2-3
穂白にあてがわれた部屋に連れ立って戻り、穂白は寝台のふちに、天碧はそのそばの椅子に腰を下ろした。
受け取った椀に口をつけようとすると、天碧がそれをなぜかじっと見つめる。
昨夜の粥は本当に天碧は毒味をして見せたし、やけに美味しい以外とくに気になる点はなかった。なにかを盛るなら、最初よりも信用を得た次の飲食物の方が効果的だろうけれど、天碧がお茶を淹れるところを穂白は見ていた。
じゃあこの視線は一体何を意図したものなんだと怪訝に思いつつも、穂白は椀に唇を寄せた。口に含んだ茶は、これまたやけに美味しい。
「穂白がなにかを口に含むのを見るの、好きだな」
天碧が微笑んで言う。
二口目を飲もうとしていた穂白はぴしりと固まる。
「飲まないの?」
「……」
そんなことを言われたら飲みにくくなるだろうという気持ちで天碧を睨んだが、いちいち反応してしまうのも手のひらで転がされている感じがする。穂白は躊躇いを捨てて一気に飲み干した。天碧が「美味しかった? おかわりはいるかい?」と尋ねてくるのは無視した。
「昨夜から今まで出掛けてたって、ずいぶんと忙しいみたいね」
「祓穢事が立て込んでてね。祓穢の数に対して不浄の発生量は尋常じゃない。穂白が働いていた頃もそうだっただろう」
天碧もお茶を一口含んで続けた。
「それを退治するのも、穢れを患った人たちの扶助も一筋縄じゃないかない」
「……聞くだけなら、ちゃんと祓穢事しているみたいね」
「事実としてしているよ」
小さく笑った天碧は懐を探ると、紫の
「これで信じてくれるかな」
玉の彫は国随一の彫師による精巧なもの、偽造することはかなり難度である。天碧が掲げたそれは、少なくても穂白にはかつて自分も所持していたものと同質に見えた。
「紫格だったのね」
「最も忙しい分、最も融通がきくからね。なにより僕が祓穢を目指すきっかけとなった人が紫格だったから」
この男にも憧れや指標のようなものが存在するのか。
表情は微笑みのままだが、深い音を持って放たれたその言葉に、穂白は少し意外に思った。同時にふと気づく。
「……あんた昨日、私の封印を解いたから霊力はすっからかんだって言ってなかった? それで、祓穢事?」
「穂白、なにか勘違いしてるね。あのとき、僕はちゃんと〝今はすっからかん〟と言ったよ」
ぐ。
言われてみれば、たしかにそう言っていたかもしれない。
「今はもう回復している」
天碧はしれっと言う。穂白はこめかみがひくりとするのを感じたが、これにおいては自分の落ち度でもある——。
「待って。あんたあのとき、部屋に入ってきたときも嘆願がどうのって」
「ああ、急ぎの祓穢事が入ってね。そこで君を解放した後に残ったなけなしの霊力を使ったから、あのときは本当にすっからかんだったんだよ」
「……」
「だから、君を騙したつもりはない」
もしかしたら、嘘ではないのかもしれないけれど、しれないけれども……!
