名前

 こってりと少年の勝手な行動に怒り疲れたリヴァディーは、ふぅっと枯れ草ベッドに腰掛ける。リヴァディーとて少年が善意で行った行動というのが解らないではない。だが、同時に自身のテリトリーを他人に好き勝手いじられるのも気に食わないというものだ。


 ここまで少年に勝手な事をするなと怒っていたリヴァディーは、ふぅっと溜息を吐いた際に少年の足に目が向く。 あれ、そう言えばこいつの足折れていた筈だったよな。まだ治るには早い筈だろうにどうして洞窟の中を掃除なんて出来たんだと。一つの疑問が浮かんだ。


「オイ、お前。ナンでもう立てているんダ」


 少年はリヴァディーの問に、何を今更とでも言うかの様に首を傾げて言葉を返す。


「我慢すれば、歩くくらいの事は出来ますよ。この程度は慣れていますもん。あぁ、勿論、手当をしてくれたから立ち上がるのはいつもより数日は早く出来ましたけど。えっと、あれ、僕変なこと言ってます か?」


 先程リヴァディーに怒られたのが応えたのか、言葉の端々で弱々しい態度を見せながら、様子を伺う様に言った言葉に、リヴァディーは難しい顔をする。我慢すればと少年は言った。ならば痛みが有るはずだ。緊急時、それこそ自身の命が危ういような状況下ならば、痛みなどに構ってられず、無理にでも動く。それは解る。何せ生きる為にそうしなければ成らないのだから。


 だが、今は違う。少年にとって命の危機に遭うモノは取り除いたのだ、己が少年にとって無害でありそれどころか命の恩人となった。ならばもっと信頼して、頼るものでは無いのか。それとも、私は少年にとってはまだ命を脅かす対象にしか見えないのだろうか。やはりこんな見た目では、何をしても人間に信頼されるなんてことは幻想に過ぎないのか。


「ソウか、ならばもう歩いて帰れるのだロウ。だったら、早く帰レ」


 少年が己を頼ってくれない。少年に信頼されていない。竜人の私ではやはり人間と共にあるなんて夢物語でしかなかったのだ。当初、少年を助けた際の行動原理など既に忘れ、すっかり少年の事を気に入ってしまっていたその事実に気づいてか、或いは無意識からかリヴァディーは少年に頼られないことに悲しみ、少年を遠ざけるような発言をする。


 だが、少年は一向に出て行く気配を見せない。それどころか、ずかずかとこちらへと歩み寄り、ガシリとリヴァディーの手を握る。ゴツゴツとした人間とはかけ離れた竜のモノである鱗肌。それを少年はしっかりの握る。リヴァディーからすれば簡単に振り払える程度の弱々しい力。だが、人肌の温もりを感じるにはそれで十分だった。


「帰れなんて、そんな悲しくなる様なこと言わないで下さいよ。僕はもう帰る場所が無いんですから」


 事実を言っているだけか、それともからかっているのか、でもどこか少し照れくさそうに少年は、何故か出ていく様に言われた自身よりも悲しそうな表情をするリヴァディーにそう言った。少年は思う、彼女は一人になる事を恐れている。リヴァディーがその事を己が理解しているのかは、心が読める訳でも無い少年には解り得ない事柄だ。それでも、リヴァディーが浮かべるその表情には見覚えがある。


 よく見てきた顔だ。少年が唯一心を許せた、この世に二人と居ない肉親である実の姉。世の中の事柄全てに無知だった愚かな己の為に身を削ってくれた大好きだった存在。だが、少年はおよそ五年程まえにその大切な姉を失った。二人は一人と成り、その時に鏡に映った己の情けない泣き顔。涙こそ流して居ないが、今目の前に居る。竜であり人でもある存在。否、亡くなった姉と変わらぬ年齢程の見た目をした女の子。


 ヨシっと、自分に言い聞かせるようにぼそりと気合を入れると、少年はリヴァディーに向き直り、彼女の目をまっすぐに見て。


「僕の帰る場所は、もう此処だけなんです。どうか僕をあなたの元で働かさせて下さい」


 力強くそう言った後、少年はやはり気恥ずかしいのか目を逸らし、顔をほんのりと赤らめる。だが、思いだけでも受け取って欲しいと言う気持ちの現れか握る手だけは離さないでいた。


