第23話 広い世界の話
カルメン曰く、彼女たちの所属するナパボルト工房は候補生のうちの門弟全員に同じ内容の手紙を届けている。
門弟間での上下と貴族としての身分の上下が別にあるせいか、代表者一名に宛ててということはないようだ。
件の手紙の文面を要約すると、神樹の彫り人に選ばれる見込みが薄いのであれば工房へと戻ってきてほしいと言うものだそうだ。
エルダとの別離に関わるこの件をどう扱えばいいのか。
二人きりになった時に話すか、それとも彼女から話してくれるのを待つか、あるいはユウもいる場でなんでもないふうに話題にしてみるか。なかなか決心がつかない。
……彼女が神彫院に留まると、私が信じ切れていないから。
その日の夜、エルダの部屋でお茶会を開いた。ここ最近は恒例になっていて、昼下がりの時もあれば日が沈みきってから短い時間だけというのもある。
雲一つない夜空に浮かんだ満月は冴え冴えとしていて、森を照らし出していた。月光で浮き彫りになった夜景は幻想的だ。
そんなふうに私が窓の外へと意識を向けている間に、ユウは室内で興味を引くものを見つけたらしい。
「あれ? ねぇ、エルダ。これって手紙?」
無造作に。大事に仕舞い込むことなしに。机上にあたかも飾りのように置いてあるそれをユウが指差した。
「ええ、そうよ。ナパボルトからの」
「ふうん。なんて書いてあったの?元気にしていますかー、みたいな?」
それは私がユウから、家族とやりとりしている手紙について聞かれた時に答えたことだ。私自身と家族、そしてミカエラの健康、つまりは村のみんなが息災に暮らせているかが一番の話題だった。
「……貴女たちには話しておくべきね。ほら、座って」
そうして私とユウがいつもの椅子に腰掛けたの対して、難しい顔をしたエルダはその表情を隠すようにして窓辺へと一歩ずつ歩いていった。
窓際で立ち止まった彼女は月を望んだのか、それとも窓に映った彼女自身、その表情を確かめたのか、しばらくしてから室内の私たちへと向き直る。
「神樹の彫り人になるのを諦めているなら、さっさと工房に戻ってこい。最後まで足掻きたいなら好きにしろ。そんな手紙だったわ」
カルメンから聞いたのとはニュアンスが若干異なっている。これがエルダの解釈なのか。容赦のない、彼女に迫られている選択。
「エルダは諦めていないよね」
微塵も悪びれずにユウがそう口にする。今いる候補生の中で彫り人を諦めた理由に、彼女の存在があるとは思っていない様子だ。
「どうして。ユウさん、どうして貴女にそんなことが言えるの?」
声が震えるのを、強張って痛ましくなるのを抑えているのがわかった。必死に堪えて、どうにか出てきた言葉だ。
「んー……わたしね、エルダが彫る姿が好きだよ」
ユウの意外な返答にエルダ、それに私も目が点になる。
「リラの次に好き。いつも前を見ているって言えばいいのかな。がむしゃらで、真剣で。なんだかとっても高いところにある、大きな、うん、すっごく大きな何かを造ろうとしているのが伝わってくつの。それってたとえば――女神様なのかなって」
どの課題に取り組んでいてもエルダの意識は神樹の女神像にある。
それがユウの言わんとしていることだった。そう理解したつもりだったが、正否を決められるとしたらこの場にいる私以外の二人だ。
私はユウのようには、エルダの彫り方やその作品について話せそうにない。講評らしいことだったら言える。でもそれは仮初めの励ましや気休めにしかなりそうにないのだ。
私は……エルダの作品を「好き」と純粋に思ったことがない。
「ユウさん、聞かせて。そんな私の作品には何が足りないの? どうして私は貴女たち二人の隣はおろか、近くに立つことができないのかしら」
この半年足らず、私は素直にユウへと自分の作品に何が足りないのかを問うた覚えはなかった。
心のどこかでそれを避けていた? ユウからは私の求める答えが得られないと決めつけていた? いずれにせよ、エルダはそれをやってのけた。
「わかんない。そういうのをきちんと言えたらいいのに、って思うよ。でも、言えない。ごめんね、エルダ」
「そう……なのね」
見る角度によっては、その縦幅のある窓とエルダの立ち位置は、ちょうど彼女が月光を背負う構図となっている。
月と窓と少女。
私にはそれを彫刻として造れるだろうか。
