくだけでほぼ勝利が確定する。懸念点があるとすれば暗殺者がどういう行動をとるか予想できないことと、魔力がいつまでもつか分からないこと。


「行きますわよッ!!」

「っく、面倒だなその炎はっ――」



端的に言えば、状況は逆転していると言えた。



――オンデマシットが巨大な口に襲われるまでは。



巨木から落ちてきたのは毒々どくどくしい色の巨大なヘビ。その数四匹。


「どうして魔獣が出てくる!? 魔獣除けは効いていたはずだぞ!?」

「気をつけろコイツは――ぬぅ!!」


オンデマシットとその影から出てきた黒い男へ二匹が猛烈な速さで突っ込んでいく。


「「シャァッ!!!」」

「もう、せっかくの機会でしたのにッ!!」


迫る二体の大蛇を前に不満をらしながらも、エレノアの動きは鈍らない。


その場で跳躍し手前の蛇の頭に炎剣を突き刺し、引き抜くと同時に剣を振り二体目の首を斬り落とした。


(『魔獣除け』……何もいなかったのはそういうことでしたのね)


なぜ『死の森』の奥であっても魔獣が寄ってこなかったか、その理由が判明した。


「クソッ、どうしていつも商売が軌道に乗った途端に邪魔が入るんだ!?」

「喚いても仕方ないだろう。いいからそれを持って走れッ」

「待ちなさい!!」


小さな袋を持って走り始めたオンデマシット達を逃すまいと駆け出した時、



――真紅の奔流が全てを飲み込んだ。



突然の出来事に転倒したエレノア。すぐさま体勢を立て直したが、その目に映る景色は一変していた。


「ッ、こ、れは……!?」


焼け焦げた『黒』、燃え尽きた『灰』、燃え盛る『赤』。


世界がたった三色に塗り替えられていた。


(いったい、何が起きたん、ですの?)



そんな当然な疑問の答えは、



「カロロロロロ」



――優雅に大地へと、舞い降りる。


「――火、竜」


場違いなほどつややかな深紅の巨体。

大きな両翼に鋭い牙の並ぶあぎと

威圧感のある金の瞳と雄々しい両脚。



――紅蓮ぐれんの竜が降臨こうりんした。



先程は竜の火炎が周囲を焼き払ったらしい。その現実を理解したとき、エレノアは――


「ふ、ふふふ。アハハハハハッ」


――笑った。


単身での『竜殺し』は英雄アスタント以外、誰も成しえていない偉業だ。つまり、成せば誰しもがエレノアを英雄と呼ぶだろう。


その偉業に男や女も、老いも若いも、身分も関係ない。


――見ないのであれば、力ずくで振り向かせるだけ。これまでと何も変わらない。


「私の手柄を横取りしたのですから、文句はありませんわよね?」


火竜は何も答えず、ただ金炎を纏っているエレノアを見ているだけ。きっとエレノアに興味が無いのだろう。

降りる場所が無かったから、作っただけ。言うなれば、ただそれだけのこと。強者が路傍ろぼうの石に興味を持つことがあるわけもないのだから。


「勝手ながら、エレノア・カンステイア。火の王たる御身に挑ませて頂きます」


焼け焦げた大地を踏みしめ、エレノアは一直線に駆け出す。


「ハアァァアア!!」


狙いは右脚の関節。

どんな生き物でも関節は脆いもの、エレノアの狙いは間違いではない。


事実として、これまで『天煌』と彼女の剣技の合わせ技で斬れないものは無かったのだから。



――カッ。



そう、これまでは・・・・・


(そ、んなッ!?)


