第3部 彷徨いの日々編
第22話 前触れ
朝起きる度、冬の旅支度がまた進んだと感じる時季となった。もちろん、寒いは寒いのだけれど、窓越しでもわかる冷たさというのは徐々に薄れている。
この分だとあと一ヶ月もしたら春がやってきて、冬は遠くへ行くのだろう。
カシラギのもとへ相談しに出向いたのはちょうどそんな季節の変わり目の頃だった。
新年祭から今日に至るまで、私たち候補生には課題が与えられ続けている。そして先日、私とユウにとって八回目となった課題の講評会において、私の作品は最奥列へと配された。それはつまり、最奥列にカルメンを始めとするカシラギ派ともう一つの有力派閥以外で、二人の工房無所属の候補生が入選したということだ。
「あの子の作品と制作風景、いや、風景というよりも歌唱と言うべきか、その特異性によって意欲や士気を低下させている候補生は少なくない。リラ、あなたが私のもとへ来たのにもあの子が関係している。ちがうか?」
職員区画の一室へと招き入れてくれたカシラギが暖炉に薪を焚べながらそう話す。
近年に改装されたのか、床や壁の材質は候補生の居住区画や作業場の区画とは異なり、また年季がさほど入っていない。
「もちろん、ユウと関係あります。というより神樹の彫り人の最有力候補と」
「自力で最奥列に飾られる木彫り師となったあなたが、今になって私の助力を求めているのか」
暖炉の正面、大股で二歩分の距離にある小さく低い机、それを挟んで置かれている二つのソファの一つにカシラギが先に座る。そして私にもう片方に座るよう指示した。
「二点、私の考えと相違があります」
腰を下ろして私は言う。弾力性のある素材だ。私が沈み込むのを許さない。
「まず、一点目。自力でとおっしゃいましたが、先ほど話にあったように他の候補生たちがユウの作品と歌声によってやる気が削がれているなら、必ずしも私の努力の成果ではないでしょう」
「いいえ。あなたの成長はこの神彫院の講師として私が保証する」
有無を言わせぬ態度だ。
「二点目は?」
「……『今になって』ではなく、今だからこそです」
「それにも、いいえと返さざるを得ない。あの時、新年祭前に私が提案した直後に来てくれていれば、今のあなたの作品はより洗練され――――」
「ユウの作品に優っていましたか?」
話を遮ってなされた私の問いかけにカシラギは考え込むような顔となったが、それは問いへの答え自体ではなくその先にあるものを見越しての熟慮だった。
「現時点においてあの子……ダフネの教え子であるユウが、今いる候補生の中で神樹の彫り人に最も近いのは我々も承知している。そして他の候補生はその数歩あるいはずっと後ろにいるのも、だ」
確かめるまでもない。
講評会であれから常に一位を取り続けているユウ。課題内容が違えども、回を追うごとにその作品の完成度がより高い領域に踏み込んでいるのを、私たちのような十数年しか生きていない少女であってなお感じ取れる。
だったら、神彫院に長年いる講師や職員たちは、ユウの木彫りにどんな未来を目にしているのだろう?
「正直に答えてください。今から私があなたに教わってユウを超える木彫り師になれる見込みはありますか」
「それを敢えて聞きにきたのか。返答しだいであなたはここを去るか?」
「去りません。私にしてみれば、最初からここは木彫りの技を磨く場所であって、彫り人に選ばれるか否かが人生のすべてではありませんから」
「ほとんどの者がそうだろう」
カシラギは溜息をつくと、その大きな身体を丸めて手に顎を乗せた。
「かつては神樹の彫り人になれなかった運命を受け入れられずに、自ら死を選ぶ候補生も多くいたそうだ。そう、多くだ。純潔と清廉。その二語だけで表現するのは不適当だが、兎にも角にも彼女たちにとって選ばれなかった運命は一生消せない穢れだったのだ」
神彫院が木彫り師の養成所とは呼べない、 そうみなしてはならない場所であった時代だと思う。その時代の候補生はスクルトラの地で命を授かった者の中で、選ばれた一握りの乙女であり、自身が女神に近しい存在だった……。
「生き残った人たちが各地に工房を持ち、弟子を育て、そして新たな彫り人とするためにここへと人を送るようになったのですか」
「生き残った、か」
そう繰り返したカシラギの表情には覚えがある。そうだ、あの新年祭の日、ダフネの側にいた時のものだ。
「ダフネはあなたやユウに私の話をしていないのだろうな」
肯く私にカシラギは背筋をまた伸ばした。
「……私が知りたいと言ったら、聞かせてくれますか」
「なぜ?」
首を傾げて、不思議がるカシラギに私は好奇心以外の何かで彼女たちの過去を知ろうとしている理由を探した。
けれど、それは結局、あの時ダフネがエルダに放った言葉やユウがダフネに言いつけられていることを思い出させるばかりだった。
「週に一度、ここに来るといい」
「えっ?」
「待った。言い方を変える。リラ、来てくれないか。私はあなたを利用したい。そして理想的にはあなたも私を利用できればと、今、そう思いついた」
「というと?」
話が見えてこない。利用したい?
