第12話 貴族工房、魔女
入ってすぐに、私とユウの部屋には椅子が二つしかないのを見て取ったエルダは、壁際で佇むのを選んだ。その背中を壁にもたれはしない。その凛とした立ち姿はある種の彫刻めいていた。
薄暗かった廊下から一転、窓から晩秋の日差しが注ぐ室内では、エルダの顔立ちにユウとは性質の違う美が備わっているのがよくわかる。紛れもない品格がそこにあった。それも上等な。言わずもがな、田舎娘の私にはないものだ。
それにエルダはつい先ほど「家名」と口にした。そしてそれを誇りにしている様子なのだ。それらに話し方を加味すれば、彼女の生まれ育った境遇には見当がつく。
「貴女たち、さっさとそこに座りなさいな」
エルダは目と手で椅子を示す。
ところがユウは「うん」と言って、すとんと床に腰を下ろすと、ごく自然に胡座をかいた。そうなると私だけ椅子に腰掛けるのも変なので、私は自分のベッドの一部を背もたれに、膝を抱えてやはり床に座った。
するとエルダは数秒固まって、それから私たちに倣って床に座った。片方の足を横に崩したその座り方もまた彫刻のポーズめいている。
「ユウ、私から一つ確認。ダフネさんはその……あなたと過ごしている間、周囲から魔女って呼ばれていた?」
「ううん、そんなことない。魔法なんて使えないし。あっ、もしかして使えたのかな」
「どうだろうね。エルダさん、こんなことを私から言うのも変ですが、ダフネさんはユウの木彫りの師匠というだけではなく育ての親でもあるんです」
「……そう。安心なさって。私は何かを糾弾する気はなく、むやみに人様を蔑みもしないから」
信じることにして、私は相槌を返した。
エルダが、椅子に我が物顔で座らなかったことからも考えるに、常に平民を見下す我儘お嬢様ではないみたいだ。
「ええと、それで魔女というのは? ダフネさんはかつて、エルダさんと同じく貴族工房の一員だったのでしょうか」
「リラさん、私はナパボルト工房をそんなふうに呼ばれるのを快く思っていないわ」
「ちょっと待って。ねぇ、どうしてリラはエルダがそのなんとか工房ってところの人だって知っているの?」
「あら。そういえばそうね」
灰色と青色の目が私に向けられる。
「当てずっぽうです。知っているのは、王都には権威のある木彫り工房が四つあり、そのうち貴族のご令嬢のみが所属を許されている工房が、貴族工房と呼ばれていることぐらいですから。気に障ったならごめんなさい」
「へっ? エルダってお姫様なの!?」
「断じて違うわ。正直に言えば、パンフィーネ家は王家とは比較的縁遠い伯爵家なの。そして私はその三女」
「ねぇ、リラ。ハクシャクケって?」
声を潜め、しかしエルダにも聞こえる大きさで私に訊ねてくるユウ。
彼女は教会や家であまり物を習っていないようだ。ダフネの教育方針は木彫り修行にかなり偏っているのではないか。
私はユウに「後でエルダに教えてもらえばいいよ」と、彼女だけに聞こえる声で返すと、エルダに話を進めるよう促した。
「私が聞き及んでいる範囲で話すわね。まず、ダフネ・スフォルツァはリラさんの推察どおり、かつてナパボルト工房にいたの。そして先々代の女神像の代替わり時期、ようは今から十八年余り前に、私たちと同じ候補生だったのよ」
「それなら聞いたよ。そのときにいっぱい友達ができたんだって。でも……神樹の彫り人になれなくて、失っちゃったって」
ひょっとしてその時に失ったのは友人だけでないのでは。私は喉元まで出かかったのを抑えた。
「ユウさん。彫り人に選ばれなかった彼女が、神彫院を出てからすぐ何を彫ったのかを知っている?」
少し思い出す素ぶりをした後に、ユウは首を横に振る。エルダは躊躇い、熟慮を経て私たちに告げる。
「ある人曰く……呪いを込めた邪神像だったそうよ」
「――それはつまり、女神像の対極に位置するような、ということですか」
私の問いかけにエルダは顔をしかめた。
「平然と返してくるのね。話は逸れるけれど、リラさんは何者なの」
「ユウと同様、工房には所属していません。師匠はダフネさんではなく、旅してきた中で人に聞いても誰も知らない人ですよ。ただ、私にとって大切でかえがえのない人です」
「ようするに?」
「今のところ、私はただの田舎娘です」
泥臭くはなくなったはずだ、たぶん。
「ちがうよ、リラ」
「え?」
