棺持ち
咎
俺は人を殺した。
ある晩、俺は盗みを働くため、町でもっとも裕福なものの家に忍び入った。
盗みは初めてだった。俺はすぐにひとりの使用人に見つかり、取り押さえられた。俺は夢中で抵抗した。揉み合いになり、俺たちは階段を転げ落ちた。階段の踊り場で俺たちは止まった。
騒ぎを聞きつけ、明かりを持った家の者たちが集まってきた。俺の身体の下でぴくりとも動かない使用人の顔をその光が照らした。
彼の目は虚空を見つめていた。後頭部から血が流れ出していた。女の叫ぶ声が聞こえた。
盗みを働こうとし、なおかつその家の者を殺してしまった場合、普通なら死刑だ。処刑台の上で、首を落とされる。
しかし俺はそれを免れた。恩赦だ。俺がまだ十五と若く、生まれ育った境遇を鑑みてのことだった。俺の家は貧しく、城郭都市で飼われている家畜のほうがましな生活をしていた。
死刑は免れたが、その代わり
俺たちが到着して間もなく、遠くから音楽が聞こえはじめた。橋のたもとに座り込んでいた二人の守衛がちらりとそちらの方角に目を向けた。彼らの後ろには門があり、その鉄の扉は閉じられていた。
「この手錠を外してくれないか。逃げたりはしない。――俺には逃げる理由がない。
俺はかたわらに立つ王の従者にそう声をかけた。彼は小さくため息をつくと、その屈強な腕で手錠を外した。
「ありがとう」
俺の言葉に、しかし従者は何も答えなかった。
前回の
湖に架かる橋をサマイノ、そして棺で眠る魔術師がともに渡る。橋は天へと繋がっていると言われている。その先で何が行われるのかは知らないが、魔術師は若返り、自らの足で立ち上がって橋を戻る。
魔術師は王国に帰還する一方で、サマイノはそのまま天に留まる。そして王国の守護天使としてその役割を全うする。
橋を渡るのは、サマイノと魔術師の他にもう一人いる。それが他でもなく
(橋の向こうには何があるのだろうか?)
俺は湖の方に目を向けた。湖を深い霧が覆っていた。
✳
日が沈んだ。音楽がやみ、先ほどまでの喧騒が嘘のようにしんと静まり返った。
城の方から、王の一行が歩いて来るのが見えた。王やサマイノである王女、そして従者や兵士たちはみな黒い服を身にまとっていた。まるで彼らが夜の夕闇を引き連れてきたかのようだった。
やがてその一行は、橋のたもとに到着した。俺の目の前に魔術師の棺が置かれた。
橋の門は知らぬ間に開かれていた。漆黒の闇が広がっているのにも関わらず、何かがうごめく気配をはっきりと感じた。その何かを退けるかのように松明が焚かれた。王とサマイノの姿が浮かび上がる。少女の顔は死人のように真っ白だった。俺は自分が殺めた使用人のことを思い出した。
いよいよ出発の時になった。
従者の手に寄ってサマイノの美しい顔は口のところだけ穴の空いた醜いお面に覆われた。
俺は男たちに促されるままに、一対の車輪を持つ手押し車の持ち手を握った。手押し車には棺が固定されていた。朝から俺を見張っていた男が無言で俺のポケットにマッチ箱を入れた。
橋のたもとに立っていたサマイノが恐る恐るといった様子で一歩を踏み出した。少し遅れて俺はそれに従った。
橋の上は真っ暗で、お面をしている訳ではない俺ですら、歩みが慎重になった。しばらく歩いたところで、背後から門が閉じられる音が聞こえた。その音によって、自分たちがまだ数メートルも進んでいないことを知った。
✳
どのくらい経過したのだろうか。時間感覚も距離感覚も全てが麻痺し、一定感覚で聞こえてくるサマイノの足音が幻聴のように俺の耳の奥でこだましていた。――だからサマイノが立ち止まったことに気がつかず、危うく彼女を突き飛ばしてしまいそうになった。俺は慌てて立ち止まり、棺が前に倒れてしまわないよう、それを抱えた。
サマイノが再び歩き始めるのを待つ。
間もなく、サマイノが先ほどまでよりもさらに慎重に歩き始めた。俺はたっぷり時間を空けて、彼女に従った。石畳みから、砂地へと地面の様子が変わり、進むのに苦労した。
(棺はどこへ置けば?)
俺は手がかりを探すために、ひとまず棺をその場に置くと、ポケットからマッチ箱を取り出した。マッチをひとつ擦って、高く掲げる。
(なんだこれ……?)
目の前に、円形に配置されたいくつもの石柱が浮かび上がる。石柱の数は十二本だった。手前の一柱は黒く、その対局にある柱は白かった。そして残りの柱は灰色だった。顔を上げ、石柱の先端を探る。しかし暗闇に阻まれ、それは叶わなかった。間もなくマッチの火が消えた。
もう一度、マッチを擦り、火をつけた。前方に突き出す。サマイノが戸惑った様子で、黒い柱の
(これから何が行われるのだろうか?)
好奇心が襲う。しかし仕事に専念しなければならない。俺はもうひとつの棺を探した。棺はすぐに見つかった。円の中心にあった。
マッチの炎が消えるまでの間、俺はサマイノがいる場所を迂回してそこに行くまでの導線を頭に刻んだ。マッチはそれで最後だった。
棺の交換を無事終えると、俺は橋のたもとに戻った。棺は
辺りを重苦しい沈黙が支配していた。
俺がここを離れればサマイノは一人になる。――いや、魔術師と二人か。いずれにせよ、心細いだろう。励ましの言葉を掛けたい衝動が俺を襲うが、俺はぐっとこらえた。そして静かに手押し車を押した。
車輪が石畳に乗り上げたちょうどその時、背後で物音がした。俺は思わず立ち止まり、後ろを振り返った。
何かが始まったようだ。暗いので様子は分からない。リズミカルな掛け声が聞こえてくる。
エタ・ロンドだ。
声の一方はサマイノで、もう一方は……――魔術師の霊だろうか?
冥府のようなこの場所にまるでそぐわないどこか無邪気な遊びに俺は魅入った。
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