「話せば話すほどあんたとは馬が合わないっていうのを痛感するわ」
「僕は話せば話すほど、穂白に愛しさを感じるよ。ああ、誤解しないね。もともとこの上なく愛しいところにさらに募っていっているということだから」
「そういうところよ」
結局この男に乗せられてまたこぶしをかためてしまった。殴っていいかとまた問いそうになったのは飲み込んだ。返事は分かりきっているし、それを脳内で再生しただけでそれはもういらっとした。
「穂白」
「なに」
尖った声で返せば、天碧は椀を側にある机に置いた。
「大穢変災の被害はもうずいぶん前に落ち着いている。僕が忙しいのは、僕が勝手に仕事を受けているだけだから」
は、と顔を向けると、天碧が変わりない微笑みを持って穂白を見ていた。
「ただ、最近の花樹にはよろしくない兆しが見えはじめているから、君に手伝ってもらいたいと思ったんだ——穂白は社交界に出たことはあるかい」
じんわりと穂白の眉は顰んだ。それに天碧はくすくすと笑う。
「あまり好きじゃないみたいだね」
好きじゃない、という表現は、たしかに言い得て妙だった。
穂白は社交界が昔から好きではない。貴族たちが主催し飲食を楽しみ関係を構築する場に、祓穢はよく招かれる。祓穢機関であったり仕事で関わった相手からだったり経由はさまざまだが、そこに紫格の祓穢が参加したときの客寄せ熊猫と見せ物感はそれはもう凄まじい。
常時四方八方から好奇の視線が向けられ、一歩歩くだけで誰かしらに話しかけられ「もし我が家に何かあった際にはぜひとも」と熱心に請われる。そりゃあなにかあった際には当然祓穢として助けるつもりは満々だが、あからさまに不自然な流れで嗜好を聞かれたり、握手する手で含み渡そうとしてくる金銭やらから「もし我が家に何かあった際にはぜひとも他所よりも優先してほしい」という意図がどうしようもなく見えてしまう。居心地も悪ければ飲食もちっとも楽しめないし、気分もよくない。穂白が他者の穢れを自身に引き受ける「
「なんで突然社交界。まさか、あんた私を社交界に連れていく気?」
「そのまさかだ」
「……国絡みの仕事って言ってなかった?」
「太子主催だからね」
「あんたって普段から式神使ってるの?」
「持ってはいるけれど、使ったことはほとんどないね」
「……あんた本当に自分の罪を隠す気ある?」
およそ変装か幻視術で穂白を式神に見せる算段なのだろうが、ただでさえ紫格、そのうえこのうるさいほどにきらきらとしたこの容貌を持ち合わせているこの男に果たして、人間が群がらないことがあるだろうか。いや、ない。それが見たことのない式神を連れていたら確実に好奇の的である。
その中にもし霊力や術に長けているものがいたら、真の式神使いがいたら。変装も幻視も所詮偽りでしかない。微かな綻びで訝られる可能性はあり、国の社交界で術が解けでもしたら、天碧も穂白もお縄どころではない。
「大丈夫だよ、穂白。この仕事のために特別な術を用意した」
「はぁ?」
天碧はまた懐に手を突っ込むと、札を一枚取り出した。その表面に指を立てると何かを描くように動かしてから四つに折りたたみ、右手の中指と薬指、親指で挟み持ち、小指と人差し指はぴんと立てる。
「こん」
瞬間、ぽんと白い光が弾けたかと思うと、天碧の手からすとんと小さなものが落ちた。目で追うと、そこには桑染色の体にくりっした黒目を持ったもの——小狐が四つ足で立っていた。
「か、かわいい」
思わずそう零した穂白を、小狐はじっと見上げてくる。なんとなく両手を広げて見せたら、小狐は黒い瞳をぱっと煌めかせて、穂白の膝に飛び乗った。抱き抱えればふんわりとしたやわらかさを感じた。それだけでも胸がいっぱいなのに、小狐はあろうことか、穂白の胸元にすりすりと頬擦りまでしてきたのだ。その愛くるしさたるや、変な声が漏れそうになるのを必死で堪えた。
「やっぱり、穂白には懐くと思った」
「え?」
「式神は召喚者の性質を大きく引き継ぐから」
そう言った天碧が伸ばした手が小狐の頭に触れそうになったとき、小狐はそれをぺしっと弾いた。
天碧は肩を竦める。穂白がぱちりと瞬いて小狐を見れば、天碧を弾いた足をきゅっと引っ込め、きらきらした目で穂白を仰いでくる。撫でて愛でてと言わんばかり。
この小狐は天碧の式神なのだろうが、それが天碧には逆らい、穂白には懐くとはどういうことだ。式神は召喚者の性質を大きく引き継ぐ、というのは穂白自身も式神使いではないが聞いたことはある。
どういうことか分からず首を傾げると、小狐も一緒に首を傾げた。かわいい。
「この子が僕が持っている数少ない式神、こんだ。この子に協力してもらって、君の
なるほど、特別な術ね——穂白は理解した、この男がやろうとしていることを。
「禁書十九号。式神との融和術、
「さすが、祓穢機関図書倉庫の籠り人」
どこでそんな古い渾名を聞いたんだ、この男は。
いや、それより。
「まさかそこからこの子の名前をつけたとか言わないでしょうね」
天碧は否定することなく微笑んでいた。
「融和術を使いたくて生み出した子だからね。混で魂質を変えるための子という掛詞も込めて」
「調度品とかの選びはいいと思っていたけれど、名前の選びは最悪ね」
「この家、気に入ってくれたってことかな? それは重畳」
「……」
「別に悪い名前じゃないと思うんだけれどな、こん。むしろ、かわいいよりだと思っているよ、僕は」
睨みつければ、天碧が顎に手を当てて言った。たしかに、理由を聞かずにいたらかわいらしい音の名前をつけたものだと思えていたかもしれないけれども。
適当な主に仕える哀れな小狐をよしよしと撫でれば、くぅんと鳴いて穂白に擦り寄る。かわいい。
「ちなみに念の為に聞いておくけれど、禁書の意味は知っているかしら」
「祓穢機関においては主に禁術が記された書を指すね」
「分かっていて手を出したことを堂々告白するとはいっそ感服ね」
「今更だろう。祓穢が施した封印解く解放術も禁術だ」
天碧はちっとも悪びれることなく、わずかに顔を傾けた。
「それに、禁術は元から禁術だったわけじゃない。かつては正しく使われていたが歴史の中で悪用しようとし失敗したものが出てきた、その失敗の被害が甚大だったから禁術と認定されたというだけ。使い方を誤らなければ、禁術も有用な手段になる」
穂白はそれに反論することはできなかったけれど、肯定することもできなかった——なにせ、穂白が使っていた穢受術は実質、禁術だったから。
祓穢機関に所属してから穂白は、穂白は少しでも時間があれば図書倉庫に籠り熱心に書物を読み漁っていた。天碧が口にした古い渾名はその当時、先生や級友に呼ばれていたものである。少しでも強くなりたかった。それに、最初についた師がよかったのだろう、かつての霊術は不浄を退治するだけではなく生活を支えるためのものだったと聞いて、この世界にはどんな霊術がどれだけあるのかと興味を持ったし、調べて知って鍛錬して使えるようになるのは、もっと役立つように改良するのは楽しかった。我ながら、好奇心が強い性質だったと思う。
そのおかげで、祓穢機関を卒業してすぐ、穂白が十五のとき——弟が不浄に襲われ、穢れを患ったとき。退治すべき不浄を追ったが憎いことに足が早く、弟は体が弱いこともあり、穢れの侵食が早かった。汗を流し魘され苦しむ弟を見て自分が代わってあげられたらと何度も思った、そして本当に代われやしないかと閃いたとき、頭の中に詰めた知識を引っ張り出すのも、まだ読めてない書物を捲り理解するのも、ちっとも苦ではなかった。
そうして見つけた古びた文献に、何百年も前には穢受術を扱える者が稀ではあるがいたらしい歴史を見つけた。穂白は血眼になってそれと同年代の術書を漁ったが、穢受術の術法はどこにもろくに記されていなかった。穂白はひどく落胆したが、そのときふと、思い出したことがあった。
かつて師が祓穢事中に見つけた書を寄贈するのを手伝ってはじめて禁書庫に入ったとき——禁書庫に入れるのは紫格のみで、当時の穂白はまだ赤格だった——穂白はその物珍しさから興味津々にきょろきょろと辺りを見回して、気になる書があれば自分にはまだ読む資格がないことは分かりつつも、磁力に引き寄せられるように近づいた。そんな折にうっかり落として床に広がった禁書の中に、血を用いた禁術があったことを思い出した。一目見た限りで記憶は薄いが、たしかそれは自身の血を対象に付着させれば、自分が負った傷を相手にも負わせることができるという、いわば道連れ的なものだったと思う。
