第9話

とにかくお腹が減っていたことと、いつもの味を口に入れたことで一気に食欲が加速した。



良介は一つ目のお稲荷さんをペロリと平らげて、2つ目に手を伸ばす。



その間に別のキツネがやってきて「お酒もどうぞ」と、杯に日本酒をつごうとしたので慌ててとめた。



「人間は二十歳にならないとお酒が飲めないんだ」



「そんな制約があるんですか。不便なものですねぇ、人間は」



キツネはそう言うと自分の杯に酒をついでグイッとあおった。



ほんのりと赤くなる頬。



良介は3つ目のお稲荷さんを食べながらキツネたちの土壌救いを見て、4つ目のお稲荷さんを食べながらキツネたちのデュエットを聞いた。



人間の飲み会と変わらないその光景にだんだん慣れてきたころ、ようやくお腹も落ち着いた。



そしてふと思い立ったのが自分の世界のことだった。



突然自分がいなくなったことで英也たちは驚いているに違いない。



そう思った良介はズボンに手を入れてキッズ用のスマホを取り出した。



使用頻度は高くないけれど、親に言われて外へ出るときには必ず持ち歩くようにしている。



英也か大輝に連絡を取ろうと思ったところで、手が止まった。



電波がないのだ。



少し場所を移動してみても、手を伸ばして高い位置にしてみても、圏外から回復しない。



いつもなら、この辺は必ず電波があるのにな。



もしかしたら、こちらの世界では電波自体が違うのかもしれない。



そうだとすれば連絡を取ることは不可能になる。



みんな心配してるかもしれないな。



そんな後ろ髪を引かれる思いを残して、良介はスマホをポケットにしまったのだった。


☆☆☆


「この部屋で寝てください」



1時間ほどして稲荷に案内された部屋には、すでに布団が引かれた状態だった。



至れり尽くせりな世界になんだかキツネにつままれたような気分になる。



手のひらで布団を押して見ると、フワリとして心地いい。



さっきの座布団と同じ高級ベッドみたいな感覚がした。



その布団の心地よさに1人で感激していると、不意に稲荷があたまを下げてきた。



たたみに額が押し付けられている。



「きゅ、急にどうしたの?」



「ごめんなさい!」



「え?」



「突然なんの説明もなしに連れてきてしまって。あなたにはあなたの生活があったのに」



稲荷は本当に申し訳なさそうに言う。



それを見て、さっきスマホを操作していたところを見られたのだとわかった。



「大丈夫だよ。向こうは正月休みで、自由にしてたところだから」



良介は早口にそう言って、稲荷の頭を上げさせた。



それでも稲荷は落ち込んだ表情を崩さず、耳もシッポもうなだれている。



「そういえばこっちの世界はお正月じゃないみたいだね? 学校も普通に授業をしていたし」



気を紛らわせるために話題を変えた。



「えぇ。正月やお盆と言った行事は私たちキツネと同じで、消え行く行事なんです。変わりに2週間ほどの大型連休が年に何度も取られるようになりました」



「へぇ」



良介は驚きで目を丸くした。



大型連休が沢山あるのは羨ましいと感じる。



けれど、お正月まで消えていきそうだなんて思ってもいなかった。



そういえばこの本殿に来るまでに人の姿は1人見なかった。



手入れは行き届いていたけれど、キツネたちがやっていることなのかもしれない。



人間はもはや神様を信じず、それに関するものもすべて無くなるのだろうか。



そう思うと、途端に胸に穴が開いたような寂しさを感じた。



自分たちの暮らしている世界ではまだ息づいているものが、こちらでは廃れて消えようとしている。



「ではまた明日。朝ごはんの準備ができた頃に起こしにきますね」



キツネはうやうやしく頭を下げて、部屋を出て行ったのだった。


☆☆☆


すべてが夢だったのではないか。



この心地いい高級ベッドのような布団から起きたとき、現実世界に戻っているのではないか。



そう思った良介を起こしたのは、母親の声ではなく、稲荷の声だった。



「良介さん、朝ごはんの準備ができました」



襖の向こうから聞こえてきた鈴のような声に飛び起きる良介。



「わ、わかった。すぐに行くよ」



慌てて返事をしてから大きく息を吐き出す。



どうやら自分が昨日経験したことは夢でも幻でもなかったようだ。



見知らぬ和室の中を見回して、今度は小さくため息を吐き出した。



昨日良介はこっちの世界の自分を助けた。



イジメなどというものを兆越した殺人未遂。



それに、友人2人の変色した目も気になる。



できればこっちの世界の自分にもう少し頑張ってほしいけれど、うつむいて背中を丸めて歩く姿を思い出すと期待することはできないと察する。



「よし、とにかく行かなきゃ」



良介は自分の両頬を叩き、しっかりと目を覚ましてから部屋を出たのだった。


☆☆☆


夕方になるまで本殿で待機し、学校の就業時間近くになると良介と稲荷は2人で学校へと向かった。



さすがに学校内に侵入するのはリスクが高いので、一番イジメられる可能性が高そうな放課後を狙って監視するつもりだ。



現に、昨日こっちの世界の自分が殺されそうになったのも放課後だった。



門の影に隠れて自分たちが出てくるのを待っていると、英也が1人で校門を出てきた。



早足でどこかへ向かっているが、自分の姿はまだ見えない。



「どこへ行くんだろう」



「わかりません。追いかけますか?」



稲荷に質問されて一瞬迷った。



自分が出てくるのを待ってイジメを回避させるほうがいいかもしれないが、イジメを行っている英也はとうに校門から出て行ってしまった。



となると、今日イジメられる可能性は低くなったということだ。



「言ってみよう」



良介は稲荷に声をかけ、英也の後を追いかけ始めたのだった。

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