第18話 勝ち負け、制作開始
エルダ曰く「慎ましくも有意義なお茶会」は三十分余りでお開きとなった。
話題は当然、新年祭課題をどう進めていくかが中心だった。
片付けを終えた後、私はカルメンたちの派閥の誰かを探しに作業室が並ぶ区画へと足を運んだ。カルメンが言ってきたとおり、ユウの意志――ユウと私とエルダで、新年祭の聖獣を九頭分造る――を伝えるためだ。
その間にユウとエルダには先に必要な木材を確保しに行ってもらっている。選ぶだけならユウもできるが、駐在している職員と上手くやりとりするのはエルダの役目だろう。
私はカルメンに声をかけるつもりはなかった。あの時いた四人のうちの誰かが見つかれば手短に伝えてしまう気だったのだ。
けれど、彼女たち四人は当然のように一室に揃って見つかった。どうやらその作業場は彼女たちの派閥専用になっているらしい。
「……あら、あなたはさっき歌姫さんのそばにいた子ね?」
私に気づいたカルメンのほうから話しかけてきてくれた。幸いにも、彼女たち四人は作業中ではなく歓談していたところだった。
「はい。先程の件ですが、ユウは……いえ、私たちは協力して九体を彫るつもりです」
私の言葉にカルメン以外の三人が顔を見合わせ、それから戸惑いを浮かべたり、私へと敵意ある目つきを向けてきたりした。けれどカルメンはすまし顔だ。
「まさか二人でってわけじゃないのでしょう? エルダも協力するのかしら。いつの間に仲良くなったのか、一緒にいるのをよく見かけるわ」
「はい。えっと……」
カルメンがエルダと同じく、貴族工房の名で知られるナパボルト工房の所属だというのは、お茶会の時に初めて聞いた。
ようはエルダの姉弟子にあたるのだが、ここではそんな関係を思わせる様子はない。エルダも積極的には話したがっていないふうだった。
「他には? 三人だけ?」
「今のところは」
「それ以上増えないわよ。ええ、増えるわけがない。勘違いしないで、私たちは邪魔なんてしないわ。ただね、きっとあなたが考えているよりも歌姫さんの噂は広く、そして歪にも広まっているわ」
つんとした面持ちのままでカルメンは淡々と言う。他の三人は口を挟まず、見守るばかりだ。私は彼女が言う噂の中身が気にはなったが、訊かないと決めた。
噂は噂でしかないから。
ここに長居は無用だ。それに正直、私とエルダ以外の協力者がそう易々と現れないのは理解している。
「伝えるべきことは伝えました。これで失礼します」
「歌姫さんをよく知るであろうあなたに一つ訊きたいわ」
頭を軽く下げ、回れ右をしようとした私だったがカルメンにそう言われて足が止まる。
「教えてほしいのよ。あの子は想像したことがあると思う?」
「……何をですか」
「ある女の子の気持ちよ。この神彫院で何年も修行してきて、その成果を認められ、賞賛され続けてきた女の子。でも、ある日突然やってきた子が、別格の才能をまざまざと見せつけ、頂点に君臨した。ある女の子はどれほど惨めに感じたでしょうね」
右肩の端を彼女へと向けて聞いていた私は今一度、彼女を真正面に捉え、頭をよぎったいくつかの答えを却下してから「私もユウのことはまだ大して知りません」とまず口にした。
カルメンが「それで?」と怪訝そうに右の眉だけぐっと上げる。
「ですが、ユウは頂点に君臨しただなんて、ちっとも感じていないと思いますよ。そう、ちっともです」
「けど、現にっ――」
そう返してきたのはカルメンではなく別の子で、カルメンがさっと手で制すと、その子はまた黙り込んだ。ぎゅっと唇を噛んで。
「引き止めて悪かったわね。さぁ、もう行っていいわ」
最初から私の答えに期待などしていなかったのだと、そのカルメンの投げやりな口調からわかった。そして私は少し深めに頭を下げると部屋を出た。
廊下を進む足取りはやけに重い。
これまたあくまで噂だが、ユウを最初に歌姫と呼び始めたのは講評会の順位で常に下位にいた数人で、彼女たちはいわゆる大工房に所属していないのだという。
私やユウにしてみれは、大工房所属という立場や著名な木彫り師を師匠に持つ事実が、鑿を振るう手に、そして心にどんなふうに影響するか定かでない。
ひょっとすると、と考えてしまう。
ユウを歌姫と称えた子は望んだのではないか。設備や資材が潤沢な環境で学び、名のある師から彫り方を習ってきた、恵まれた少女たちを打ち負かすことを。
