第6話
次の日の朝、一階へ降りてきたら店が満席になっていた。あれ? これはまだ夢の途中なのかな。
しばらくボーっと突っ立ってたら、
「お客さん、カウンターの中なら空いてるよ」と言って、王子が店の奥から出てきた。
「何なのこれ? 無料サービスしてるとか?」
僕がからかうと王子に鼻で笑われた。店が落ち着いてきた頃に、もう一度聞いてみたら、
「それがさ、先週ぐらいから、ちょっとずつ増えてきてるんだよね。今日みたいに満席は初だけど」
王子は首をかしげる。
「雑誌のおかげじゃないの?」
「そうなのかな。あれってフリーペーパーだし、そこまで反響があるとは思えないんだよね」
「お客さんに聞いてみようか?」
「いいって」
王子が嫌がるのも気にせず、カウンターに一人で座っているの女性客に声をかけた。そしたら、
「○○ってフリーペーパーを紹介してるSNSで見たんですよ。アンティークな雰囲気で、素敵だなと思って来てみたんです」と微笑んだ。
「そうなんですね。ありがとうございます」
「いえ……失礼ですけど、Yさん?」
「ああ、違いますよ」
僕はあわててメガネをかける。
「王子、やっぱあの雑誌だって」
「マジで? あれって意外と人気あるんだな」
嬉しそうな彼に背を向けて、僕はまた二階に上がった。今日は休みなのに、洗濯ぐらいしかすることがない。布団を干していたらスマホが鳴った。
画面を見ると、えりちゃんからのメールで、『病院に来たら偶然ソノちゃんに会ったよ。今からお茶してくる』と書いてあった。
僕はすぐに電話をして、そっちへ行くからと伝えて家を出る。
一流ホテルのカフェルームで、楽しそうに笑う二人を見つけて近づいた。
「あ、ミナトくん。ちょっとお久しぶりだね」
ソノちゃんはスッピンにメガネという高校の時みたいな雰囲気で、
「うわ、ホントにソノちゃんだ」とつい口走ってしまった。
「だよね。私も懐かしいって言っちゃったよ」
えりちゃんが笑って、
「ソノちゃん、同じ病院に来てたんだよ」と言った。
「え? どこか悪いの?」
「ううん、違うの」
隣に座った僕の耳に顔を近づけて、
「ブライダルチェック。妊娠しやすいかどうか、検査してもらったの」とささやいた。
色っぽい声にゾクッとしたけど、
「ふうん。そうなんだ」と平静を装う。
「結果は大丈夫って言われたんだけど。まだ出来ないんだよね」
ソノちゃんはお腹をなでる。
「リュージさんが欲しがってるから、早く授かってほしいんだけど」
「そっか……」
リュージさんの結婚は、もうちょっと先になりそうだな。いい気味だ。そう思いながら水を飲んだら、
「杏花は無事に授かって良かったね」と言うので、水を吹きそうになった。
「え? 何の話?」
えりちゃんが先に食いつく。
「杏花、妊娠したって聞いたんだけど?」
「そうなの? ミナトくん」
二人が僕を見つめる。首を横に振りながら、
「いや、聞いてない。聞いてないよ」そう言って立ち上がった。
「ちょっと確かめてくる」
カフェルームを出て、僕はスマホを取り出した。すぐに杏花に電話をかけたけど、何度コールしても繋がらない。
仕事中だとわかっていても、胸の動悸が収まらなかった。ジーンズのポケットをまさぐり、杏花の名刺を取り出す。
ホテルの前からタクシーに乗って、僕は会社の住所を告げた。そしてもう一度、電話をかけた。今度はすぐに繋がり、今からそっちに行くと告げる。
彼女が経営している会社は、思ってたよりもデカいビルの高層階にあった。ビルの前に立った僕は、思わず上を見上げる。
こういうところで仕事をしていることや、今回のことも含めて、僕は杏花のことを何も知らないんじゃないか。結婚したいと思ってる人なのに、僕は知ろうともしていない。
ビルの中に入ってすぐ、杏花がエレベーターから出てきた。僕を見て、少し怖い顔をする。
「急にどうしたの? あなたは休みかもしれないけど、私は仕事中なのよ」
「ごめん。良かったら会社の中を見せてよ」
「え? どういうこと?」
「杏花がどんなところで仕事をしているか、見てみたいんだ」
「あ、そう。まあ、いいけど……。見たらさっさと帰ってよね」
