第12話

☆☆☆


本殿に入ると今日も宴は始まっていた。



昨日と同じように二足歩行のキツネたちがお稲荷さんを食べたり、酒を飲んだりして楽しそうだ。



だけど良介の心は晴れなかった。



なにせこっちの世界の自分は今も誰かに命を狙われているのだ。



あのモヤのせいで。



そう思うといてもたってもいられない気持ちになる。



そういえばあのパン屋の女性は良介本人を狙っていた気もする。



ここにいる良介も、こっちの世界の良介も同じ人間だから見分けがつかなかったのかもしれない。



だとすれば、自分の命も危ないことになる。



「良介さん、難しい顔をしてどうしたんですか?」



ひとりのキツネが杯を持って近づいてきた。



「だからお酒は飲めないんだってば」



「安心してください。ただの栄養ドリンクですから」



そう言われて匂いをかいでみると確かにお酒の香りはしなかった。



一口飲んで、また一口。



不思議の飲むたびに心が元気になっていくような気がした。



「お気に召したようでよかったです」



キツネは嬉しそうに微笑んで、良介の杯におかわりを注いだ。



良介は栄養ドリンクを片手にお稲荷さんを口に入れた。



昨日からずっとお稲荷さんを食べているけれど、不思議と飽きてこない。



「キツネたちは毎日こんなことをしてるの?」



「そうです。私たちにとっては毎日がお祭りです」



「いいなぁ。俺もそういう生活をしてみたいよ」



思わずため息が出てしまった。



毎日学校へ行って、勉強をして、帰って宿題をして。



それはそれで大変だと感じている。



「私は良介さんたち人間が羨ましいです」



「どうして? 人間は大変だよ?」



「はい。だけど、忘れられる存在ではありません」



その言葉に良介の頭の中は一瞬真っ白になった。



忘れられる存在。



稲荷もそう言っていた。



こっちの世界では正月やお盆さえ廃れていき、信仰する人が途絶えている。



ここにいるキツネたちも、その忘れられていく存在のひとつだ。



「……ごめん」



良介は自分の手を見つめて呟くように言った。



人間に忘れられると消えてしまう。



そんな危うい存在だということを、つい忘れてしまいそうになる。



そのくらいに、キツネたちは出会ったときから楽しそうだった。



「みんな、本当は怖いんです。だからこうして集まって、自分たちがまだ存在していることを確かめあっているんです」



「お、俺は絶対に忘れないから」



「え?」



「ほら、こっちの世界の俺だって、いつもお供えものを持ってきてるんだろ? 俺もなんだ。向こうの世界でよくお供えものを持って行ってる。だからさ、忘れたくても忘れられないっていうか、それが俺の生活の一部っていうか」



うまくいえなくてもどかしい。



それでも気持ちは伝わったようで、ようやくキツネは笑ってくれた。



その頬が上気して赤く染まっていく。



キツネはその勢いのまま良介の手を取り、立ち上がった。



良介はつられて立ち上がり、踊りだす。



お稲荷さんタワーを囲むようにしてグルグル回り続ける。



いつの間にか外は電球が消えて暗くなっていたけれど、それにも気がつかないまま、時間は過ぎてゆくのだった。



効果が出ない


「妹を励ましてもらって、昨日はありがとうございました」



まだ布団の中にいる良介は稲荷の言葉を聞いてはじめて、あのキツネが稲荷の妹だったのだと知った。



「いや、俺は別になにも」



慌てて上半身を起こして答える。



「実は、ここにこうして泊まりに来る人もどんどん減っていて、久しぶりのお客さんなんです。昔はキツネの宴に参加する人もいたんですけど、それもいなくなってしまって……。それで落ち込んでいたところに良介さんが来てくれて、本当にみんな喜んでいるんです」



そういわれても、良介はただ稲荷に連れられてこの世界に来ただけだ。



そう思ったけれど、言葉を飲み込んだ。



「今日は朝から学校へ行って見ようとおもうんだ」



良介は気を取り直して言った。



キツネの宴は確かに楽しいけれど、自分がここへ来た一番の理由を忘れちゃいけない。



「そうですね。そうしてみましょう」



稲荷は背筋を伸ばしてうなづいたのだった。


☆☆☆


本殿から学校までの道のりはなんとなくわかってきた。



それでもこの世界の道は入り組んでいて、一人で行動できるようになるまでにはまだまだ時間が必要そうだった。



稲荷と2人で校門が見える茂みに身を隠す。



良介は念のためにキツネのお面をつけていた。



みんなが登校してくる時間になってすぐ、良介と稲荷は異変に気がついた。



「みんなの目の色が灰色になってる」



良介が呟くと、稲荷はうなづいた。



ほとんどの生徒、先生の目の色が変化しているのだ。



「きっと、あのモヤの量が増えたんだと思います。この町を覆いつくすほどに」



そう言われて良介は首をかしげた。



「でも、俺はや稲荷はなんともないよな?」



「私は神の使いですから、悪いものに当てられない術を持っています。でも問題はやはり良介さんにあるみたいです」



「俺?」



「えぇ。良介さんは他の世界から来たと言っても普通の人間です。それなのに他の人たちと同じような効果が出ていない。つまり、あの人型のモヤにとって敵になりうる存在ということです」



「だから俺のことを殺そうとしてるのか!」



稲荷はうなづいた。



「おそらくは。こっちの世界の良介さんにもあのモヤの効果が出ていない。そこで、良介さんにとって身近な人間たちを使い、排除しようとしているのでしょう」



稲荷の説明を聞いている間に、こっちの世界の良介が登校してきた。



背中を丸め、周囲の人間たちにおびえているのがわかる。



きっと、今までも何度も危険な目に遭ってきたのだろう。



その歩みは亀よりも遅く、体はとても重たそうに感じられる。



そんなにしてまで学校に来なくていいのに。



そう思うが、こっちの良介にはそれなりの理由があるかもしれない。



俺は学校をサボるくらいどうってことないけど。



こっちの良介が校門前まで来たときだった。



不意に数人の生徒たちが良介に近づいていくのが見えた。



「まずいわ」



稲荷が呟いた次の瞬間、さっきまで普通の歩いていた生徒たちが一斉に良介に向かって飛び掛り始めたのだ。



「うわぁ!?」



生徒たちに取り囲まれて悲鳴が聞こえてくる。



「くそっ」



良介は軽く舌打ちをして茂みから駆け出した。

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