第15話
☆☆☆
グリーンに塗られている非常階段を駆け上がるとモヤの色はどんどん濃さを増して行った。
「なんだこりゃ」
自分には効果がないとわかっていても手で鼻を塞いでしまうくらい充満している。
電球の光も通さないくらいの暗さだ。
「こんな状態じゃ、本当に町中をモヤが埋め尽くしちゃう!」
「そうなると、町中の人から命を狙われるってことか」
良介は舌打ちをして岩へと足を進めた。
誰がそんなたちの悪いことしているのか少しでも証拠を掴んでやるつもりだった。
この岩を砕くためには道具が必要だったはずだから、割れ目の様子からどんな道具を使ったのか特定することができるかもしれない。
とても自分ひとりの力では無理だけれど、稲荷たちの助けがあれば切り抜けることもできるかもしれない。
「モヤが濃くて確認できない」
手でモヤを払ってみてもいくらも効果はでなかった。
せめて風が吹いてくれればいいけれど、高いビルに囲まれたこの町ではそれも難しそうだ。
それならどこかで扇風機を借りてくるか。
そう考えていたときだった。
岩の置くにモゾモゾと動く影が見えて良介は咄嗟に飛びのいていた。
小さかったその影は次第に大きくなり、やがて良介よりも大きな人影になっていた。
人の顔をしていないそれに悲鳴を上げてしりもちをつく。
「ば、バケモノだ!」
「違うわ! あれはガスマスクをつけているのよ」
稲荷に言われてもう1度確認してみると、確かにその人物はガスマスクをつけているようだった。
このモヤにやられてしまわないようにしているのだ。
ホッとしたのもつかの間、その人物がナイフを持っているのが見えた。
ギラリと光った刃先は良介へ向いている。
「死ね!!」
言い放ったと同時にその人物が良介に襲い掛かる。
良介は寸前のところで右に体を回転させて逃げた。
ナイフの刃がコンクリートにぶつかり、カンッと高い音を鳴らす。
「大倉先生?」
声に聞き覚えがあった良介が呟く。
その呟きが聞こえなかったようで、ガスマスクの人物は更に良介へ向けてナイフを振り上げた。
「大倉先生!!」
頭上にナイフを振り上げられた瞬間良介は叫んだ。
途端にガスマスクの人物の動きが止まる。
「やっぱり、大倉先生ですね。この岩を割ったのもあなたですか?」
「……そうよ」
マスクの奥からくぐもった声が聞こえてきた。
「どうしてそんなことを! この岩を割ったらどうなるか、わかっていたんですよね!?」
「この岩を割ると、押し込められていた怨霊たちが出てきて、ここを死の町にしてしまう。人々は怨霊に操られ、行きながらにして意思を失い、死んだも同然になる。私は母からそう教わったわ」
「それなのに、どうして!?」
大倉の笑い声がマスクの奥から聞こえてくる。
ナイフの切っ先は再び良介へ向けられていた。
「どうせあなたのことは殺してしまう。だから特別に教えてあげるわ。私たち家族に起こった、悲しい出来事をね……」
☆☆☆
大倉先生の祖母、キミコさんが漁師の彼氏との間に子供をもうけたのは19歳のときだった。
若いくしての結婚は珍しくない時代だったため、キミコは喜び勇んで港に戻ってくるはずの漁船を待っていた。
お腹に子供ができたというと彼はどんな顔をするだろうか。
きっと喜んでくれるに決まっている。
落ち着かない気持ちで漁船を待ったが、いつまで待っても戻ってこなかった。
やがて海上警察が出動し、翌日の朝には転覆した漁船が発見された。
恋人は船から投げ出され海の底にいたところを引き上げられた。
どうしてこんな事故が起こったのか、なにか色々と説明されたがキミコの耳には少しも入ってこなかった。
恋人が死んだ。
自分のお腹に子供を残して死んだ。
その事実があまりにショックで、立ち直るまで数日を要した。
しかしどれだけ厳しい現実があろうと、お腹の中の子供成長は止まらなかった。
つわりがひどかったこともあり、妊娠していることはすぐに周囲に知られることになってしまった。
「私は生みたいの」
キミコの両親は漁師の彼のことも良く知っていた。
いずれ結婚するだろうということも、口にしていた。
だからてっきり賛成し、手伝ってくれるものと思っていた。
しかし、両親の口から出てきたのは信じられない一言だった。
「許さん」
腕組みをして、難しい顔で目を閉じた父親はそう言った。
「え?」
「父親のいない子なぞ、産むことは許さん」
キミコの頭の中は真っ白になった。
あれだけ彼のことを気に入っていたのに、どうして?
そんな質問が喉まででかかった。
それに、これは人に恥じるような妊娠ではない。
誰の子か公言できないわけでもない。
それなのに、なぜ?
隣にいる母親はふきんで顔を覆ってずっと泣いていた。
キミコは父親の言葉が信じられず、家を飛び出した。
はだしでかけて、彼の家へと向かう。
彼の家は海岸沿いにあり、家族はキミコとも面識があった。
「お願いです、彼の子を産みたいんです」
キミコは彼の家族にも同じように事情を説明し、そして自分の親に反対されていることを説明した。
「それは本当に息子の子供なの?」
相手の母親に言われた信じがたい一言。
「はい。確かです」
キミコがなんどそう言っても相手は嬉しそうな顔ひとつしなかった。
このとき初めて自分の妊娠は誰にも望まれていないことだと理解した。
自分の家族にとっても、彼の家族にとっても、お腹の中の子は必要とされていない。
だけどキミコにとっては違った。
この子は彼の血を引いた子供なのだ。
この子を守れるのは自分しかいない。
絶対に誰にも殺させやしない。
そう誓ったキミコは子供を守るために、ひとりで町を出た。
まだスマホなどの通信手段のない時代だ。
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