「イイのか。アタシは竜人なんだゾ。見た目はお前達と近い部分もあるが竜でもあるんダゾ。怖く無いのカ、嫌じゃないのカ」


「怖く無い。とは言い切れないです。ごめんなさい。助けてくれた恩人に対して失礼だとは解っているんですけど、正直まだ少しだけ手が震えてしまいますよ。でも、この程度すぐに慣れてみせますから、大丈夫です」


 少年は、震わしていた手にギュッと力を入れ無理やりにでも止めた後、はにかんだ笑顔を向けて。


「それに、死にかけだった僕を冬の備えをするこの時期に、わざわざ貴重な薪を全部使っかてくれてまでして助けてくれた様な人を嫌に思う訳ないじゃないですか」


 勘違いをしていた。そう勘違いだ。そうだった少年は私と同じ捨てられた存在だ。今の少年にとって私に見放されるのは死に等しい。そんな少年が私に見放されて生きていけない様な状態に成らない為に、痛みを我慢してまで自身に出来うることで私に自身の有用性を照明しようとした。いや違う、そうじゃない。これは生きる為とかそういう生物として当然の目的とかだけじゃ無くて、わた、私と共にイキ、生きていきたいとかそう言う。つ、つつつまりは、ツガ、つつつつつ番いとかそう言う。


 この時、リヴァディーは盛大な勘違いをした。当然だ勘違いをするのも無理は無い、何せリヴァディーはこれまで人との真面な関わりかたと言うもの知る術が無かったのだ。精々が森の木々に隠れこっそりと人の営みを観察する程度の事、それも森に居る人間など、狩りをする為鎧に身を包む騎士どもか、没落して盗賊崩れに落ちた浪人、或いは人目を憚り逢引きをする様な男女くらいしか見ることが無い。


 それも決まって夕暮れ前までか、深夜にのみ行動することが殆どだったものだから、まだ日の上がった夕暮れ前まではまだしも、時折活動する深夜の場合は、人目につかない様にこそこそと街を抜け出してきた逢引目的の男女。それも決まって日も沈んだ夜と人目を遮る森の中故か、大胆な行動に出る者が多いことが殆どだった。


 そんなこんなで、人間の異性との関わり方と言うものに人間社会の一般的な常識と言うもの持たないリヴァディーは、恩義を返すと言う礼の心でもって接してくる少年の返答を解せないまま、偏った知識のみの考えを持ってして少年が今言った言葉を自動翻訳してしまう。


 要約するとプロポーズされたと勘違いしてしまった訳だ。


「フ、フフッ。フフフ。ソウか、アタシの傍に居たいのカ。アタシの為なら怖いのも我慢出来るのカ。そうか、ソウカ。フフ」


 信頼されてない、嫌われている。そう勝手に勘違いして落ち込んでいたリヴァディーの姿はもういない。それどころか、はにかんだ笑顔が素敵な少年から始めてのプロポーズをされたと言う勘違いをして、独り身の寂しさを知っていた反動からの嬉しさの余り変な方向に壊れて行く。フフフと気味の悪い笑い方をし出したのがその証拠。


「モチロン。お前は今日からアタシの傍にいロ。ずっと私の傍に居るんだゾ」


 満面の笑みでそう返すリヴァディーの言葉。少年はそれに含まれている真の意味に気づかないまま「これからよろしくお願いします」と元気に返した。


 少年と勘違いしたままとは言え一応は、これから供に暮らすことに違いは無い。そこでリヴァディーは少年の呼称をどうするか、ふと考える。


 リヴァディーの中では勝手に話は進みに進み、少年とは新婚夫婦の様な関係性となってしまっている為、先程までの様に、お前だとか少年と言った呼び名では無く愛称で呼び合うような――いや、それはさすがに恥ずかし過ぎる。でも、せめて名前で呼び合うようになりたいなぁと、度々深夜の森中で熱々と逢引をした男女が互いの名前を呼び合うさまを見続け、年頃の乙女の様に憧れを抱いていたリヴァディーは思うのであった。


