第41話 虚像
ユウの手により木彫りで再現されたエルダの立像。それを目にした時、私は以前にした双子の話を思い出した。
あの時にユウは、双子でいる感覚がどんなものなのかと思いを巡らせていた。自分と瓜二つの存在。それを前にして、あるいは傍らにして自己は揺るがないのかと案じていた。
エルダはそんなことはないという態度を示し、私もまた双子は自己を溶かし合う存在ではなく、その逆に自己を際立たせることもあり得ると主張したはずだ。
ユウが彫ったエルダ像は精巧の一言で済ませるには、それはあまりに人間めいていた。
言うなれば魔法か何かで美少女が木に封じ込められたような。そんな空想を幼子に語れば信じてしまうような出来だった。エルダと生き別れた双子の姉妹の成れの果て、そんな不謹慎なおとぎ話。
夏場であり、制作期間も短かったからモデルを務めてくれたエルダの服装は薄着だった。身体の凹凸具合がはっきりとわかる服。そうは言っても貴族令嬢としての節度に反しない代物だ。
けれどもユウが彫り上げた女性像の体つきは見れば見るほどに官能的な趣があった。
ポーズは、足をわずかに交差させ、両手をちょうど臍の前あたりで重ね合わせて立っているだけだ。わざとらしく小首を傾げてもいないし、上半身を前に突き出してもいない。
細部それぞれではなく全体として捉えた時に、そこには怪しい肉感と扇情的な香りが漂っているのだ。
最も造りこまれているのはその表情で、それはたとえばある種の舞台芸術に用いる匿名的な仮面とまるで違う印象をもたらす。
それはエルダだ。エルダがそこに在る。彼女を知る人間ならまずそう感じるだろう。
しかし、私、そしてエルダ本人の心を強く揺さぶったのは、その木像の顔を眺め続けていると、それがいったい誰なのか、自分のよく知るあの少女かどうか自信が持てなくなってくることだった。
なぜ、と言われてもそう簡単には説明できない。それゆえに私たちはそのエルダ像を最終的に恐れた。
これまでにもユウの作品に畏怖することは何度かあった。それは同じ木彫り師である自分よりも遥かに高度な技の結晶をまざまざと見せつけられたからであったり、もしくは神聖と表すしかない領域の完成度に感服したりしたからだ。
――今回はそうではない。
ユウの造り出した私たちの友人である美しい少女を模した像、そこに畏怖の念を抱くのは、混ざりけのない怖さ、未知なる不気味さがあるからだ。
「これ、生きてはいないのよね」
鑑賞直後に、エルダが絞り出したその言葉が物語り、制作者に確かめたかったのは、その木彫りがいかに現実のエルダに近しいものであるかよりも、この像が動き出さないこと、部屋を出れば視界から消え、会おうとしなければ二度と会わなくて済む事実だった。
三人が作品の提出を終えたその日、エルダは私と二人きりで話す時間を作りたい旨を、ユウには内緒で伝えてきた。
実現したのは真夜中だった。
私は夏の夜の暑さを理由に、ユウを彼女自身のベッドで寝かしつけると、約束した時間に間に合うように部屋をそっと出た。
暗がりではユウの寝顔は見えなかったが寝息はいつもどおりの穏やかなものだった。
エルダの部屋へと向かう道中、誰にも会わなかった。それどころか、院内から音という音が消え失せたかのようで私は身震いした。
風に流された雲が三日月を隠してはまた覗かせるを繰り返す夜。エルダの部屋の前に着く頃には私の額はじわりと汗ばんでいた。
一方で、床や壁は夏を知らなかった。それらはもう幾度となく同じ場所で季節の巡りを経験しているだろうに、いや、だからこそか、季節の外側にいるみたいに冷ややかだった。
事前に打ち合わせしたとおりに、ノックせずにエルダの部屋、施錠されていないそこへと体を滑り込ませるようにして入った。
室内には小さな明かりが灯されているのがすぐにわかった。「エルダ」と私が言うと彼女は「あぁ……リラさん」と妙に感嘆した声をあげて迎えた。
お茶会の時の席につこうとしている私を、寝床にいるエルダが手招きした。そして私をベッドの上に座らせると「肩、貸してくれる?」と訊ねてきたので、私は「どうぞ」と言った。そうしてエルダは私の左肩から腕にかけてその身を預けると話し始めた。
「双子。そう、鏡ではなくて双子。それもオカルティックな意味合いでの双子よ。私はあの像に私を感じ、それから私ではない何か、怪物を見たわ。ひょっとすると私の内に秘められているような、怪物を」
内側。ユウがそうとは意識せずにエルダの内面をも像に再現してみせた?
