第21話 因縁、親心
厚手の防寒着を身に纏ったダフネにどこか懐かしさを覚えた。
家族でなければ親しい仲でもないけれど、ユウから彼女との二人暮らしがどんなだったかをよくよく聞かされていたからだろう、他人と思えなくなっていた。
「ユウ、ここにいたのね」
しばらく会っていない子供を母親が見つけたような、と形容するにはいささか渇いた口調だった。それに対して「ダフネ!」とユウは嬉々として駆け寄っていく。
そのままダフネに抱き着く勢いを感じさせたがそうはしない。ダフネがそういったスキンシップを厭うというのは前に聞いていた。
「先生もいらしたのですね」
カルメンが、ダフネの傍らに立つカシラギに愛想よく言う。カシラギは「ああ」と短く返しはしたが、その注意はダフネに向けられたままで、院内では門弟にあたるカルメンたちに新年の挨拶をする気配がない。
「へぇ、彼女たちがあそこでのあなたの弟子というわけね。さぁ、弟子たちと親睦を深めに行きなさい。私もそうするから」
「待て、ダフネ。こちらの話はまだ終わっていない」
「とうの昔に終わったわ」
「時間を作ってくれないか。数日はここにいるのだろう」
淡々とした物言いは変わらないカシラギだったが、講評会では見せたことのない表情を浮かべている。そこには追いすがる必死さがあった。
「いいえ、明日には発つ。ユウ、来なさい。こんな寒空の下にいつまでもいたくないわ」
「う、うん」
「ダフネ……!」
「そんな顔をしないでカシラギ。この子たちに見せていい顔ではないわよ。まさか今になってあなたは悔いているというの?」
「それは――」
「冗談じゃないわ。あの時、後悔しないと言い切ったのはあなたなのよ」
ぴしゃりと言い放ったダフネに、カシラギは押し黙った。そしてその時になってやっと私たち、神彫院の乙女たちへとその意識が向いた様子だった。
でも、それは彼女を安心させはしなかったらしく「すまない。私はもう行く」と小さな声で言い残すと去っていった。
カルメンたち四人は互いに目配せをした後、「では私たちも」とお辞儀をしてカシラギが向かったのとは別方向へとその姿を消した。カシラギを追いかけることも、ダフネに追及することもしない。それが彼女たちの判断だった。
そうして四人が残った。
「ねぇ、ダフネ。リラとエルダもいっしょじゃダメかな」
「エルダ? それはもしかして今、あなたの視線の先にいる、見るからに高級そうな衣服を身につけた金髪の子じゃないでしょうね」
嫌悪感が滲み出ている。
それがかえってエルダに覚悟を決めさせたのか、彼女はダフネへと進み出た。
「はじめまして、私はエルダ・パンフィーネと申し上げます。あなたが以前いたナパボルト工房に所属しています。お話はうかがっております、ダフネ・スフォルツァさん」
そうエルダが言い終わるや否や、その右腕はダフネの左手に掴まれ、高い位置で締め上げられた。唐突な暴力にどう反応すればいいか、わからない。
「は、離してくださいっ」
「ユウに何を言ったの」
鋭い目つきに、背筋が凍りつくような声。エルダは恐怖で言葉を失う。
「やめてよっ! 離してあげて!」
叫ぶユウに聞く耳を持たないダフネ、周囲に人々の視線を集めている。
私は竦んだ足をどうにか動かして、ダフネのすぐ脇に寄った。
「――――もし、何かまずいことを話していたら、ユウはあなたを見つけて駆け寄るでしょうか。嬉しそうに、育て親のもとへと」
私の冷静さを装った声はダフネに届き、そして彼女はエルダの腕を離した。
冬でよかった。夏場で薄着だったら、エルダの右腕にはくっきりと跡が、それも痛々しい爪痕が残っただろうから。
「パンフィーネ嬢、軽率に人の過去を暴かないことね。カシラギと違って、あなたは所詮、伝聞でしか事を知り得ない部外者で、いたいけな少女なのだから」
「も……申し訳ありませんでした」
「ユウが友人として慕っている様子がなかったら、へし折っていたわよ」
その囁きにエルダは「ひっ」と短く叫び声をあげて退く。そしてダフネが私へと正面を向けた。
「あなたは数ヶ月前よりも強かな目つきをしているわね」
「生意気って意味ですか」
意外にも、ダフネがくすっと笑う。
「褒め言葉のつもりだったわ。ええ、綺麗な瞳よ。あの日ユウを頼んだけれど、今日ここに来るまではあなたが今もユウの側にいるかどうかは、私の中では半々だった」