カシラギは立ち上がり、ゆっくりと室内を歩き回って、それからソファの傍らへと戻ってきた。でもそこに腰を下ろさず、私を見下ろして話す。
「私は過去に囚われている。そのせいで王都や他の大都市で木彫りがうまくできずに、今はここにいるのだ。すべてがはじまり、そして終わったこの場所に」
カシラギは先々代の神樹の彫り人として王家からの招聘を受け、神彫院の講師をしている。それが聞いていた話だったが、どうもそこには私の知らない事情もあるようだ。
「週に一度、講師として私はあなたのこれまでの作品であったり、これからの作品だったりに詳しい講評や助言をする。代わりにあなたは、私たちの過去について聞く」
「それが代わりになるんですか?」
「私にとってあの日々を振り返り、そこに属さない者へと語り聞かせるのは初めての試みだ。これは一種の心理療法なのだ。そうであれば、聞き手であるあなたは精神分析医のような立場となる」
聞き慣れない言葉が並ぶ。いったいカシラギは何を期待しているのか……戸惑う私にカシラギは愛想笑いすら浮かべずに続ける。
「手練れの木彫り師は口を揃えて言う。木の声に耳を澄ませ、と。私が週に一度あなたに求めるのはそれと似たようなことだ。無論、他の誰かに明かしてはいけない」
「……木といっしょに歌うことを求めてはいないんですよね?」
「ああ。おそらくな。お願いできるか」
妙な展開となった。
私は自分がいる地点というのを最も信頼のおける講師の目で定めてもらい、この先をどう進むのかの手がかりにしたかった。
それでカシラギのもとを訪れたというのに、なぜか彼女の心の奥底に関わる頼まれ事をされているのだ。
断る……? いや、そうする必要はない。
私はカシラギからの依頼を承諾した。
神樹の彫り人を経験している女性の話、そして今の彫り人最有力候補にあたる少女の師匠にまつわる話。それらを聞くことで何か新たにつかめるかもしれない、そう言い聞かせた。
部屋へと戻る途中でカルメンと出くわした。珍しく彼女は一人きりだ。
「あら、一人だなんて珍しいのね」
相手からしたら私のほうこそユウやエルダといるのが当たり前だと思っているみたいだ。カシラギに相談しに行ったのを後ろめたくは感じていないが、小言を並べられても嫌だったので会釈してさっさと横を通り過ぎようとした。
「エルダは元気にしている?」
すれ違い様にそう言われて足を止める。
「本人と会って話せばいいと思います」
「ええ、それが正しいんでしょうね。それでどうなの? あなたから見て、彼女は調子が良さそう?」
「……エルダさんが手を抜いたのを見た記憶はありません。どの課題にも真剣に取り組んでいます」
「ええ、残酷よね」
カルメンの声色に込められたのは憐憫。それは私の下手な応答のせいでもたらされた。
良さそうですよ、とぞんざいに返してしまえばよかっただろうか。でも彼女の友達としてそれはできなかったのだ。
「中途半端な気持ちで頑張っているなら、成果が出なくても自分自身で言い訳ができるわ。でも、エルダは……」
カルメンはそこで口を噤む。どうも陰口を叩きたいふうではない。とはいえ、同情的な口ぶりは私を苛つかせる。私もまた頭の片隅で似たように思っていて、そうだと認めたくない自分に苛立つのだ。
「私が姉弟子の一人にあたるのはとうに知っているわよね?」
「ナパボルトのですよね。聞いています」
「そう。エルダは昨日か今日に、手紙についてあなたたちに話した?」
「……いいえ」
昨日か今日に限るなら、聞いていない。
「ええと、もしかして工房からの手紙ってことですか?」
「そう。つい昨日、工房から手紙があったのよ。――――選出課題前の早期帰還に関しての通達が」
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