第十六話 三人の婦人と鶴巻温泉へ

 別の登山者三人が正義たちのいるテーブルにやって来た。

アラサーくらいのご婦人で、

ーー 赤のチェック柄のカッターシャツが雨具の隙間から見えている。


「あら、久しぶりお兄さん。

ーー あの鶴巻温泉以来ね」

「あー、その節は、お世話になりました」


「覚えていてくれて、有難いわ。

ーー ところで、そちらの女性は?」


「はい、正義さんの恋人です」

沙月の言葉に正義が驚いている。


「私も正義の恋人だ」

紗央莉の目が据わっている。


「お二人も恋人がいて羨ましいわ」

「二人とも酒癖が悪いんですよ。

ーー 気にしないでください」


「ちょっと着替えて来るわね」


 ご婦人は正義たちの前から別の居場所に消えた。



「正義、酒癖が悪いとはなんだ」

「紗央莉さん、標高の高い山ではお酒のまわりが早いんですよ」

紗央莉は正義に否定されたことに腹を立ている。


「正義、そんなことは、知っている。

ーー ところで、さっきの女と温泉に行ったのか!

ーー 白状しないとな・・・・・・」


「何年か前の冬。

ーー この尾根を下って雪の中で一本取っている時に会ったんだ。

ーー 駒止小屋こまどめごやまで、ご一緒したら、温泉の話になって」

「それで、どうした」


「山の汗を流しに寄ることにしただけですよ」

「混浴か?」


「そんな訳ないじゃないですか。

ーー あそこは、銭湯と同じで入り口が分かれています」


「混浴は、入り口が分かれているぞ。

ーー でも、中は一緒になっている」



 ご婦人三人が日本酒とおつまみ持って来て会話に参加した。

「あの頃までは、混浴じゃなかったかしら。

ーー 私、陽子よ、よろしく」

「正義です、よろしく。

ーー そういえば、あの時は名前を言ってませんでしたね」


「正義、おまえ名前も知らない人と混浴に行くのか」


 ブチ切れ気味の紗央莉が左手でシャツの右袖を引き上げ、

ーー 怒りの拳を正義の顔の前で突き上げた。


「姉さん、正義さんはそんな人じゃないから、

ーー 心配ないわよ」


「あなたは?」

「紗央莉の妹の沙月です」


「もしかして双子なの」

沙月が小さく頷く。


「私、京子よ、

ーー 沙月さん、紗央莉さん、よろしくね」

「春子よ、よろしく」


「ところで、みなさんのシャツはお揃いですか?

ーー 素敵な柄ですね」


「私たちのグループのユニフォームみたいな物よ」


 傍にいる紗央莉の逆上の炎はメラメラと火山の火炎のように燃え上がっている。

京子からお酌を頂くと紗央莉の現金な性格が露わになった。



 年上の京子とその仲間たちは、終始微笑んでいた。


「京子さん、今日はどちらから」

「ヤビツ峠です」


「ヤビツまでは落石も多くて、

ーー タクシーの運転手が嫌がっていましたよ」

「そうね、あそこはちょっとだけ面倒な場所ね」


「雨の中で鎖場は大丈夫でしたか」

「鎖場は、平気だけど、泥が怖いわね」


表尾根おもておねは、お天気が良ければいいコースですね。

ーー 交通の便次第ですね」

(表尾根は、丹沢の有名なメジャールート)


「逆コースはおすすめ出来ないわね」


「そうですね紗央莉さん、

ーー 峠に到着が遅れたらアウトですから。

ーー 時計を気にしての登山は嫌いです」 


 元ワンゲルの紗央莉は山の経験も豊富で、丹沢山塊のメジャーコースを走破していた。


「明日は、下りだけですから気楽です」

「そうね正義さんでしたっけ、

ーー 冬と違って氷結してませんから。

ーー これから食事なの、じゃあ、おやすみなさい」


 京子と山仲間は、言葉を残して食堂に移動した。




 正義たち三人は、いつものようにタラタラと酒を飲んでいた。


 二階の寝床に移動して三人は、川の字で眠る。

紗央莉、正義、沙月の順になっていた。



 翌朝、お天気が回復して婦人三人組が富士山の写真を撮影している。


「紗央莉さん、沙月さん、富士山が見えますよ」


「正義さん、雪のない富士山見るの初めてです」

「正義、ここからの眺めは近いからデカいな。

ーー 私のエフカップと正義の股間のおおきさがいい勝負だ」


「姉さん、まだ朝ですよ。

ーー 下ネタ解禁時間じゃないわ」

「沙月さん、下ネタ解禁時間ってあるんですか?」


 正義と紗央莉が沙月の失言に大笑いしている。

沙月は頬を薔薇の花びらのように紅潮させ口を尖らせた。



「正義さん、下るだけですか?」

「まあ、そうだけど、沙月さんは初めての山だからそれがいいよ」


 沙月が残念そうな顔を浮かべていると昨夜の三人組みと食堂に行くことになった。


「正義さん、私たちも大倉に下るけど、

ーー また温泉で一汗流しませんか?」

「俺、もう場所も覚えていないけど」


「京子さんでしたかな。

ーー 正義を誘惑しちゃダメよ」


「紗央莉さんと沙月さんも、

ーー ご一緒しましょう」


「私は京子さんに賛成よ」

「じゃあ、沙月に従うわ」

と、紗央莉だった。



 六人は婦人三人組を先頭に、正義、沙月、紗央莉順に降りて行く。

正義が沙月の前を歩くのは、万が一に備えている。

上りは、後方待機、下だりは前方待機と正義は考えている。


 両側に岩のある溝の中には小石がゴロゴロしている。

沙月が、後ろでラクの練習会を一人でしていた。


 正義は、少し先に下って沙月を待つようにしている。

山は上りより下りの方が事故が多いからだ。


 沢に通じる鞍部が細くなっている。

ーー 正義は少しだけ先に降り沙月を注意して待つ。


 何事もなく沙月は通過して駒止茶屋に到着した。

(昔の正義は駒止小屋と呼んでいた)


 婦人三人組みは、先に到着して昼酒を飲んでいる。

紗央莉と沙月も便乗して飲むことになる。


「正義、向かい酒だ」

「紗央莉さんには、敵わないな」


「じゃ正義、乾杯」


 しばらくして、六人は茶屋を出た。


「おじさん、元気でね!」

「気をつけてな」




 六人は同じ順番で大倉尾根を下り、大倉のバスターミナルに到着した。

六人はバスターミナルの洗面所に寄ったあとバスに乗車した。


 終点の渋沢駅でバスを降りた六人は、鶴巻温泉を目指す。

渋沢から三つ目の駅で降車し温泉までは徒歩で行く。


 国道沿いはトラックが多く、安全にはほど遠い。

埃が舞い上がり暑さを助長していた。


「もうちょっと歩くわ」

 京子の言葉に正義たち三人はついて行くだけだった。


 鶴巻温泉に到着して正義の昔の記憶が甦る。

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