第2部 無垢なる歌姫編
第11話 高貴なる金色との遭遇
深まる夕闇が木々の落とす影を溶かし、木々そのものを幾多の
日の沈んだ後の神樹の森、そこは神の居所よりも魔の巣食う地のようだった。
試験官二人の後ろについて進むこと三十分、明かりのついた大きな建物がようやく見える。そこが私とユウがこれから神樹の彫り人候補生として入学する神彫院であった。
外観は、本で読んだり話に聞いたりした修道院の特徴と概ね一致している。
だが、ここでは神樹の彫り人の候補生たちが規律に縛られた生活を送っているわけではないらしい……。
「月毎、また季節毎に提出期限が設定されている課題があります。ですが、講師による手解きや講義を受けるのは任意なのです。この神彫院、ひいては神樹の森という場所それ自体の持つ神聖な力があなた方を、つまりは選ばれた乙女たちの技を磨き、神樹の彫り人に至らせる。そう考えるとよいでしょう」
これ見よがしに木彫りの並んだエントランスで、二人の試験官から交代し、私たちを案内し始めた女性がそう教えてくれた。
被っているお面や纏っている黒いローブは例の試験官たちと同じだったが、その口調は丁寧で物腰が柔らかく、若々しさもある。
彼女は木彫り師ではなく王家から命を受けて、ここで仕事をしている人なのだという。ユウが「あなたも彫るの?」と率直に訊いてくれたおかげでわかった。
ただ、その出自については、はっきりと言わなかった。発音を含め、彼女の立ち居振る舞いから察するに、田舎育ちの平民とは到底思えない。
神彫院と王家との繋がりはなんとなく知っていたが、私たち候補生の面倒を見てくれる人はどこにでもいる使用人ではなく、それ相応の来歴があるとみるのが妥当だろう。
ちなみに候補生と講師職の木彫り師以外はお面をつけているのは、神樹を敬うための習わしだと言われたが、木彫りをしない者が顔を隠すのが敬意に捉えられる理屈はどうもわからない。
それはそれとして、肝心なのは神彫院にいる他の候補生だ。
最年少は十三歳、最年長は十九歳の女子で、合計三十余名が神樹の候補生として在籍しているそうである。
元来、最大百人までの候補生を生活させる施設設計のため、今現在は部屋がかなり余っているのだとか。
また、十九歳の子に関して言うと、二年後の女神像の代替わり時期には二十歳を超えてしまうので、二十歳になった時点で「卒業」という扱いらしい。
実際、彫り人に選出されず、代替わりの年を過ぎてなお二十歳までは神彫院にて修行を続ける候補生も少なくないようだ。
所属している工房があれば、そことの交渉しだいとのことだった。
なお、神樹の彫り人が候補生の中から選定されるのは代替わりの半年前であるので、一年半後には勝負が決着すると言える。
選ばれた候補生のみが神樹を彫り刻むのを許されるのだ。
……では、どうやって選ぶのか。
それを教えてくれたのは案内役の女性ではない。私たち二人が神彫院へと入って三日目の朝に、その子は接触してきた――――。
「貴女たち、魔女の弟子というのは本当?」
それが彼女の第一声だ。
大食堂での朝食後、私とユウの後ろをそのままつけてきて、あてがわれた部屋に入る前に振り返ったら、ぶつけられた言葉。
「ねぇ、リラ。こんなふうに話しかけられても、返事しちゃいけないの?」
「ユウ……私はあなたが他の子たちと話すのを禁じていないよ。二、三日は様子を見てからにしようって提案しただけ」
私たちの立場を考えると、いたずらに他の候補生と関わってもろくなことにならない。そう思っての提案だった。そしてその様子見がこんな形で壊されるとは予期していなかった。
魔女。
それは私にミカエラではなくダフネの姿を想起させる。真偽はともかく、あの欠けた右手に何か特殊な由縁があるのなら、魔女と呼ばれてもおかしくないはずだ、と。
「じゃあ、この子とも友達になれるかな」
「友達ですって? 私と貴女が? まさかそれはないでしょう」
不躾な質問を投げかけてきた少女は、ユウが隣にいる私へ嬉々として口にした言葉を勝手に拾って、無情に否定した。たしかに友好的な態度ではない。
けれど……言った直後にばつが悪そうな表情を示し、それをすぐ隠した。
彼女は私やユウよりも目線が高い。