「ナ、ナア。お前、名前はなんて言うんダ。ア、いや、折角一緒に住むことになったのダカラ、呼び名くらいは知っておいた方が良いかと思ってナ」


「えっと、僕の名前……ですか?」


 リヴァディーの問に対して少年は少し困った様にそう口にして、頬をかく。


「ア。言いたく無いナラ無理して言わなくても良いんだゾ」


「いえいえ、違うんです。言いたく無いとかじゃなくて、名前を聞かれるなんて始めてだったから、ちょっと驚いて」


「ソ、そうカ」


 嫌がられている訳では無さそうだったのを知り、ほっと胸を撫でおろす。余計な一言で破局する逢引をしていた筈の者達が残した悲しい背中を見てきたリヴァディーは、折角幸せに成ろう一歩を踏み出し始めたまさに今、そんな彼らと同じ道をいきなり踏み抜いてしまったのではと、一瞬焦ってしまった。だが、そうでは無い事を知った後も、余計な詮索をして破局した彼らと同じ轍は踏むまいと、口を硬く結び少年が名前を教えてくれるのを固唾を飲んで待つ。


「僕の名前は…………あれ、僕の名前って。あれ、あれれ」


 だが、リヴァディーが待てど暮らせど少年は慌てた様子で頭を抱えるだけで、待ち遠しい答えをくれないでいた。そんなリヴァディーの前で頭を抱えて懸命に何かを思い出そうとする少年。リヴァディーはまさかと少年が頭を抱える理由に気づき、硬く結ぶと決めた口を早々に開くのであった。


「モシかして、自分の名前を忘れたのカ」


「――――ごめんなさい」


 リヴァディーの問に少年は首を縦に振って頷きながら謝罪の言葉を口にする。蛇に睨まれた蛙の様にピタリと動きを止めて、リヴァディーの次なる言葉に震えて待つことしか出来ない少年。傍に居させて欲しいと言っておきながら自分の名前を言えないなんて。口にする機会もされる機会も無くすっかり忘れてしまうのも仕方ないことだろうと己が頭で言い訳を考えるも、でも結局それを言った所で何が変わる訳でもない。とんでもない失礼な事をしていると怯え青ざめる少年。


 だが、リヴァディーはそんな少年の心情に気づくことも無く、名前を忘れてしまったのであれば、好きな呼び名を付けれると言うことでは無いのだろうか。先程恥ずかしいからと却下することにした筈の愛称を呼び合う未来を空想しながら、リヴァディーは、ぬううと頭をひねり、己が番いとなる少年に相応しい名前を考える。


 そして、過去に聞いた事のある我が番いとして相応しき言葉を少年の名にあてがった。


「ヨシ、決めたゾ」


 突然発したリヴァディーの言葉にビクリと少年が肩を震わせ続く言葉に耳を向ける。少年のその様に気づく事も無くリヴァディーはビシッと少年を指差して


「イマからお前の名前は、チェインだ。何処までモ自由気ままなアタシにしがみつき繋がる事の出来るユイイツの存在。確かそんな意味だゾ。アタシの傍に居ると言うナラこの名前が相応しいダロ」


 リヴァディーは自身たっぷりに、そう言い放った。対する少年は、てっきり怒られてしまうと思い込んで居たからか、怒られるどころか名前を付けられたと言う事実を理解出来ずにポカンと呆けていた。


「ド、どうしたんダ。もしかして気に入らなかったのカ」


 少年が先程の言葉に対して何も反応をしなくなってしまった様子を見て、もしや気に入らない名前を付けてしまったのでは、機嫌を損ねてしまったのではと、心配になって尋ねる。


 リヴァディーのそんな様子にようやく呆気に取られていた意識を取り戻した少年は、首を横に振って答えた。


「い、いえ。別に嫌だった訳じゃなくて。僕なんかにわざわざ新しく名前をくれるとは思わなくて、ちょっと驚いていただけです」


「ヨビ名を知って置いた方がイイと話したばかりじゃ無いカ。無いなら付けル、足りないなら補ウのは当然のコトだゾ。コノ程度で驚くなんてチェインはマダマダだナ。コレから先がちょっと心配に成るゾ」


 わざとらしく、両手を使いやれやれと言った様子を作りそう口にすると、リヴァディーは改めてと言った様子で手を差し出す。


「コホン。改めて、アタシの名前はリヴァディーだゾ。サッキも言ったが何処までも自由気ままって意味の名前ダ。アタシが付けた名前通りにちゃんとしがみついておくんだゾ」


「よ、よろしくお願いします。――――チェインです」


 リヴァディーに促される形で、新たに付けられた自身の名前で答える少年改めチェインは、恥ずかしさを残したまま、しかして嬉しい思いもあるのか頬を少しばかり緩ませながら差し出されたリヴァディーの手を握り返して、握手をしながらそう返す。


