第34話 真実は何処に
時を遡り、カシラギが王家との付き合いで一時的に神彫院を離れる前日のこと。
それは言い換えると、ソレイユがどの候補生も比肩し得ないほどの木彫り師だった話を聞いた一週間後だ。
私の中で、もしかしたらという思いが膨れ上がり、約束の日ではないのにカシラギの部屋を訪ねたのだった。
入室を許した彼女は、出発の準備をちょうど終えたところだと話したが、荷物は少なかった。既に所定の場所に運び出しているわけでもなく、単純にあれこれ持っていっても何も役に立たないからだと言う。
「王族たちの暮らしぶりを聞きに来た様子ではないな」
「私にとってそれよりも大切なことです」
「妙な言い方だ。王族たちがどう生きているかが重要になってくる人間などそう多くないだろうに。たとえば……あなたが次の彫り人に選ばれ、そして王家に名を連ねる誰かと婚姻を結ぶことにでもなれば、知っておいて損はないが」
「ひょっとして先生は王家の方に……?」
カシラギは「さあな」と応じた。
彼女の美貌ぶりを考えれば、まったく興味を持たれていないほうが不自然だ。
結婚について、いわゆる適齢期を過ぎているにしても、彼女が一流の木彫り師である事実をして、人々はその芸術活動を尊重するので、行き遅れなどとは下手にみなさない。
そもそも神彫院にいる職員のうちで既婚者は圧倒的に少数だと聞いた。
「この前の話の続きを聞きに来たのか」
王家云々は前置きで、彼女は本題を話すよう私に促す。
「続きというよりも、確認です」
「つまり?」
「ソレイユさんの瞳は灰色。そしてその髪色は黒ですか」
私はその特徴を満たす人間を他に知っている。その子もまた特別な木彫り師だ。
「どうして遠回しに訊ねる? 言えばいい。――ソレイユはあのユウの母親なのかと」
カシラギは私をソファに座らせておきながら、自分は座らず暖炉の側に立っている。春の陽気は暖炉の中を冷たくしていた。
「覚悟せずに来たのか」
「……はい」
はっきり、直接訊く覚悟を。
「あなたのことだ、この前に私がソレイユの瞳の色について口を滑らした時、あの子の瞳と結びつけたに違いない。しかし聞かなかった。踏み込まないことを選択したと思っていた」
買い被りだ。
私は沈黙を選んだのではなく、迷っている間は口を閉ざすしかなかっただけなのだ。
「珍しい瞳の色と木彫りの腕。その二つが揃っているだけで母娘だなんて普通は……」
「なぜ嘘をつく。リラ、あなたはユウの瞳の奥に何を見た? それはあなたにとっての聖域なのではないか」
深い森。鬱蒼とした、暗い森。
迂闊に入れば二度と出ることの叶わないような、森。それは私にとっての聖域だと言えるだろうか?
わからない。ただ、そこを住処とする狼がいるならば、それは私の心をいとも容易く奪うだろう。
「では、選ぶといい。今すぐに部屋を出るか。あの子の親についてより詳しく知るか」
カシラギが迫ってきた選択は、いつかエルダが私に選ばせたものとは違い、どちらを選んでも後悔があると思えた。
どちらがより私を苦しませるか、それを基準にするのではなくユウのことを想うべきだ。どちらを選べばユウは微笑んでくれるか。そうして下した判断ならば、苦悶は多少安らぐかもしれない。
そんな自分勝手な想像。
「教えてください。ユウがダフネさんに育てられたその経緯を」
私は知ることを選んだ。
カシラギは彼女の心情を意識的に省いて、事のあらましを話し始めた。
果たしてソレイユはユウを産んだ女性その人であったが、その髪色は赤茶色で、ユウの髪色は父親譲りらしかった。
では、その父親というのは誰か。
とある公爵家の子息の一人。
カシラギはそう説明した。とある、とは言ったが現在のスクルトラにおいて公爵の地位にある家は三つしかない。無論、私はそのいずれかを絞り込むよりも、どうして公爵家の子息とソレイユが子を儲けるに至ったかが気になった。
「年齢を考慮すれば当然だが、私やダフネよりも先にソレイユは神彫院を出た。私が神樹の彫り人に選ばれたのはその後だ。ダフネがスフォルツァ家の伝手を使ってソレイユの家族の死を調査した件は前に話したな?」
ソレイユの貴族に対する憎悪が解消されたという一件だ。犯人は貴族でなかったというのは聞いた。
「仔細は省略するが、ソレイユの家族を死に追いやった複数の人間を見つけ出し、処罰を下すことができたのはその公爵家の協力があったからだった。スフォルツァ家からの要請を受けて、速やかに領地内の捜査に踏み切ってくれたそうだ」
例の子息とソレイユが面識を持ったのは処刑場にてだった。
犯人たちに裁きが下されるのを直に目にすること。ソレイユが長年抱えてきた憎しみに区切りをつけたのがそれだった。
カシラギは皆まで言わなかったが、その処刑だけであればソレイユの心中はそう簡単に変わりはしなかっただろう。
彼女の貴族に対する印象を変えたのは、その捜査を主導し、またソレイユを気遣い続けた若い男性、すなわち公爵家の子息だった。
「神彫院を出たソレイユはその公爵家に木彫り師として迎え入れられた。工房には所属しておらず、そして彼女の技量を知る者からすると何らおかしくない進路だった」
「ご子息の婚約者としてではないのですね」
その進路を辿ることはなかったのだ。
「あなたにも疎い分野があるのだな。我々、木彫り師というのはいくら腕利きであって偉大な作品を造っていようと、出自が平民であれば原則的に貴族と対等に決してなれない」
「神樹の彫り人が例外ですか」
当人に言うのも気が引けるが、ついさっきそういう話したばかりだ。
「そうなるな。後は、爵位が授与された者だが、こちらは何十年と優れた芸術活動をしてきて、その成果が王家に認められて初めて得る称号だ。あの頃のソレイユが授かるのは不可能だ」
一介の木彫り師と公爵家の子息。
そこに愛は生まれたのか。ユウの誕生は二人が愛し合った結果なのか。
私はカシラギに訊くのが怖くてしかたなかった。なぜなら、ユウが実の両親を知らないという事実がある以上、返ってくる答えはどうあっても残酷なものだと思えたから。
「ソレイユがあの子を産んだ約十七年前は、私が神樹の彫り人としての務めを果たし終えてから一年が経つ頃だ」
私の恐れを察したか、語ろうにも語れなかったのか、話はそこまで飛んだ。
「王家がよこした報奨金を使って各地を転々としていた。逃げていたと言ってもいい。主に、私を娶ることを望む貴族たちから」
「ダフネさんは北の森に?」
ユウが捨てられ、拾われたという森。
神彫院でもナパボルト工房でもスフォルツァ家でもなくそこにいたはずなのだ、ダフネは。
カシラギは「ああ」と言ってから、壁に寄りかかった。閉じた瞼、その裏にきっと過去を見ているのだ。
「彼女の右手について聞いたことは?」
ふらりと壁から離れ、私の前に腰を下ろしたカシラギが問いかけてくる。
「邪神像と関係あるとだけ」
「――――馬鹿げた噂だ」
一蹴。私はそれで、真実が別にあるのだと悟らざるを得なかった。
「魔女がどうこうというのは、ダフネに見限られたナパボルトが流布した悪意だ。とはいえ、そのおかげで真実は暴かれずにいるが」
「それじゃあ……」
「邪神像は存在しない」
その断言に私は唖然とした。
女神像の対極に位置する像はない。それがどことなく不当な感じがしたのだった。
「選出課題で、彼女が神樹を用いて彫り上げた魔除けの像があまりに禍々しかったのは確かだが、それを邪神扱いするのは浅はかだ。彼女はまさにその選考の最中、ここを去った。そうして、残った私が選ばれたのだ。残っていた私がな」
もしダフネが残っていたらと仮定するのは無粋だろう。
「では、ダフネさんが右手を失った理由というのは……?」
「ソレイユが絶望したからだ。彼女が絶望しなければ、せめて、まだ三歳だったあの子を森の奥に置き去りにしなかったのなら、あの日、二人の木彫り師が死ぬことはなかった」
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