私たちとはここに至るまでの暮らしぶり、たとえば食事の面で根本的に違うのか、はたまた血筋の関係なのか、胸部の豊満さが目につく。いかにも重そうだが、それを支える腰つきや脚は細い。
着ているのは、私たちのように神彫院側から数着貸し与えられた無地で紺色の作業着ではなく、それよりも材質がよさげな、植物柄入りの白い作業着だった。
このような場所でもファッションというのは素性で異なるみたいだ。
腰近くまで長さのあるまっすぐな金色の髪は、丹念に梳かしているのがうかがえるが、そのままでは木彫り作業に不向きなのも事実だろう。
その瞳はスクルトラでは灰色ほどでないが珍しい碧眼だった。ややつり目気味であるためか、それとも単に口ぶりのせいか、その色には爽やかな印象ではなく攻撃的なものを受けた。
「友達になるかは別として、よかったら部屋できちんと話しませんか」
ユウはいきなりの拒絶に呆然としているが、私は穏やかな調子で目の前の少女を誘ってみる。予想どおり彼女は面食らって、まごつきを見せた。
私は続けて言う。
「ええと、失礼ですが……私の記憶が確かなら、あなたはここでは数少ないひとり者ではありませんか」
「なっ!?」
少女がますます動揺する。
昨日は丸一日、ユウといっしょに院内を散策した。広間にある掲示板で講義や課題の内容を把握したり、初日に場所だけ案内してもらっていた製材室や保管室へ赴いたり、部屋という部屋を見て回ってみたのだ。
大抵の場合、候補生たちは数人単位で行動していた。広々とした作業場を共有しており、どうやら師事する講師毎に派閥もありそうだった。
また聞こえてきた話によると、必ずしも同じ工房出身者で固まって行動しているわけでもなく、気の合う仲間をここで新たに作って集まっている気配がある。
それらに対して、目の前の金髪碧眼の少女を含めても、一人きりだったのは、たったの四人だけだ。個室で作業に没頭している人はいたかもしれない。
群れていた子の中には、私たち二人を視界に入れるとひそひそと耳打ちしている子もいたけれど……話しかけてきたのはこの少女が初めてだ。
「だ、だとしたら何よ。神樹の彫り人になれるのは一人だけ。候補生同士で馴れ合うほうがおかしいわ」
少女が存在感のある胸をぐっとそらして自分こそが正当だという態度をとる。
「馴れ合いは不要……そう思っているあなたが、なぜわざわざ私たちの後をつけて、師匠について訊ねてくるのですか?」
「それは――」
「リラってば、わたしがつまみ食いしたのを見つけた時のダフネみたい」
くすくすとユウが笑う。
この子は、目の前で青ざめた顔をしている少女よりもある意味で図太く、おおらかだ。半歩退いた少女に、ユウは一歩、いや二歩も近寄った。
「あのね、わたしはユウ! こっちは友達のリラ。あなたは?」
「
「エルダかぁ。綺麗な名前だね。ねぇ、リラもそう思うよね!」
「まぁ、うん。それよりもダフネさんのことを聞きたがっているみたいよ」
「え? なんで?」
首を傾げるユウに私はかぶりを振って、エルダを見やる。名前が褒められたのが彼女の気を乱したのか、もじもじとしていた。
「エルダさん、廊下で長々と立ち話は悪目立ちするだけです。腰を落ち着けて話しませんか。私たちの部屋でなくてもいいので」
そう、私たち二人の部屋だ。
余っている部屋数を考えれば私とユウとで相部屋にしなくてもよかったけれど、ユウに「ねぇ、いいでしょ?」と頼まれて、つい人恋しさに了承してしまった。不満があればいつでも気軽に移動できると自分に言い聞かせた。
「……わかった。ここで尻尾を巻いて逃げてはパンフィーネの家名に傷がつくというものね。いいでしょう、貴女たちの部屋でお話を続けるわ」
腹を決めた面持ちでエルダは誘いに応じた。途端、ユウがもう半歩分、彼女に寄ってほとんどくっつくようにして声をあげる。
「エルダには尻尾があるの!? 見せて、見せて!」
「きゃぁ! ないわよ! おやめなさい! やめないと……ぶ、ぶつわよ」
「ぶたないで。ユウ、離れて。ほら、二人とも入るよ」
廊下の先、私たちのやりとりを遠目から眺めている数人に気づいていない振りをしつつ、私はそう言ってユウとエルダの二人と共に部屋へと入った。
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