第4話

良介は飛びのいた場所からそう言った。



少女はうなづき「そう。私の名前は稲荷よ。よろししくね」と、言った。



幽霊かもしれないと思っていた少女が、実はキツネだった。



俺は化かされているってことか?



差し出された細い手を恐る恐る握り締める。



「君は、本当にキツネ?」



触れている手は人間のもので間違いない。



白くてやわらかくて、思わず照れて頬が赤くなってしまった。



「そうよ。正確には最上稲荷に仕えている稲荷よ」



「最上稲荷の、稲荷さん?」



稲荷はまたうなづく。



あれは石で彫られた置物のはずだ。



「で、でもすごく人間っぽいね」



言うと、稲荷は目を伏せた。



「こっちの世界では稲荷も狛犬も仁王像も忘れられゆく存在なの。そんな中で覚えていてもらうためには、こうして人間のような形を取ることしかなかった」



稲荷は説明をしながらその場でクルリと回って見せて、そのたびにキツネの像やキツネのぬいぐるみに化けて見せた。



良介は目を白黒させてそれを見つめる。



変化できるキツネなんて、初めて見た。



「忘れられるって、どうして?」



どうにか話についていくため、良介は質問を重ねる。



「人から信仰心がなくなったから。神様も仏様も、悪魔もエンジェルも。この世界の人たちは信じていない」



「そうなんだ……」



良介だった神様や仏様を心の底から信じているわけじゃない。

 


だけど稲荷や狛犬のことを忘れたりしたことは1度もなかった。

 


この世界での信仰心は、良介がいる世界よりも遥かに薄くなっているということなんだろう。



「それで、ここからが本題なんだけど」



稲荷はもとの女の子の姿に戻り、仕切り直しをした。



「あなたをこの世界に連れてきたのは、こっちの世界でのあなたがピンチだからなの」



「ピンチ?」



「えぇ。どうにかこっちの世界のあなたを助けてあげてほしい」



自分がピンチだと聞かされてもピンと来ない。



現に良介は今とても元気だ。



「自分で自分を助けろってこと?」



稲荷はうなづいた。



自分のことは自分で。



それは納得できることだけれど、なんだか突き放されている気分になって、なんともいえない。



「だけど気をつけて、こちらの世界のあなたにもう一人の自分がいるってことを気づかれてはいけないから」



それはどこかの漫画で聞いたことのあることだった。



あれは過去や未来に行ったときの話で、平行世界ではなかったけれど。



「わかった。もしかして、向こうの自分と鉢合わせすることがあったら、この世界が壊れたりする?」



冗談半分で聞いてみると、稲荷は真剣な表情でうなづいたのだった。





「自分を助けるって言われても、具体的にはどうすればいい?」



その質問に稲荷は困ったように眉を寄せた。



「できれば安全に、ケガのないように助けてほしい。でも、たぶん無理」



こっちの小学校まで案内すると言って隣を歩いていた稲荷の言葉に良介はギョッと目を見開いた。



「ケガってなに? そんなに危険なことなの?」



「それは、まだなんとも言えないんだけど」



稲荷はモゴモゴと口ごもり、ハッキリしない。



ハッキリと安全だと断定できないことなんだろう。

 


途端に不安になってきて良介は周囲を見回した。



あの丘から移動して、今はビルからビルとつないでいる空中歩道の上を歩いている。



腰の高さまである手すりがついているから安心だけれど、少し間違えればまっさかさま。



それも、地面が見えなくくらいの高さをだ。



良介はゴクリと唾を飲み込んで、手すりから離れ、歩道の中央を歩き始めた。



「まさか、ここから落ちるようなことなんて、起こらないよね?」



「まさか! そんなことは起こらないよ」



ぶんぶんと、顔の前で手を振る稲荷。



しかし、その表情は引きつった笑みだ。



本当にそんなことはないんだろうな?



更に不安が膨らんできたとき、歩道が途切れて、道路になった。



「ここがあなたが通っている学校」



「ここが……」



5階建て、灰色の建物を見上げて良介は「あんまり変わらないな」と呟いた。



変わっている部分といえば、その建物の下にはまだビルが建っているというところだ。



ここの建築は一体どうなっているんだろう? と、疑問を感じずにはいられない。



元の世界の学校は3階建てでここよりは小さな建物だったが、校舎の前に広がる校庭とか校舎まで続いているコンクリートの道とか、そう言ったものは同じようだ。



校舎へ続く道の左右はちょっとした茂みになっていた。



2人は道を歩き、校門を抜けた。



「あそこにあなたがいる」



稲荷に言われて良介は木の陰に隠れながら視線を向けた。



グランドで授業を受けているクラスがあり、その数は50人は超えていそうだ。



自分を見つける前に生徒の多さに驚いた。



「これで一クラス分?」



「そうよ」



「随分と子供の数が多いんだな」



「あなたが暮らしていた世界はどう?」



「もっと少ないよ。日本全体が少子高齢化だって言ってる」



介は社会の授業で習ったことを稲荷に聞かせた。



稲荷は真剣な表情で良介の話を聞き、「この世界も以前はそうだったの」と、うなづいた。



「その時に政府が政策を打ち出して、子供は格段に増えて行ったのよ」



だからこそ、この町は手狭になってきてしまったようだ。



縦に縦に高い建物が増えた原因のひとつだそうだ。



「原因のひとつってことは、まだなにか原因があるの?」



なにせ都心の高層マンションなんて目じゃないくらいの高さだ。



しかし稲荷は「うん、まぁ、ね」と口ごもり、視線をグラウンドへと戻してしまった。



なにか、言いにくいことを質問してしまったみたいだ。



良介はそれ以上聞くのをやめて、同じようにグラウンドへ視線を向けた。



グラウンドを見ていると50人を束ねる先生を見つけることができた。



「大倉先生だ」



思わず声のトーンがあがる。



この世界に来て初めて見知った人物を見つけた。



「あなたの担任の先生ね?」



「あぁ。とてもいい先生だよ」



どの授業でも生徒が楽しめるように考慮してくれるし、相談役にもなってくれる。



美人で人気のある先生だけどまだ未婚ということで男子たちはこぞって先生の取り合いをしているくらいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る