「競争の末に生まれた彫り人が造る女神は、争いを断ち切れるのかな」
そんな独り言を呟いてから数歩後のことだった。
曲がり角で人とぶつかりそうになった。
目に飛び込んできたのは灰色のローブ。
講師だ。その中でも候補生たちの間で、最も優秀で最も厳格、そして最も美人と言われているカシラギその人だった。
カシラギは家系を示す姓にあたり、名前はスクルトラで最も平凡なものであるから誰にも呼ばせないのだと候補生の間でまことしやかに囁かれている。
彼女はカルメンたちが師事している講師であり、そして先々代の神樹の彫り人でもあった。この神彫院で少女だった頃のダフネと同じ時を過ごして「勝者」となった人……。
「すみません、ぼーっとしていました」
「気をつけなさい。――あなた、リラ?」
「ユウといっしょにいることが多い、と考えておられるなら、そのとおりです」
「いいえ。前回の課題で彫った、燃え盛る焔が見事だったから」
だから顔と名前が一致する、と言うことらしかった。候補生全員に対してはそうでないのだろう。
「ここだけの話、私は最奥列入りさせてもいいと推した」
課題の内容は「人ならざる者からの裁き」だった。
「ですが講評会では『この炎からは正と負の両面が想起されるが、どちらも半端』だと」
「その考えは変わらない。しかし、あなたなりの洞察と思索が感じ取れた。それは他の上位の作品に必ずしもあるわけではない」
腰の曲がっていない私の父親と同等の背丈のカシラギから降ってくる声は固く冷たい。
講評しているときと変わらない。どんな時も、誰に対してもこうなのだろうか。もちろん、今はその話し方よりも内容が重要だ。
「洞察と思索……それがつまり、女神像を彫る上で大切な要素だと解釈しても?」
「すまない、その問いには適当な答えを持っていない」
予想だにしない謝罪と応答。自分が何か間違ったのでないかと錯覚する。
「ところで、リラはここでは誰かに師事しないのか。私が歓迎するとは言わない。だが、その気があればあなたになら教える。教えられることがあると信じている」
私になら……? ユウはどうなんですか。ユウにはないですか。
その疑問を私が投げかけるより早く、カシラギは「では」と言って歩き出した。一本の美麗な木の如く立つ彼女は、風のように去っていった。
その晩からさっそく課題の制作を開始することにした。
九体分の木材をエルダたちは無事に手に入れることができ、今は保管室に預けてある。いきなりそれを彫り進めるのは無理だ。
私たち三人は再びエルダの部屋に集まった。話し合うのにちょうどいい机と椅子がある。これまでの日常的なおしゃべりや雑談ではなく、かしこまった話をするのに適しているような。
「資料室で確認したとおり、聖獣と言ってもそう変哲ななりをしていないわ。海に住まう動物が三体、陸地に住まうのが三体……では、ユウさん。残りは?」
「空を飛んでいるのが三!」
元気よく答えるユウにエルダが「よろしい」と笑って頷いている。薄々感じていたが、最近の彼女はユウを妹のように思っているのでは?
「最初に陸地の三体の制作に取り掛かるわ。今晩中に三人でイメージを共有してそれを絵に起こすところまでいけたらいいわね」
「うん。ところでユウはダフネさんから下絵を用いた彫り方は習った?」
「うーん……少しだけ。お絵描きはそんな得意じゃないんだ」
お絵描き、と言われてエルダが一瞬、顔をしかめたがすぐに戻った。
「そっか。ええと、工程の分担として仕上げはやっぱりユウに頼ることになると思う」
「任せて!」
エルダが絵にして、それを私が荒削り段階まで持っていき、そしてユウが仕上げる。
現実的には、こうもはっきりと工程が別れない。一体目の仕上げをユウがしている間に、私とエルダの二人がかりで二体目以降の木取り(下絵を木に写す作業)をしたり、私の荒削りの微調整をしてもらったりはするはずだ。
場合によってはユウが槌と叩き鑿を操って彼女の理想に沿った荒削りをしたいと強く主張するかもしれない。
そして、こうした分担作業が根底から崩れかねない、彼女の歌がある。
三人で常時、意思疎通ができる環境が必須であるので、ユウを隔離したり耳栓をしたりといった対策はなしだ。それは逃避だから。
こうして年の瀬の戦いの幕が上がった。
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