彼女は嫌な顔をしたまま、エレベーターに僕を乗せた。さりげない感じで彼女のお腹を見つめる。この中に、本当に僕の子供がいるんだろうか。全然、出っ張ってないんだけど。ひょっとしてもう……。
エレベーターを降りてすぐ、僕は杏花の腕を取った。
「何?」
「妊娠してるって本当なの?」
杏花は驚いた顔をして、すぐに視線をそらした。
「僕には知る権利があると思いますけど?」
「……生むつもりはないよ」
「どうして?」
「生める訳ないじゃない」
人が近づいてきたので、杏花は表情を変えた。
「ではご案内いたします」
そう言って先に歩き出した。『株式会社カシワイズム』と書かれたプレートのドアを開けて、オフィスの横の扉を開ける。
「こちらへどうぞ」
促されるまま部屋に入り、ソファに座らされた。テーブルとソファ、キャビネットがあって、杏花の趣味なのか、シンプルで機能的な応接室って感じ。ドアが開いて、紙コップのコーヒーを持ってきた杏花は、僕の向かいのソファに座った。
「誰から聞いたか、なんて聞かないよ。ソノちゃんにしか言ってないんだから」
「生む気がないってどういうこと?」
彼女はコーヒーを飲んで足を組んだ。膝から下のきれいな足が見えて、ちょっとドキッとする。
「えりがあんな状態なのに、子供どころじゃないでしょ? 私もだけど、あなたの方が無理じゃない?」
「無理じゃないよ。僕ならウェルカムだよ」
「なんで? ミナトにとっては、サポートしたいと思う人が三人になるんだよ?」
「確かに容量オーバーだと思うけど。でもせっかく授かった子供だよ? 死なせるなんて絶対に嫌だ」
「でも……。今はその時期じゃないと思う」
「杏花」
僕は頭を深く下げる。
「お願いだから生んでください。僕が子供と杏花を必ず守るから」
そのまま頭を下げていたら、杏花が隣に座って僕の肩に手を置いた。
「その言葉、忘れないでよ」
「じゃあ、生んでくれるの?」
「生むわよ。最初から生む気しかないわよ」
「へ?」
「ミナトの覚悟を知りたかっただけ」
彼女はにっこり笑った。
「何だよ、それ。意地悪だな」
僕はソファにもたれる。全身に汗をかいていて、ポケットからタオルを出して顔を拭いた。
「あー良かった。もうどうしようかと思ったよ」
「ごめんなさい」
杏花は僕の頬にキスをした。
「ミナトはえりのことに必死で、私のこと忘れてるんじゃないかと思って。ちょっと試してみたくなったの」
……さすが、杏花。バレバレでしたか。
彼女は急に口を押えて、
「ごめん。気分悪いからトイレ行ってくる」と部屋を出て行った。
僕はコーヒーを飲んで、ホッとしていた。
良かった。生んでくれるんだ。僕と杏花の子供……。
嬉しくて座ってられなくて、部屋の中をスキップした。
子供、子供かあ……。こんなにハッピーなことがあって、もう、どうしょう。
泣きながらスキップしている時に、杏花がドアを開けた。
目が合って、すごい速さでドアが閉まる。そして聞こえてくる爆笑。ああ、恥ずかしい……。
「おまえそれほんま、やらかしたなー。オレやったら死にたなるわ」
ヤスが目をこすりながらそう言った。王子はまだヒイヒイ笑い続けている。えりちゃんも、「スキップ、スキップって」と言いながら笑ってて、杏花はうつむいて、肩を揺らしている。
閉店後の「プリンス」にて、珍しいことに五人が集まっていた。
ソノちゃんは仕事で来れないと、とても残念そうにしていた。いや、僕にとっては有難いことです。イジメのようにからかわれる姿を、お見せしなくて本当に良かった。
「それビデオに撮ってほしかったわ」
「ごめん、そこまで気が回らなかったのよ」
ヤスと杏花がそう言ってまた笑う。
「みんな、わかってないよ。好きな人のお腹にさ、自分の子供がいるんだよ。それ聞いたら嬉しいじゃん。泣きながらスキップぐらい、したくなるもんでしょ?」
「ならない、ならない」
王子が笑いながら手を横に振る。
「あなたは冷血なんだよ」
「おまえが面白いの」
「ちぇ」
僕はふてくされて、みんなに背中を向けた。そんな僕に構わず、
「それで杏花、今何か月?」カウンターの中に戻った王子がたずねる。
「えっと、6週目だから2ケ月かな」
「そうか。つわりでしんどい時期だな」