「……未だに木彫り師として畏敬する時があっても、普段のユウは甘えん坊ですよ」
「そ、そんなことないよ!」
エルダの腕をさすっているユウが声をあげる。
「へぇ。あなたが甘やかしているのでは?」
「……否定できない面もあります」
私の答えに満足したのか、すっかり憤りがなくなったダフネが「ついてきなさい。三人で」と言って歩き出した。
里長の屋敷をはじめ、候補生たちをもてなしている大家が数軒あるそうだが、私たちが到着したのはそういった家ではなかった。
ダフネ自身が教えてくれたことには、若い頃の一時期に、彼女が住んでいた場所であるらしく、現在の家主と事前に相談して数日前から滞在しているのだった。
「身体を温めるのにうってつけよ」
そう言ってダフネが私たちに飲み物を用意してくれる。
エルダが所持しているティーセットとは趣の違うポットとカップだった。ソーサーはない。勧めてくれたハーブティーは、ユウが暮らしていた北方の村ではよく飲まれている種類だそうで「わぁ、懐かしい味だぁ」と頰を緩ませていた。口に含んですぐは渋味を感じたが、徐々に優しい味わいになった。うん、美味しい。
「ねぇ、どうだった? わたしたちみんなで彫った聖獣は」
「そうね……悪くなかった。何事も経験よ」
ダフネはユウの手が加わっている三体を言い当てた。合流前、カシラギから話を聞いていた可能性もある。
「忘れないうちに渡しておくわ」
そう言ってダフネがユウに小さな包みを渡す。片手でつかみ取れるサイズだ。
「開けていい?」
「神彫院に帰ってからにしなさい」
「ええっ!? なんで? いいでしょ?」
「先に言っておくけど、これまでみたいに実用的ではないわ」
「……リラ、ジツヨウテキってなに」
私はかぶりを振って「開けてみたら?」と促した。察するにダフネは少し恥ずかしがっているのだった。むしろ反応を直に見たいというのが本心ではないか。
「これ――――星だ!」
金属製の首飾りだった。銀色の星がついている。日差しを反射して煌めいた。
「送り出す前は何も感じなかったけれど……いざ一人暮らしに戻ったら、あれこれ思い出したのよ。ユウ、覚えている? あなたが小さな頃、空に輝く星を……」
「ダフネ、ありがとう!」
我慢できなかったのか、ユウが思い切りがばっとダフネを抱き締める。
ダフネは「やめなさい」と言うが、その声色ときたら満更でもなく、見ているこっちまでくすぐったい気持ちだった。
その後、ユウはダフネに髪を切ってもらうために家に残った。どうやら毎年の恒例行事であるそうだ。ダフネが片手だけであの宵闇にどんなふうに鋏を入れるのかが気になったが、見学を申し出る度胸はなかった。
「ダフネさん、何て?」
私とエルダだけの帰り道、しばらく黙って歩いていたが、堪えられずに訊いた。
家を出る前に、エルダだけダフネに呼ばれて数分間、二人きりで話したのだ。そして今のエルダの顔色は良くない。
「心配してくれているのね。ありがとう、リラさん。でも大丈夫よ。脅されたんじゃないわ。なんだったら謝られたのよ」
「謝られた?」
「いきなり利き腕を締め上げた件。『カシラギに付き纏われていたのもあって苛立っていたの。悪かったわね。手は大事にしなさい』って、そう言われたわ」
「……エルダさんは知っているんだよね。ダフネさんの右手の件」
「わからなくなったわ」
不意にエルダが足を止めて空を仰ぐ。澄み切った空。四人で穏やかな時を過ごしたが、まだ日没までには時間がある。星が輝くにはもっと時間がいるだろう。
「あの人の言ったとおりよね。私は人から伝え聞いただけ。少なくともさっきのダフネさんは魔女なんかじゃない。あれで魔女だったら、私に連絡を一つもくれないお母様たちは何なのよ」
「エルダさん……」
てっきり私と同じように手紙でやりとりしているのだと思っていた。月に一度しか受け取れない私と違って、頻繁にしているものだと。
彼女の部屋には荷物が多くあるから、パンフィーネ家とはうまくいっていると思い込んでいたのだ。
「リラさん、よかったら今夜は私も貴女のベッドに潜り込んでいいかしら」
無理やり作った笑みで柄にもない冗談を言うエルダに、私はただ「うん」と返して、後が続かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます