第十四話 沙月さん頂上は目前だ!

「沙月さん、次は堀山の家がある分岐点まで頑張ろう」

「はい」


正義と沙月は、大倉尾根のダラダラの道を歩いていた。


「その前に、このバカ尾根は、落差の大きな尾根なんです」


「正義さん、落差ですか」


「高度じゃなくて、緩急です。

ーー 平坦になったり、急になったりでリズムが取りづらいコースなんです。

ーー 登ったり、下ったりも頻繁ですが、

ーー さあ、堀山の家が見えましたよ」


「沙月!」

紗央莉が手を振っている。


「紗央莉さん、お待たせしました」

「怪しいな、正義、なんかしていた?」


「姉さん、正義さんは、コースの説明をしてくれただけですよ」

「正義、本当かな・・・・・・」


「なにもしていませんが」

「じゃあ、正義、ここで裸になってニャンと吠えてみろ」


「紗央莉さんは、相変わらず無茶な人だな」

「私は受付嬢ですからね」


紗央莉のトンチンカンな会話に呆れる正義と沙月だった。


「じゃあ、沙月、次は、花立山荘前で会おう」

「姉さん、気をつけて」


「私は、大丈夫だけど・・・・・・。

ーー 沙月、このコースで最大の上りがあるわよ」

「姉さん、わかったわ、頑張るから・・・・・・」


沙月は紗央莉に脅されて肩を落としている。


「沙月さん、昔は、赤土が剥き出しの土の急斜面だった。

ーー 整備が進んで丸太の階段状になった。

ーー けど、大雨でその丸太の階段が崩壊していることがあるんだ」


「そこを言っていたのね。姉さんは・・・・・・」


下りの登山者が、立ち止まって挨拶してくる。

「こんにちは」


正義も答えた。

「ちわ〜す」


上りの正義たちが過ぎて下りの登山者が下り始めた。


「正義さん、ちわーーなんとかって言ってたでしょう。

ーー アレなあに」


「沙月さん、すれ違う相手が沢山いると大変なんだ。

ーー だから山屋は、短い挨拶をしている。

ーー こんにちはの省略形だね」


「上の人が待ってくれましたが」

「沙月さん、山では上り優先なんだよ。

ーー 特に狭い登山道では危険なんでね。

ーー でもつらい時は相手に、どうぞと言って、

ーー 相手を優先させるのもテクニックだね」


「正義さん、詳しいですね」

「山の先輩からの受け売りですよ。

ーー ただ、山でしていけないことがあります。

ーー 石を間違って落とした時は、人がいなくてもラ〜ク!

ーー ラ〜ク!と大声で叫びます」


「正義さん、人がいなくてもですか?」

「普段からしていないと、咄嗟の時に声が出ないんですよ。

ーー 高い山のガレ場で落石があると人が死んだりします。

ーー だから、小さな石でもラ〜クなんです」

「小さな石ですよ」


「小石が呼び水になって、次の石を押し、岩雪崩になったことがあった。

ーー 声に気付いて回避できるかは運次第。

ーー まあ、丹沢のこのバカ尾根ではありませんね。

ーー 昔、富士山の落石事故で沢山の人がオロクになって話題になったことがあった」


「オロクですか?」

「山で死ぬと、そう呼ばれます」


「覚えたくない言葉ですね」



「沙月さん、もうじき鞍部あんぶに出ます」


「鞍部ですか?」

「はい、ここを下ると・・・・・・。

ーー 沢のぼりの登山者が右手から突然現れる場所になる。

ーー そこは、逆に言えば狭くて危険な場所だね。

ーー 冬には、凍結する狭い場所でもあるんだよ」


 正義が説明していると右手から知り合いの山男が現れた。

「正義じゃないか。久しぶりだ、その綺麗な人は!」


「俺の恋人です!」

 正義は、この男が苦手で咄嗟とっさに嘘を口にした。


「正義、じゃあ、頑張れなあ」

 男は意味不明な言葉を残して再び沢を下り始めた。


「正義さん、あの人は・・・・・・」

「昔、山岳会にいた時の先輩の一人です」


「正義さん、私、恋人なの?」

「そういうのが安全かなぁと思ったので、

ーー つい咄嗟に」

正義は照れていた。


「正義さん、嬉しかった」

沙月は頬を紅潮させている。


「あの先輩、女癖が悪いんです。

ーー 沙月さん、もうじき、しんどいコースになりますが、頑張りましょう」



 沙月と正義の目の前の視界が大きく開け茶色の山肌が見えている。


 正義は、階段のない時代の大雨の日、

ーー 吹き荒れる雨と向かい風の中にいた。

ーー 赤土が露出した急斜面を避け、

ーー 左側の草付きの上を草を掴みながら登った。

ーー 左側に寄り過ぎれば尾根から落下の二択だった。


 関東ローム層の赤土斜面は川になって尾根を下っていたのだ。



 沙月の体力消耗が限界に近付いている。

正義が時より沙月の手を引いた。


「正義さん、大丈夫ですから」

沙月の白い軍手は泥だらけになっている。


 日陰の無い剥き出しの斜面に真夏の日差しが容赦無く降り注いでいた。


「沙月さん、ここを過ぎれば、もう少しだから」

「・・・・・・」


 沙月の言葉数が減っている。

正義には嫌な記憶があった。

後輩の男が花立山荘前でダウンしてしまった記憶が・・・・・・」



 沙月は、息をゼエゼエしながら着実に高度を上げている。

「沙月さん、もう少し、もう少し」


 再び双子の姉の紗央莉が上から沙月に手を振っていた。

「沙月!頑張れ!」


 しばらくして、三人は合流して花立山荘前で昼食を取ることになった。

紗央莉が、ザックから海苔のりのおにぎりを取り出して正義と沙月に渡す。


「姉さん、持ってくれてありがとう」

「沙月の体力を心配していただけよ。

ーー 正義、沙月の手作りのおにぎりよ」


「沙月さん、こんな大きなおにぎりが作れるんですね」


「沙月は、昔から食いしん坊でね。

ーー 小さなおにぎりが嫌いなのよ」


 正義は、紗央莉の説明の可笑しさに

ーー あわや、おにぎりを落としそうになる。


「ギリギリセーフね」

沙月と紗央莉が笑っていた。


「沙月さん、ここから頂上は目と鼻の先の近さだからね」


「沙月、もう勝ったようなものよ」

「姉さんは説得力あるからね」


さっきまでの強い日差しが陰を潜めガスが出て来た。


「紗央莉さん、沙月さん、急ぎましょう!」

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