紫格となった穂白はもう禁書庫に入り禁書を読む権利も与えられていた。何時間もかけて件の書物を探し見つけ目を通した。そしてふと、その禁術が穢れを患う経緯に似ていることに穂白は気づいた。
穢れというのは、不浄に傷をつけられそこから不浄の黒々とした体液を流し込まれることで患う。だからやりあって打たれた擦り傷をつけられただけでは穢れに侵されることはない。不浄は意図を持って相手を捕え、体液を注入して穢し、同族にするのだ。まさに、自分の負の感情に他者を道連れにするように。
血液には強い霊力が宿り、その強さのあまり大概の場合は毒となりうるため血を用いた術はおしなべて禁術とされるとその書物にも記載されていた。
不浄の血は毒のようなもの。そして人間の血も使いようによっては毒となりうる——ならば、河豚と曼荼羅華の如く、毒と毒で殺し合うことはできはしないだろうか。強大な霊力で暴走する不浄を退治するには、霊力を用いた霊術が必要である。ならば、不浄の体液から生じる穢れを除くのに、人間の、自分の体液を活用できはしないだろうか。そうできる術を編み出せはしないだろうか。
師からも、先生らからも、禁書は読む権利は与えられていても決して使用してはならない、これは前車之轍として読むものだと厳重に注意されていたから躊躇いはあった。だが、手を出さねば弟を失ってしまうかもしれない、手を出せばもしかしたら弟を救えるかもしれないと思った穂白は、これまで身につけてきた術法を組み合わせ改良していった。そしてただ自身に穢れを移すだけでは弟の穢れを覗けても心に傷をつけることになるだろうという思いから、自浄も開発し身につけた。
穂白がはじめて穢受術を使ったとき、紫格を持ち、禁書を把握している師は、血を用いた穂白を見てすぐに禁術だと理解した。それはもういたく穂白を叱ったし、謹慎処分が下された。ただ、それは禁術に手を出した罰としてはずいぶんと甘いものだった。師も弟と親しくしてくれていたし、穂白の心情を理解してのことだったと思う。
そこで終わっていれば、そこからもう二度と使わないと誓約でも立てていれば、師と弟と穂白しか知らない、悪くてあたたかな秘密にしておけた。
「じゃあ、穢受術も今はきちんと禁書に載っているんでしょうね」
穂白は穢れに侵され苦しむ無辜の人々を放っておけず、放っておかなくて済む手段を得て、それを外でも行使してしまった。穂白の術はすぐさま国中に知れ渡り求められた。禁術と理解しているだろう同じ紫格の祓穢たちは見て見ぬ振りをし、むしろ、協力を仰いできた。唯一師だけはあまりよい顔をせず、どこかの折でその術を封じるべきだと助言してくれていたけれど、その頃には穂白も……羞恥のあまり自分で思いたくないけれど、きっと、調子に乗ってしまっていた。この力があれば、あとは手さえ届けば、触れた全てを救えると、守れると、信じ慢心していた。だから、それを封じる意味なんてあるのだろうかと思っていた。まさに、禁術も正しくよいことに使えば有用だと思っていた。
その結果がご覧の様。穂白が抱え込んだ穢れが溢れ出した後の審問の場で、かつて見て見ぬふりをしていた同格の同士たちは「血を媒介とする術は禁術とされる」と証言し出した。今更の告げ口に怪訝の眼差しは集まったものの、彼らに言葉の矛が向くことはなかった。多少の綻びは、穂白という最大悪を前にしてなかったこととなった。
「穂白は悪用も失敗もしていないだろう」
きっぱりとした声が返ってきた。
「は?」
穂白はすぐにその言葉を理解することができなかった。
「あの変災の渦中にたしかに穂白はいたけれど、穂白が起こしたものじゃない」
「私が起こしたものよ。私から穢れが溢れ出した」
「確かにそれも事実だけれど、それだけが事実じゃない」
「なに言ってんの」
「言い方を変えよう——あれは、穂白が望んで起こしたことじゃない。そうだろう」
見開いた目がしんと乾いた。力が抜けた腕からするりとこんが降りていった。穂白の足元をつんつんと突いてきたけれど、構ってやることはできなかった。
「どういうつもり」
「どういうつもりって?」
「どういうつもりで私を擁護しているのって聞いてるの。そうね、もっとわかりやすく言うべきね——馬鹿にしてるの?」
「君を馬鹿にしたことなんか一度もない。天地神明に誓えるよ」
