第18話
小さな音がして、キツネのお面にヒビが入っていた。
しかし、強い衝撃を体に受けた良介は呼吸を取り戻すことで精一杯だった。
「だい……じょうぶか?」
隣にいる自分に声をかける。
「なんとか」
その声は苦しげだけれど、休んでいる暇はない。
振り向くと大倉先生がモヤを引き連れて近づいてきている。
モヤはいつでも次の攻撃ができる準備を整えていた。
こっちにはお札しかない。
これ以上まともに攻撃を受ければ、死んでしまうかもしれない。
かといって逃げる暇があるかどうか……。
考えれば考えるほどここに逃げ道はなかった。
冷静になろうと思っても頭の中はパニックで、近づいてくる大倉先生とモヤに足元が震えてくる。
「裏鬼門も忘れられる存在よ!」
そんな中で、稲荷の声が聞こえてきた。
見ると、壁に体をもたれかけた状態で懸命にこちらを見ている。
この町では神事が忘れられている。
正月も、お盆もすでになくなった。
キツネや狛犬は人の形になることで、どうにか人々の記憶にとどまっている。
そして、裏鬼門も忘れられる存在。
良介は大きく息を飲み込んだ。
忘れられたら、存在していられなくなる。
「モヤなんて存在しない!」
良介は叫んだ。
瞬間、少しだけモヤの存在が揺らいだのがわかった。
それを見て、こっちの世界の良介も体制を立て直す。
「怨霊なんて現実にはいない!」
また、モヤが揺らぐ。
その存在は人間に信じられることで保っていられるからだ。
「お前は架空の作り物だ。誰もお前のことを信じてなんかいない。存在しないものは、怖くもない」
モヤがグニャリと歪んで人の形を保っていられなくなった。
それに気がついて大倉先生が息を飲んで振り返る。
「今だ!」
良介が叫ぶと、こっちの世界の良介が駆け出した。
モヤなんて、怨霊なんて存在しない!
その強い意志で岩へと駆け出す。
途中でモヤにぶつかったが、それはすんなりと体をすり抜けて行った。
「いいぞ!」
「ちょっと、どういうこと!?」
大倉先生はひとりで混乱している。
モヤはもう一度人の形をつくろうとしているが、良介が「現実には存在しない」と言えば、その言葉に反応して苦しむように霧散する。
「これで終わりだ!」
こっちの世界の良介が叫び、右手に握り締めたお札を岩の割れ目に貼り付けた。
その瞬間あふれ出ていたモヤがピタリと止まった。
同時に町中に溢れていたモヤが岩の中へと吸い込まれていく。
「そんな、嘘でしょう!?」
焦りの滲んだ声を上げる大倉先生を、良介は取り押さえた。
大人の大倉先生を取り押さえられるか不安だったけれど、モヤが消えていくことに愕然としている先生は簡単にヒザをついた。
「祖母のかたきを討とうとしただけなのに、どうして!?」
両目からボロボロと大粒の涙が溢れ出して、それを見ると良介の胸は痛んだ。
大倉先生もきっと辛かったんだ。
村八分にされて仕事を奪われて死んでいった祖母のことを思うと、いたたまれない気持ちになる。
でもそれなら、この町の人たちにまた思い出させればいいんだ。
昔の過ちをなかったことにさせなければいい。
「これでようやく解決ね」
その声に顔を向けると、青ざめた稲荷がかすかに微笑み、そして目を閉じたのだった。
すべてが解決した後、大倉先生は稲荷を刺した傷害罪で逮捕された。
そしてあの時刺された稲荷は……「じゃ、最後にもう一度学校へ行って、みんなの様子を確認しておきましょうか!」今日も元気だ。
あの時死んでしまったかと思って焦ったが、神様の使いがそれほど弱いわけがない。
ちょっと貧血っぽくなって眠ってしまっただけだった。
事件が解決してまだ10時間ほどしかたっていないのに、傷口はすでに塞がっていた。
便利だなぁと思って稲荷の腕を見ていると「そんなにジロジロ、見ないでください」と、頬を赤くしていた。
そんなことで意識されるとなんだかこっちも照れくさくなって、学校まで無言で歩いていくことになってしまった。
「よぉ良介! おっはよー!」
茂みから校門を確認すると英也がこっちの世界の良介に声をかけている。
良介は一瞬ビクリと体を硬くしていたが、すぐに安心したように笑顔を見せた。
続いて大輝が登校してきて3人して校門を潜り抜けていく。
「みんなの目の色が戻ってる」
良介は呟いて、稲荷はうなづく。
「これでなにもかも元通りです」
よかった。
本当によかった。
これで役割は終わったわけだ。
そう思うとホッとして、だけど少しだけ寂しい気分にもなった。
最後になにかひとつできないかな。
ちょっと余計なお世話かもしれないけれど。
「貸して」
良介はそういって稲荷からキツネのお面を受け取ると、茂みから姿を現した。
そして大きな声を上げる。
「みんな! この町のお寺や神社のことを忘れないで!」
良介と英也と大輝の3人が同時に立ち止まり、振り向いた。
「忘れないで!」
もう1度そう言い、良介は3人へ向けて大きく手を振る。
「君は……」
お面の割れ目からのぞく目を見て一瞬良介の表情が変わった。
しかし次の瞬間、キツネのお面をかぶった彼は背を向けて走っていってしまったのだった。
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