第20話 結果、新年祭
神樹の里の人たちの裁量は神彫院の候補生たちの多くを落胆させた。
一年も残すところ半日足らずとなった昼過ぎに、彼らの決定が神彫院の掲示板にて発表された。作品そのものは前日の夕方に里へと運び込まれていったが、私たち候補生は里の人たちの話し合いの場に居合わせられず、ましてや評議には参加できなかった。
結論として、カルメンたちの派閥が彫った聖獣のうちから三体、そして構成人数と実力をして二番手の派閥が彫った三体が選ばれ、残りの三体が私たちが彫った中から選ばれた。
そう、里の人たちは海陸空それぞれで異なる木彫り師を選んだのだ。
私たちの作品は空の聖獣たちを担当している。カルメンたちは海だ。三体のみ彫って提出し、陸に選出された二番手の派閥が最も成功したとも言える。
神彫院内の勢力間に勝敗がつくのを望んでいた候補生からすると面白くない、そして三勢力外で課題を一体だけ提出した候補生たちからすると不服な結果だった。
――もし制作期間が何倍もあって、ユウ一人で彫っていたのなら?
そんな仮定を振り払う。私だけが辛気臭い面をしているわけにはいかない。
ユウは新年祭に出向くのを今か今かと楽しみにしており気落ちしている様子はなく、エルダはエルダでそんなユウを微笑ましく見守っているのだ。
「ああいう結果は、ある意味で道理に適っているのよね」
大食堂での今年最後の夕食後。私たちはまたエルダの部屋でお茶会を開いていた。
「エルダさん、それってどういうこと?」
「わたしも知りたい!」
「たとえば、さっき食べた苺のタルト」
「美味しかったね!」
年末の特別なメニューだ。
週に一度だけ提供されてきた、ぱさついた焼き菓子と比べるのが馬鹿らしくなるぐらいに甘くて美味しかった。
生地に乗せられていたホイップクリームをユウは雪だと一瞬勘違いしたが、雪にも酪農にも疎い地域で育った私からすれば、焼き菓子に使われているバター同様に本の中の存在だった。
「いくら美味しくても毎日だと飽きるわ、きっと。そうよね?」
「えー? 毎日でも食べたいよ。カチカチのパンよりふわふわで甘酸っぱいほうがいいって思わない?」
「まぁ、私もここに来てすぐの頃は食事を理由に挫けそうに……ってそうではなく」
王都暮らしの貴族令嬢の食事事情と照らし合わせればしかたあるまい。
「そうね、たとえばタルト以外の選択肢に、魚介類をふんだん使ったトマトソースのパスタだったり、仔牛のすね肉を煮込んだ……」
「エルダさん、料理で喩えないほうがいいよ。ユウがぽかんとしているし、私もわからない」
指摘されて「そ、そうよね」と髪をいじり始めるエルダに代わり、彼女のくれたヒントをもとに私が話してみる。
「ユウ、たぶんこういうこと。統一感は時として、優れた個性を見落とされる状況を招く。……私たちは九体の聖獣を彫る上でそれらが世界の違う場所を守護しながらも、同一の根本を持つのを心がけた。そうだよね?」
「見えない根っこでちゃんと繋がっているイメージだったね。一頭、一頭が勝手に守っているんじゃ縄張り争いみたいなだからって」
「それで?」
エルダの髪を撫でる動きが滑らかになる。
「けれど里の人たち、少なくとも今回の決定を下した人たちが、海陸空でまったく別のなりをした、つまり各々が別の色に染め上げられ、異なる神聖さを孕んでいる――そんな彫刻を貴び、好んだのだとしたら」
「えっ? あれって色を塗らないといけなかったの?」
「そうじゃないわ。特徴ってこと。リラさんの話は私とは違った方向で小難しいわ」
そう言って、暗に私自身に同意させようとくる目配せ。
「うん、ごめん。えっと……ユウ、わかってくれた?」
「なんとなく。里の人たちはタルト三つじゃなくてタルトに、お魚に、お肉が欲しかったんだね。すっごくわがまま。でも、たしかにそのほうが満足できそう」
「そう、そういうことなの、ユウさん」
結局、料理の喩えに戻ってきたことが嬉しかったのかエルダが顔を綻ばせる。
「相手の注文に応えるって、なかなか難しいのよ」
髪から手を離して、紅茶を啜ったエルダがしみじみと言う。
「二十年近く前……ある貴族が、どこどこの貴族の屋敷でここの工房の作品を鑑賞して感銘を受けたから、自分のためにも彫ってほしいとナパボルトにやって来たそうなの」
「ありがちな話に聞こえる」
「そのとおり。問題は『絶対にあの木彫りより素晴らしいものを彫ってくれ』って、向こうの貴族が支払ったという代金の二倍を出してきたこと」
依頼人は木彫りに、というより芸術全般に関心や理解を深くは持ち合わせていなかった。あるいは彼の中で金銭的代価の大小こそが絶対となる評価基準で、それ以外を関知していなかったのか。