無傷。


全力で振るったにも関わらず小さな傷一つ付かず、しかも焦げた跡すら無かった。


不意にエレノアは『熱』を感じる。


本来ならあり得ない出来事だ。『天煌』を纏う彼女は炎と同義であり、熱さなど感じることがあるはずがない。


だが、彼女のすぐ側にいる存在は伝承にすら語られる『怪物火の王』。


「グルゥァアアアアア!!」



――不遜である。



エレノアにはそう聞こえた。


火竜の咆哮と共に吹き荒れた業火に吹き飛ばされる。


燃え残った巨木にぶつかりようやく止まったエレノアの身体は火傷だらけで、激痛が駆け巡っていた。


「ぅ、あ、……ッ」


『金の炎』は『赤い業火』にいとも容易く、喰い破られた。それを理解するのにさほど時間はかからなかった。


ぼやけた視界の先にはエレノアに向かって歩む赤い巨体が見える。


挑み、負け、食われる。この森で普段から行われている、ただの生存競争。それが自身の最期になるとは昨日までは考えてもいなかった。


「……ふふふ、無様な最期です、……わね」


『死の森』で『王族』が『火竜』に食べられるなど前代未聞だろう。でも悪名高き第三王女にはお似合いかもしれないと、エレノアは思った。


「……一度くらい、褒め、て、かはっ、いただきたかった、ですわ」


脳裏をよぎったのは亡き母の顔と、いつも冷淡な父親の顔。


「バハァア」


灼熱の息をすぐ側に感じる。いつの間にか大きな口が近くに迫っていた。

あの鋭い牙で噛みつかれると考えるとゾッとするが、もう痛みも感じなくなっているのは不幸中の幸いだろう。


「ごめん、なさ……い」


自然と口から出てきたのは謝罪の言葉だった。


そうして彼女の身体は無惨に噛み砕かれ、火竜の栄養へとなっていく――






「見つけたっ!!」





――ことは無かった。


「ハァアアアッ!!」


エレノアには聞き覚えのない声。


ズガァンッ!!


その声の主は裂帛れっぱくの気合いと共に重量物を火竜に叩きつけた。


「グゥオオオッ!?」


大口を開いた火竜の側頭部に何かめり込み、エレノアから遠ざかる。


(あの鱗を、一撃で……。凄い、ですわ)


エレノアでは傷一つつかなかった鱗が巨大な黒い斧の一撃で割れ砕け、血が噴出している。


突然の痛みに驚いたのか暴れ始る火竜。エレノアはもう微かにしか分からないが周囲の温度が急激に上昇し始めていた。


「させないッ!!」


エレノアの前を駆け抜けた男は口へ魔力を集め始めた火竜の下顎を飛んで蹴り上げ、強引に口を閉ざす。

しかしどんな力で蹴ったのか、火竜の牙が飛び散っていた。


そして顔にめり込んでいた斧を掴むと――


「セイッ!!」


――一振りで首を落とした。


(コレは、夢ですの……?)


エレノアには最期に見ている都合のいい夢にしか思えなかった。それほどあっさりと『竜殺し』が成されたのだから。


「もう大丈夫ですからっ。コレを飲んで下さい。あ、不味いけど吐いちゃダメですからね」

「ムグッ」


無理矢理に口へと小瓶の先をねじ込まれ、得体のしれない液体をエレノアは流し込まれる。


「――ッゲホ、コホッ。うぅ、なん、ですのコレは!?」


苦く、渋く、辛く、甘く、酸っぱいと、とんでもない味がした。しかも後味も同じくとんでもなく悪い。


「うちの領地で作ったよく効く傷薬です」

「酷い味の薬ですわねッ」

「でも、元気になりましたよね?」

「そんなわけありませんわッ―――え?」


腕の火傷が消えていた。


「……う、そ」


それだけでなく身体中のどこを触っても傷も痛みすら綺麗に無くなっているいれではないか。


「本当、ですよ。いやぁ、間に合ってよかった」


暗い茶髪に灰色の瞳。傷顔の逞しい体躯の男が安堵したように笑う。



――ドクンッ。



それを見て鼓動が一段と高く跳ねる。カッと顔が熱を持つ。


(お、おかしいですわ。もうどこも痛くないはずですのにっ)


遅れて恐怖がやってきたのだろうかとエレノアは思う。それも仕方が無い。人攫いを追いかけたら火竜に遭遇したのだから。


「あ、あの、まだどこか痛みますか?」

「え!? いえ、大丈夫ですわっ」

「では、皆さんと一緒に村まで戻りましょうか」

「っ!? あの方達は無事ですの!?」

「はい、火竜の炎は向こうへ来ませんでしたから」

「そう、でしたの。……よかったですわ」


差し出された手を借りてエレノアは立ち上がる。


「あ、失礼しました。まだ名乗ってなかったですね」


大きな斧を担ぎ直しながら男は自分の名を告げた。


「オレはアスラック。ちょっと前から、このベインダック領の領主をやってます」

「わ、私はエレノアと申します」

「それじゃあ行きましょうか、エレノアさん」


――ドクンッ。


またエレノアの鼓動が跳ねた。






――これが第三王女エレノア辺境領主アスラックの出逢い。

――後に王国中で語り継がれる恋物語の始まりだった。

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