一枚の絵画のような美しさがあれば一曲の音楽のような美しさがあり、そして一体の彫刻のような美しさもあるのを肌で知っていた。それを形にする難しさも。
うなだれたエルダがよろよろと彼女の専用席へと寄り、そして腰を下ろした。
「エルダ、もしかして工房に帰りたいの?」
おそるおそるユウが訊く。そうであってほしくないというのがわかる声。
「どうかしらね。許されるのなら、パンフィーネ家が私の帰る場所なのよ」
そう言ったエルダはその哀しげな眼差しをこちらへとやった。このままユウとエルダの二人だけで話が進んでいく空気が漂い、半ば息を潜めていた私に。
「リラさん、覚えている? ナパボルトが今やもう権威を失いつつあるって話」
「うん。新年祭の時に少しだけ話してくれたよね」
「ええ、その続き……というより私が知っていることを話させて」
せっかく淹れた紅茶が冷める前に話し終えるから、とエルダは苦笑し、空だったカップにポットから紅茶を注いでいく。
「ナパボルト工房の起源から。三百年ほど前、王家の意向で、神樹の彫り人候補生が貴族階級の令嬢からしか選ばれていなかった時期があるの。けれどその少女たち自身、そして家族たちにとってこの神樹の森は快適とは言えなかった。全然ね」
当時は今よりも領地の行き来に時間も労力も必要であったから、神樹の彫り人候補生になりたがる令嬢、させたがる家族はそう多くなかった。神樹の彫り人がいかにスクルトラにおける大いなる誉れと言えども、だ。
神彫院が少女たちに課す試練の過酷さが強調されて国中に広まっていたともいう。
「いずれかの貴族が率先して神樹の森と里を開発して都市化させるより早くに、王家は第二の神彫院としてナパボルト工房を王都内に設立したの。ユウさん、ここまではいい?」
「たぶん。でも、聞いていい? 今のパナボルトって神彫院みたいなところじゃないんだよね?」
ナパボルトだよ、と私がユウに囁きかけると「そうそれ」と彼女は照れ笑いをした。
「そうよ。結論として、ナパボルトで修行を積んだ候補生はこの神樹の森で修行を積んだ候補生に歯が立たなかったの」
私はここに来た日に案内役の職員から言われたことを思い出す。
神樹の森という場所それ自体の持つ神聖な力、そう表現していた。
「そんなわけでナパボルトはその王家の代替わりと共に、方針を転換して、他の工房と同類となったわ。そして後ろ盾が持つ資産と人脈を活用してすぐに権威ある工房の一つに数えられるようになった」
そうなると地方貴族たちは自分の愛娘をナパボルトに送り込み始めた。
たとえば工房内での人間関係を起点に他貴族との婚姻関係を結ぶなど、ある意味で社交の場としての価値を築きだしたのである。
ひとえにスクルトラにとって、神樹の女神像ひいては木彫りが価値あるものだからこその経緯だ。ただの読書クラブではこうはいかない。
そんなナパボルト工房がここ二十年で凋落し始めている理由。エルダは「時代が変わったのよ」と口にした。
「王家並びにそれに従う貴族たちは、国を股にかける大商人たちに一足遅れて世界の変化を知ったの。木の時代でも石の時代でもなく、もうとっくに鋼の時代が訪れていて、このままだとスクルトラは次の時代を先に迎えた大国に――」
そこでエルダは止まった。私たちの反応をうかがう余裕が彼女にあってよかった。
「失礼。話が少し複雑になったわね。ようするに、世界情勢をふまえると、ナパボルトに自分の愛娘を進んで入れさせる貴族は少なくなり、支援者も減っていったのよ」
世界。それはあまりに広い。
いくら海の向こうに大きな陸地があり、国があり、人がいてと説明されても、実感がわかない。
「ええと、つまり……上流階級の人々は世界の変化を受け、木彫りは国の重要な文化だけれど、それ以上のものではないと認識を改めたってこと?」
それならばナパボルトの衰退は撤退と言い換えられるかもしれない。
かつて、神樹の女神像に揺るぎない価値があった頃、王家はその造り手が彼らの血を分けた者でなければならないと考え、追従する貴族たちは娘を選ばれる者にさせたがった。
しかし今や彼らは、木を彫ること自体から徐々に手を引こうとしている。
行き着く先はどこだろう。
この神彫院が王家に護られることがなくなった時、それでも神樹の彫り人は現れるのだろうか?
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