「ふうん。それでどんなのを彫ったの? 大きさを二倍にしたとか?」
ユウの頓知にエルダは苦笑をよこしつつ「それもありだったかもね」と言った。
「リラさんだったらどうする? 断る選択肢はないとして」
「ええと……素材に用いる木を貴重な、単価をより高いものにして、制作期間を二倍以上にする。そうすれば、彫刻の出来に関係なく価値を上乗せしてくれるはず」
「驚いたわね。貴女からそうした考えを聞けるだなんて」
「商人と旅をすると、たった半月余りでも見えてくるものがあるんだと思う」
物の価値を左右するのが需要と供給の釣り合い方だけではないぐらいのことは知った。
時として理不尽や不条理に見える取引だとしても、それもまた商業上の一つの道理なのだろう。
「ねぇ、それで実際はどうしたの?」
「引き受けた親方は、何も特別な策を講じなかった。依頼人の貴族が目にした木彫りがほんの数年前に自分で彫った作品だと確かめると、後はひたすらに精魂込めて彫り上げ、堂々とそれを納めたの」
「なあんだ」
笑ったユウに対して私は腑に落ちずにいた。なぜなら、そんなオチだったら「注文に応える難しさ」の例として話すと思えなかったからだ。果たしてエルダが「これがね」と続ける。
「……今や権威を失う一途を辿るナパボルト、その凋落の始まりに位置する話よ」
エルダが音を立てて紅茶を啜る。その手は微かに震えていた。
新年を迎え、午前九時きっかりに里の大広場から九体の木彫りが里巡りを開始した。しばらく眺めていると、横から来たカルメンたちに声をかけられた。遅かれ早かれこうやってまた話すことになるとは思っていたが現地でとは。
「歌姫さん、もしかして今回は二人のためにその口は閉じて彫ったのかしら?」
「そんなことないよ。だよね、リラ」
「うん。カルメンさん、あなたからすると勝負はどんな決着になったのでしょうか」
「ちょっと、リラさん……!」
エルダが私の袖を軽く引く。どうもカルメンたちと目を合わせたがらない。
「やはり今回のような課題での勝負は不適当。それが私なりの答えですわ。神樹の彫り人に選ばれるのは一人だけですからね。これだったら最初からいずれか一つの領域の聖獣三体に絞って一対一で挑むべきでしたわ」
「えー、それは嫌かな」
あの日のあの時は、一人で全部彫ると言っていたはずのユウが、カルメンの言葉にあっさりとそう返した。
「カルメンはみんなと彫って楽しくなかったの? わたしは、リラとエルダといっしょに造れて楽しかった!」
「ふふふ……そうね、私も楽しかったわ。あら? でも――――」
カルメンは口元を右の手のひらで隠し、粘ついた視線を私とエルダに流した。
「お二人はどうなのでしょう? 見たところ、細部を彫り込んだのは歌姫さんだけ。他の二人は真に木彫り師らしいことを今回は一切していないのでは? それで楽しめたのでしょうか」
「どうだろう」
私はついそのまま感じたことを口にする。カルメンの指摘をただの嫌味として扱うのは間違っている気がした。
エルダが息を呑み、ユウも珍しく戸惑っている。
「確かなのは今回の共同作業で、私は前に進めたということです。まだ迷いを抜けきってはいませんが、それでもユウの歌で手を止めることはもうありません」
カルメンは黙ったままだ。ふと、私は思いつく。
「カルメンさん、実はユウが歌うのを聞いたことないんじゃないですか」
「……だとしたら?」
「神樹の彫り人になりたいなら。もし一番に拘りがあるなら。もしそうなら、聞いたほうがいい。見るべきです、この子の技を」
歌姫さんだなんて人から聞いた噂でユウの名前を隠している場合ではない。
カルメンたちが彫った海の聖獣からは聞こえないのだ。水面を波立て、水底まで響く歌声は、一つも聞こえない。
私の勧めにカルメンは何か言おうとして、しかし出てこずに、沈黙がどんどん重くなっていった。そしてそれを破ったのはユウだ。不安げな声。
「ねぇ、リラ。結局、楽しくなかったの?」
「友達としてユウとエルダさんと過ごしている時間は楽しい。間違いなく。村では味わえなかった楽しさだよ」
「へんな答え」
唇を尖らせるユウ。私は言葉を探す。
エルダやカルメンもそうしているのだろう、沈黙は妙な重さを帯び始めてくる。
そうこうしているうちに私は、こちらへ近づいてくる人影、見知った顔に出くわす。
ダフネ、それからそのすぐ後ろにカシラギが立っていた。
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