第十五話 悪天候と霧の中で乾杯!

 昼食を終えた三人が花立山荘付近を出発した頃だった。

湿った風が尾根をくだり三人の頬を撫でた。


「正義、急がないと危ないな」


「姉さん、何言ってんの」


「沙月、お天気が危ないのよ」


「沙月さん、山では天候急変の前に湿った風が吹くことがあるんだ。

ーー 都会でも雨の降り出す前にはよくあることだけど」


「じゃあ、正義さん、お天気崩れるの?」

「そうなる可能性が濃厚じゃないかな」


「正義、晴れ男じゃなかったのか?」


 紗央莉が正義を皮肉っている時、白い靄が徐々に立ち込め始める。

沙月が不安気な表情を浮かべている。


「ガスも出て来たね。

ーー 紗央莉さん、沙月さん、急ぎましょう」


 正義は、沙月の荷物の一部を自分のザックに入れて沙月を楽にさせた。


「正義、お前、意外にいい奴だな」


 素面しらふの紗央莉の皮肉攻撃が続く。

沙月には、そんな余裕すらなかった。


 ガスは、あっと言う前に尾根を舐めて真っ白な世界になった。

視界は殆どなくなっている。


 ガスに巻かれたら動くなが山の鉄則なのを正義は過去に経験していた。

谷川岳の中ゴー尾根の下りであわやルートを外れそうになった。

正義は思い出すだけで背筋が冷たくなった。




 三人は大倉尾根の金冷しの分岐点を通過した。

塔ノ岳の頂上まで、あと少しのところまで来ている。


 小雨が降り出して、三人は雨具を着て進む。


「とうとう雨になったね。正義」

「紗央莉さん、俺、雨乞いしてませんからね。

ーー 沙月さん、雨具は厄介だから、

ーー 頂上の山荘に着いたらすぐに着替えてください」


「沙月、正義の言う通り、着替えて裸になるのが一番だ」

「姉さん、今はお酒の時間じゃ無いわよ」


「沙月、山男も、山女も酒のない世界は考えられないからな〜」


 紗央莉は、沙月を励ましながら冗談を重ねている。


 正義たち三人は低い雨雲の中にいた。


「あと十五分くらいです。頑張りましょう」


 頂上直下のやや急な上りは岩がゴロゴロしている。


 雨は容赦なく三人の顔に降り注いだ。

「沙月さん、だから、頑張ろう」


 沙月は、正義の[]を何度も聞いていた。

正義のあと少しは、いつもののテクニックだった。


 人は、あと少しと思うと鹿が出るのだった。


「紗央莉、頑張れ!」

「姉さん・・・・・・」


 正義は沙月の後ろを登っている。

沙月の水色の雨具の水滴が風に流され後ろにいる正義の顔にかかる。


 正義は、沙月がスリップしないように後ろで見守っていた。



 急に目の前視界が開けた。

小さな公園のような平坦な場所に出たが雨とガスが遮る。


 中央に大きな大木が垂直に建立されている。

その大木に塔ノ岳の文字と標高が刻まれていた。


「沙月さん、おめでとう。

ーー 頂上に到着しました」

「姉さんと正義さんのお陰です」




 三人は、頂上の山荘の引き戸を開け正義、沙月、紗央莉の順に中に入った。

「こんにちは」

「いらっしゃい」


 山荘の主人に挨拶を済ませて正義が尋ねる。

「すみません、休ませてもらえますか」


 主人は正義を見て笑いながら答えた。

「元気だったか?久しぶりだ」

「以前も雨の日に、

ーー この山荘でご厄介になりました」

「あの時も、大雨だったな」


会話を聞いていた紗央莉が正義の耳元で囁いた。

「正義、お前、雨男だな」



「今日は三人ですが、休ませてもらえますか」

「休むのはいいけど、この雨は止まないよ。

ーー 悪いこと言わないから、今日は泊まって明日帰ればいい」


「オヤジさんありがとうございます」

「素泊まりか、二食か、どっちがいい」


「はい、二食で三人分をお願いします」



 正義は紗央莉と沙月には事後報告とした。


「と言う訳で、今夜はここで一泊します」


 三人は、東中野マンションで何度も一緒だった事もあって

ーー 正義の事後報告を素直に受け入れた。


 雨具と登山靴を脱ぎ、山荘に上がる三人。


 天気のいい日には山荘の二階から富士山が見えたのを、正義は覚えていた。



 夕刻に遠い時間、三人は着替えを済ませて山荘の番茶を飲んだ。

 外は、豪雨となり、風が吹き荒れ、時折、稲妻いなづまの音が炸裂さくれつしていた。


「正義、ギリギリセーフだったな」

「ええ、天気予報はよく外れます」


「わたしなんか宝くじはいつも外れだぞ!凄いだろう」

「俺も同じです。あれ、当たる人いるんですかね」


 山荘の主人あるじがやって来て会話に入る。

「宝くじか。俺、当たったことあるよ」

「オヤジさん、くじ運強いんですか」

「ちょおっとな」


「で、何等ですか?」

「それは、秘密だよ。

ーーでも世の中には当たる人は少ないけどいると思う」


 主人は、タバコをくわえライターで火をつけた。

天井に向かって煙を吐き遊んでいる。

白煙が上へ伸びて薄くなって消えた。


「馬鹿と煙と山男は高いところが好きだからな。

ーー あはははぁ」


 沙月と紗央莉が主人の冗談に笑い声を上げている。


「山で怖いのは濡れたままで行動することだよ。お嬢さん。

ーー 濡れたまま、無理をすれば疲労凍死もあるね。

ーー 悪天候を甘く見ないで避難して正解だな」


「オヤジさん、今日、お邪魔して迷惑じゃなかった?」

「こんなべっぴんさんを間近で拝めて俺は嬉しいよ。

ーー それに悪天候の日は、登って来る登山者も少ないから大丈夫だ」


 正義たちとオヤジさんの会話が終わった頃、

ーー 食事の担当が準備が出来たことを三人に告げに来た。


 早い夕食のあと、紗央莉がザックからウイスキーを取り出す。

正義も日本酒の紙パックを取り出した。

主人も酒を持って来て四人の酒盛りが始まった。


「姉さん、ここはマンションじゃないからね」


 山女の紗央莉は慣れた手付きでステンレスカップに酒を注ぐ。

正義は、沙月のカップを寄せて日本酒を注ぎ、主人にお礼の一杯を差し上げた。


「悪いな。東京の酒は久しぶりだ。

ーー 滅多に山を降りないからね」


「オヤジさん、じゃあ、前に降りたのは・・・・・・」

「うん、春の終わり頃かな」


 正義は、沙月が持って来た遠足菓子をテーブルの上に並べる。


「オヤジさん、一緒に食べましょう」

「悪いな、久しぶりだから嬉しいな」


 しばらくして、山荘の引き戸が大きく開けられ、登山者が数人入って来た。

「じゃあ失礼するよ。仕事あるから」

 主人が消えても三人の酒盛りは終わらない。



 沙月がザックから別の酒を取り出す。

「姉さんが、持って行けと言っていたので・・・・・・」


正義は、この魅力的な双子姉妹に翻弄されていた自分に気付いていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る