「うん。食欲がほとんどないよ」
「ちょっと痩せたよな。ほんまに大丈夫か?」
ヤスが杏花の顔を見つめると、
「あんまり見ないで。肌ボロボロなんだ」と手で頬をおおった。
「おまえは昔から頑張りすぎるねん。大事な時期やねんから、無理したらあかんで」
「ありがと」
僕はヤスを見た。杏花のことをよく見てるし、気遣っている彼の方が、杏花にはふさわしいような気がしてきた。
なんとなく掌を見る。自分はいつも余裕がなくて、周りをちゃんと見ていない。妊娠して不安な状況の杏花のことを放って、えりちゃんのことばかり構ってた自分よりも、ヤスみたいな人といる方が、彼女にとって幸せなんじゃないか。
ふと見上げると、えりちゃんが笑顔で立っていた。
「今日はひとりで帰るから。杏花のこと、よろしくね」
「え? 大丈夫なの?」
僕は立ち上がる。
「大丈夫だよ。じゃあ、また来るね」
みんなに手を振って店を出ようとするえりちゃんに、
「待って。駅まで送るから」と付いて行こうとすると、王子が近づいてきた。
「買い物行くついでがあるから、オレが送るよ」
「そう。じゃあお願いするね」
王子が出ていくと、ヤスが立ち上がった。
「そしたらミナトは、奥さんと一緒に家に帰ろか」
「ああ、うん」
「しっかりしろよ。お父さん」
僕の肩をパーンとたたいてヤスは笑った。杏花の手を取ると、少し照れたように彼女は微笑んだ。
駅までの道を、そのまま手を繋いで歩く。
「ごめんね。僕ってさ、杏花にふさわしい男じゃないよね」
「急に何を言ってるの?」僕を見上げて杏花は笑う。
「いいのよ。ミナトはそのままで」
「ヤスの方がいい男だよ」
「知ってるよ。幼馴染なんだから」
杏花は楽しそうに笑った。
「あんないい男、今まで会ったことないよ。ヤスには感謝してるし、これからもずっと傍にいてほしいと思う」
「なんで付き合わなかったの?」
「うーん。彼氏にそう聞かれるとは思わなかったな」
杏花はまた笑う。
「好きっていろんな形があると思わない? 付き合って結婚することだけが、全てじゃないよ。ずっと友達でいるってことが、私とヤスにとっては最高の形なの」
「でもあいつは、あなたのこと本気だと思う」
「それも知ってるけど。私だってある意味、ミナトよりも大切に思ってるよ。でもね、あいつと寝たいなんて一度も思ったことないのよ。男として魅力を感じないし、ぶっちゃけ好みじゃないんだよね」
ちょっと言い過ぎちゃったと、杏花は舌を出す。
「ヤスはイケメンなんだけど、私はミナトの方が好みなの。わかった?」
「はい」
「多分、私にとってヤスは家族なんだよね」
僕は空を見上げる。星が光る夜空を見て、えりちゃんのことを思った。
杏花にとってヤスが家族のように、僕にとって彼女は、もう家族のようなものかもしれないな。
「納得した。じゃあ杏花は僕でいいんだ」
「そう。ちょっとおバカで泣きながらスキップするような人が、私はいいの」
僕の腕を組んで、杏花は甘えたように言う。
赤提灯が並ぶにぎやかな商店街を通り抜け、駅で切符を買った。
ホームで電車を待っている時に、僕は杏花の顔を正面から見た。
「ちゃんと言ってなかったから、今言わせて。僕と結婚してください」
頭を下げた僕に、よろしくお願いしますと言って、杏花は手を繋いでくれた。
「杏花の家にも報告しなきゃね」
「うん。首を長くして待ってるよ。特にお父さんが」
やって来た電車に乗って、席に座った杏花の前に立つ。
なんて目まぐるしいんだろう。日本に帰ってまだ半年ぐらいしか経ってないのに。こうして杏花と結婚し、子供が生まれるなんて。
つい最近まで、大きな荷物を抱えて街から街へ、こんな風に電車に乗って旅してた僕が――今は大好きな人と家族を作ろうとしている。
杏花と赤ちゃんと僕、そしてえりちゃん。
このメンバーで一緒に暮らしたいと思うようになるなんて、本当に人生って不思議なご縁がたくさん繋がってできていくものだな。
このご縁を大切にしていきたい。そう思って杏花の手を取り、一緒に電車を降りた。
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