第16話
誰もキミコの行く先を突き止めることはできなかった。
そうしてたどり着いたのが、この町だった。
この町に来てボロアパートを借り、そして女の赤ん坊を産んだ。
子供の名前はヨシコと名づけられて、キミコと周りの人たちによって大切に育てられた。
思い切って家を出てきてよかった。
ヨシコはすくすくと成長して、キミコもどうにか簡単な仕事につくことができた。
裕福な暮らしではなかったが、あのままヨシコを堕胎することになることを考えると、遥かに幸せな暮らしができていた。
しかし、それすら長くは続かなかった。
「ねぇ、お母さんは自分のお母さんを捨てたの?」
ある日の夕飯時、ヨシコが突如そんな質問をしてきたのだ。
欠けた茶碗にご飯をよそっていたキミコは動きを止め、目を丸くしてヨシコを見た。
「どうしてそんなことを聞くの?」
「隣のおばちゃんが言ってた。お前のお母さんは両親を捨てて来たんだって」
いくらスマホがなくても、情報は千里を歩く。
ついにキミコの噂はこの町にも到達してしまったのだ。
しかも、最悪な形で。
「お母さん、私は生まれてきちゃいけない子だったの? みんな、産んじゃダメだって言っていたの?」
そう質問されたときには胸が張り裂けてしまいそうだった。
力の限りヨシコを抱きしめて「そんなことない。お前はお母さんの宝だから」と、何度も言った。
それでも周囲の変化は顕著だった。
こんな小さな町で村八分にされてはひとたまりもない。
キミコはたちまち職を失い、食べ物にも困るようになってしまった。
それでも毎日どこからか食べ物を別けてもらい、そのすべてをヨシコに食べさせていた。
そして、ある日……。
「お母さん?」
朝になって横で眠っている母親に声をかけても、反応がなかった。
「お母さん起きて」
揺さぶっても、叩いても目をあけない。
母親の顔は青白く、唇は紫色だ。
その変化に驚いたヨシコは大きな声で泣き出した。
ヨシコの泣き声に驚いて駆けつけた近所の人が自体を理解し、そして、ヨシコは一人施設に連れて行かれたのだった。
大人になったヨシコは普通に仕事をして結婚をして、子供をもうけた。
それが大倉先生だ。
しかしヨシコの記憶の中にはこの町の人たちに虐げられてきた母親、キミコの姿が克明に刻まれていた。
キミコはこの町の人間に殺されたも同然だ。
そして自分はこの町の人間に生かされた。
その複雑な心境を抱えたまま、中学生だった大倉先生を連れてこの岩へとやってきた。
40年前に起こった水害が原因で沢山の命が奪われた。
その命を沈めるためにこの岩が設置されたことは、みんなが知っていることだった。
この頃の先生も授業で習って知っていることだった。
だから自分の母親であるヨシコがハンマーを片手にここへ来たときには、なにをするつもりなのかも全部理解していた。
「この岩には強い念がこもっているの。この岩を砕けばきっとこの町は破滅する。お母さんのための復讐になる」
ヨシコはそう呟いていたという。
☆☆☆
「だけど結局、わたしの母親は岩を砕くまでにはいたらなかった。自分は施設に入って平和に暮らすことができたから、この町に恩があったみたいね」
「先生のお母さんは思いとどまった。それなのに、先生はその岩を砕いたのか!」
良介が奥歯をかみ締める。
「そうよ。おばあちゃんがこの町でどんな目にあったのか、考えたらかわいそうで仕方なかった」
マスクの奥で声が震えた。
先生は祖母にひと目会うことも叶わなかったのだ。
「こんなことしたら、母親が悲しむとは思いませんか?」
「思わないわ」
ハッキリとした口調。
「だって私のお母さんは先週病気で死んでしまったから。だから今こそ、私が復讐するときが来たんだと思った。すべて順調だったのに……あんただけ、なぜだかモヤの効果を受けなかった」
先生の目が良介をねめつける。
良介は緊張からゴクリと唾を飲み込んだ。
「なぜあなただけ平気でいられるの? これじゃ復讐が成功したとは言えないわ」
先生が近づき、ナイフが鼻先に突きつけられる。
冷たい汗が額に流れて行った。
このままじゃ、殺される……!
先生には迷いが感じられなかった。
自分の祖母のため復讐することを何も感じていないようだった。
「効果がない人間が一人でもいると、この計画を邪魔するかもしれない。そう思って、時々ここであなたが来るのを待っていたのよ」
そんな……!
マスクの奥から笑い声が聞こえてくる。
このままじゃ、殺される!
きつく目を閉じたそのときだった。
カンカンカンと、非常階段を上がってくる足音が聞こえてきて先生の気がそれた。
その瞬間体を回転させ、貯水槽の奥へと走る。
心臓はバクバクと激しく脈打っていて、今にも破裂してしまいそうだ。
やがて足音は屋上で止まり、同時に「どういうこと?」
と、先生の戸惑った声が聞こえてきた。
そっと顔を出して確認してみると、屋上へあがってきたのが自分だとわかり、慌てて顔を引っ込める。
家に帰したはずなのに、どうして?
後をつけてきたのなら、もうひとりの自分に気がついてこの世界が破綻しているはずだ。
そうなっていないということは、気がつかれていないということだ。
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