「チェイン」短く、しかしてはっきりと口に出す。


「何ですか? リヴァディーさん」


「ンフフゥ、呼んだだけダ」


「そ、そうですか」


 チェイン。そう少年に付けた名前を呼ぶ。すると返事が返ってくる。独り身の生を送り続けていたリヴァディーにとって、それだけのことがとても幸福な事のように思えた。故に繰り返す。


「チェイン」抑揚をつけて


「チェイン」間延びさせて


「チェイン」含みを持たせて


 赤子が覚えたての言葉を唱えるように、恋をした乙女が焦がれる相手の名前を覚えるように。何度も何度も繰り返し言う。最初の方こそ、返事を返して居たチェインもいい加減面倒になってきたのか、ただ黙ってリヴァディーが満足して別の話題に切り替えるのを待つだけになってしまっていた。


 何せチェインは今、リヴァディーの膝の上に座らされているのだ。両手で包み込む様に抱え込まれてしまっているチェインに、繰り返され続けるリヴァディーの呼びかけ地獄から抜け出す術も無く。ただ機嫌の良い様子で蕩けた笑みを浮かべるリヴァディーが不機嫌に成りその手に籠めた力加減を間違えてしまわないように、顔色を伺いながら愛想笑いだけを続けていると、途端にリヴァディーが何かを思い出した様にバッと立ち合がある。


「うをっと」


 当然のことに座らされて居いたチェインは事前に構える間も無く、放り出されるがまま前に倒れ、鼻筋を地面にぶつけてしまう。幸い目の前が枯れ草ベッドの上であったので怪我をする事は無かったものの少し痛かった。


「急にどうしたんですか」 


 鼻筋をさすりながら、ちょっとだけ涙目になった状態でチェインはリヴァディーに向き直りそう尋ねる。当のリヴァディーは、先程まで夢中になっていたチェインに目もくれず洞窟の外、昨日降った雨によって出来た水溜まりを見ていた。そして


「ア、アぁ――――――――――――――――――!!」っと何か大事な事を思い出したかのように洞窟内で何度も反響する程に大声で叫ぶ。


「ワ、ワスレテタァ」


 叫び声が一度止まったと思うとすぐさまにそう口にして、わなわなと頭を抱えたままリヴァディーは、その場でしゃがみ込む。


 忘れていた。何が? 全てをだ。チェインと出会う前日に明日取りに来ようと思って置いてきたお宝も、その次の日に仕掛けていた罠の様子を確認しに行く事とか、冬が近い癖に洞窟に貯め込んでいた薪用の枯れ枝を全て使った事実とか色々なことをチェインと一緒に居て名前を呼ぶだけの事が唯々楽しくて、すっかりと頭から抜けてしまっていた。


 陽光は既に落ちようとしており茜色に染まる森、光を反射する濁った泥混じりの水溜まり、そして明かりの一つも無く今まさに暗闇に吞まれようとするこの洞窟。


 食糧の備蓄も少なく、暖を取る事も中を光で照らすことも事も叶わない。独りで居た頃は、気にせずとも明日を迎えるだけのこと。だがしかし、今はチェインが居る。昨夜、火が消えかけた程度で倒れる程にまで軟な生物。少なくともリヴァディーは、チェインをそんな認識で見ている。


 今の時間はまだ暖かさが残る時間帯なので問題は無いだろう。だが、あと少しすれば次第に冷たい風邪が辺りを占め、僅かな暖気も掻き消してしまいかねない。そうなれば、昨夜の二の舞になってしまうのでは。突然の奇行に理解が追いつけないと言った様子で固まりこちらを見てくる少年の姿を見てリヴァディーは、意を決した思いで洞窟の外へと歩みを進める。


「リヴァディーさん?」


「チョット出掛けて来ル。スグに戻るが、チェインは留守番をして居るんだゾ。後、チャンと暖かくしておくんだゾ」


 キョトンとした顔で背中を見てくるチェインにリヴァディーは、上半身だけで軽く振り向き、チェインの傍に転がっている厚手の布を着こむ様に促す仕草をしながら言葉を返す。


 そして、チェインの返事も聞かずに慌てた様子で夜に成ろうとする森の中へと向かい走り出すのだった。

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