「あなたほど軽率に誓いを立てる人間を見たことがないわ」
穂白は、向かいにある笑みを崩さない男の顔を睨む気にさえならなかった。頭の奥から胸までが凍るような暗く冷えた呆れが満ちていた。
「別に軽率なんかじゃないよ。ただ、穂白への誓いなら僕はいくらでも立てられるだけさ。もちろん、穂白がなにかを負うことはない。僕がただ穂白に誓いたいだけ」
「あんたがあんたの望みのためにその回る口でどんなおべっかや演技を繰り出そうがあんたの勝手だけれど。罪人に〝お前の罪はお前が望んで起こしたものじゃないだろう〟なんて言うのは逆効果でしかないわよ。そこに心が伴ってなければ、悲しい過去があれば、罪はなくなるの? 違うでしょう。穢れ姫はこの国を侵した、大罪を犯し極刑を下された。それだけが事実よ」
「本当に?」
ふいに穂白の右手が天碧に掴まれる。
「それは客観的事実で、穂白の真実じゃないんじゃないの」
そのまま引き寄せられたかと思うと、額が、鼻先がぶつかった。互いが互いに影を落とし合う中で、穂白を反射した翡翠の瞳が妖しく輝いた。
「誰もがあなたから目を逸らしたから、諦めるしかなかっただけじゃないの」
低く囁かれた言葉に、穂白の心臓がひとつ大きくなった。
頭にかっと血がのぼって、天碧の胸を弾き飛ばした。その弾みに棚が揺れて、置かれていた椀が床に落ちて割れて、甲高い音を立てた。穂白はこのまま天碧に掴み掛かりたい気持ちにも、ここから逃げ出したい気持ちにも駆られて、一瞬立ち竦んでしまった。その隙に、天碧がひとつ術を口にすると、穂白の体は不思議な力によって寝台に横たわらされ、動けなくなった。
「離して」
「こんな状態で暴れたら怪我するだろう。すぐに片付けるから」
「私は」
寝台上からは動けなくなっても、穂白自身の動きが封じられたわけじゃない。浅くなった呼吸に、胸が激しく起伏する。耳や頬が焼けそうなほどに熱くて、噛み締めた奥歯がきしきしと痛む。
何度も捏ねては混ぜて崩れては立て直し自分を納得させてきたことが、こんな軽薄な男のこんな言葉で泡になるのが、惨めで情けなくて嫌だった。
「あれは、私の罪よ」
それでも、出た声は情けなくぶれてしまった。
それでも、天碧はそこを詰ることはなかった。
「最年少で祓穢教育機関に入り、同じく最年少で紫格を獲得。誰よりも術書を捲り、誰よりも率先して祓穢事に赴き、身内が穢れに侵されたときには自らの生活をかなぐり捨て術を編み、その編んだ術でさらに多くに手を差し伸べ救い、そのうえ大乱の間際までは——君は、不浄にも手を差し伸べられないかと研究していた」
「どうして」
それは、師や弟にすら話していないことだった。
師は不浄退治に心血を注いでいるし、弟は不浄の被害にあっているから、軽率に話すべきことではないと思った。それでも、その考えを捨てきることはできなかった穂白は人目につかない郊外の洞窟の中にたまに赴いては思考に耽ったり術を考えたりした——負の感情を溜め込んだ生き物の行く末が不浄である。ならば、どうにかして負の感情を昇華させるなりすれば元の生き物に戻れやしないだろうか。穂白は大切な人が不浄となった悲しみをいくつも聞いてきたし、自分もその危機に立たされたことがあったからこそ、穢受術と自浄を編み出せた経験があったからこそ、そんな突飛で理想的な望みを叶える術もあるのではないかと探していた。
「それだけ義侠心に溢れ、他を慈しむ人が、この国を傾けるような悪意をふるうことがあるだろうか。単純に根拠が見当たらない。それに、それだけ術に勤勉で救済に真摯な人が果たして穢受術を身につけた際に、万が一を考えないことがあるだろうか。自浄があるとて、穢れをすぐさま除けるわけじゃない。根深いものなら六日余り、新鮮なものでも一日は掛かると聞いた。ならば、どれだけ穢れを溜め込めるか、溜め込んだものが溢れ出すことはないか、そんなことは考えなかっただろうか」
穂白は割れた硝子を拾い集める天碧を呆然と見つめた。
「あんた、なんなの」
わずかに顔を上げた天碧は穂白を仰いでにっこりと笑んだ。
「言っているだろう。君のことが大大大好きなただの男だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。