それは当事者であり、鑑賞者となったエルダの思い込みではないか。そんな私の心を見透かしたのか、エルダが「なんてね」とクスッと笑った。
「リラさん、私ってあんなふうに、その……色香がある?」
適当な語句を探したうえでの質問らしかった。でも色香ではあの像から抜け落ちる印象は多々ある。
「わからない。わかるのは、エルダさんは魅力的な人ってこと」
「その魅力はあの像にすべて過不足なく写し取られた?」
「いや」
「本当に?」
「うん。いくらユウでも無理だよ」
「詳しく教えてほしいわ」
そう言ったエルダの声は、ユウが甘えてくる時に出すのと似ていて私はぎょっとした。おまけに今はエルダも私にその体を預けているのだ。ユウにはないふくよかさを直に感じているのだった。
「たとえば……今聞いている囁き声一つとっても、あの木像からはしない。髪だってそう。単に彩色したところでエルダさんの髪が命あるものとして造るのは不可能だって思うよ。それに、肩にかかっている重さと柔らかさ。全部、生きているエルダさんのものだ。だから――」
あの木像はエルダから決定的な何かを奪うことはない。自己同一性なり、エルダ・パンフィーネの誇りなり。そうしたものはエルダという少女のものだ。
「ありがとう。貴女が彫ってくれた像、髪のこだわりはきっとユウさん以上だったわね」
「褒め言葉かな」
「ええ。表情はずいぶん凛々しくしてくれたけど、あれも私だって受け入れるわ」
「そっか。怖くはならなかったよね」
「良くも悪くも、ね」
友達をモデルにして彫った像の域を超えなかったのは自分でもわかっていた。
「ユウさんのあの像は……彼女の制作歴の中でなんてことない作品になりそうだけど、私にしてみればこれまでのどの作品よりも危ういもの」
「危うい?」
「私があの子を……友達や妹、同志として見れなくなりそうな、作品」
「あの像で二人の関係性が変わる?」
「そんなことないって、リラさんは思っているわよね。普段のユウさんを知っていればそんなことはないって。鑿を握っていない時のあの子は普通の子だからって」
エルダが私から離れる。
灯りを手に持ち、窓辺に立つ。彼女からは私は暗がりに沈み、私は彼女の照らし出された顔を見る。
「リラさん…………私といっしょにここを出る気はない?」
「ごめん、話の流れを掴み損ねたみたいだ」
「ふふっ。そうよね、そうなのよね。貴女からすればこんなこと、ただの一度も考えなかったわよね」
「もしかしてエルダさんは」
エルダは口許に人差し指を当てた。お静かに。まだ彼女の話は終わっていない。私は口を挟んではならない。
「カルメンさんたちは工房への帰還を決定したわ。それとは別口で私も早くにここを去るか、再び選ばないといけなくなったのよ」
いつかの手紙。
ナパボルトからの帰還要請。神樹の彫り人になれる見込みがないのなら、選出課題を前に戻ってきてほしいとういうもの。
もはや過去の出来事なのだと勝手に思っていた。あれからどれぐらい経った? 実はそんなに経っていないのか。
私が知っているのは、目の前にいる高貴なる人物は帰らないことを決心したはずだということだ。私とユウと三人とで最後まで、戦う。競う、彫り続ける。資格ある乙女として。神彫院の候補生として。
そうではなかったのか?
ふと思い出す。エルダはこうも言っていなかったか。ナパボルトは帰る場所ではない。帰るとしたらパンフィーネ家だと。
明かりがふっと消える。いいや、消した。
一瞬、エルダの像が浮かび上がり、闇の中へと溶け込む。
そして声がした。木像では出せない声が。
「私……婚約が決まったの」
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