「それはわたしも知っているんだからね。ほら、ここに入れるのってなんか特別な、えっと、綺麗な女の子だけなんでしょ?」
「純潔で清廉たる乙女よ、ユウさん。ああ、えっと、勘違いしないで。私はリラさんがそうではないと疑っているのではなくて」
「それにリラが彫った鳥は……」
「待って。私のことはいいですから、話を戻しましょう」
そう言ってから、咳払いをする。そうして二人の口を閉じさせ、視線を向けさせた。
「エルダさん、教えてください。過去にダフネさんは曰く付きの像を造り、それでその……罰として、利き手を?」
「ダメ」
ユウが短く、強く発する。
私とエルダさんは黙って彼女を見た。ユウは困っていた。他にその表情から読み取れるのは哀しみだろうか。
「あのね、ダフネと約束したの。右手のことは聞かない。絶対に。それをダフネがいないところであっても話題にしない。家族でありたいなら守らなくちゃいけないの」
「……そうだったんだね。ごめん、ユウ。私、無神経だった」
「そ、それを言うなら、私はどうなるの。いきなり魔女の弟子かどうかと貴女たちに訊いた私は。わかったわ、この話はここまでにするわね」
そんなふうに引き下がるエルダは、どこか安堵している雰囲気もあった。
少なくとも私たち二人が魔女やそれに並び立つ者ではないのを確かめられたのが収穫だったのかもしれない。もしくは、最初からあの第一声は会話の糸口でしかなかったとか。
「ねぇ、エルダ」
「な、何よ」
「じゃあ次は、エルダ自身と神彫院のことをもっと、もっと教えて!」
「それは私も知りたいです。たとえば、誰がダフネさんと私たちとの繋がりをあなたに教えたのか」
「それは、職員が噂しているのを盗み聞、いえ、偶然にも耳に入れる機会があったというだけよ」
気まずそうに答えるエルダに、私が次は何を訊くべきか考えていると、彼女から「貴女たちは……」と話し始める。
「ここでは私以上に珍しい存在よ。実績のある大工房所属でなく、神樹の彫り人の秘蔵っ子でもないのに、選出課題の発表まで残り一年近くとなってからここに来るだなんて」
エルダが神彫院へと入学したのは二年前だという。彼女は私より二つ、そしてユウより一つ上で十七歳であるらしい。
ユウのほうが私より年上であることにエルダは驚いていたが、ユウがダフネに森で拾われた事実をしてその年齢は不確かなものだ。敢えて私からそう説明しなかったけれど。
ついでに触れておくと、エルダと同じくナパボルトからはもう二人が同時期に入学している。これは王都の他の工房と比べると少ない人数だそうだ。
彼女たちとエルダの仲は工房にいた頃から良好と言い難かったそうだが、今のエルダが孤立状態にある理由はそれだけではないようだ。
とはいえ、知り合ってすぐに聞き出せる話ではなさそうで、私としてもこの場でそこまで言及する気は起こらない。
今、追及したく思っているのは――――。
「選出課題について詳しくお聞きしても?」
「そのままの意味よ。神樹の彫り人を選出するための課題。代替わりのちょうど一年前に課題内容が決定され、候補生たちに伝達されるの。どんなに遅くとも代替わりの半年前には彫り人が選出されるわ」
そして、半年間で新たな女神像を完成させなければならないわけだ。
「へぇ! じゃあ、わたしたちの中で一番を決める課題なんだね!何を彫るの?」
「だから、それが発表されるのが一年前なのよ。たった一つの作品だったこともあれば、半年間、昼夜休まずに次々に彫らせ続けて決めた代もあるって話なの」
私からすると、神彫院が常に候補生にそのような試練と苦難を求めてはおらず、わりと自由気ままにさせているほうが意外だった。
旅の中で聞いた神彫院での生活は人によってばらつきがあったが、いずれも十代の女子にとって苦行の連続だという点は共通していたから。
「もちろん、選出課題以外の課題にも意義はあるわ。提出作品は他のすべての候補生の目にも晒され、互いの力量を知る場になるし、講評会だって開かれるのだから」
「なるほど。ええと、掲示板に記されていた次の課題はたしか……」
私はつい昨日の記憶を蘇らせ、それを口にする前にユウが「あれだよね」と顔をほころばせた。
「安らぎを与えるもの!」
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