第33話 ヨーグルトの人

 それは夏の終わりであった。


三日前から、『奇妙な男』が店に来る。

男は店が暇(ヒマ)に成った「午前十時」と「午後三時」に必ず現れる。

初老で、身なりもキチッとして『金(おカネ)』もある程度所持している様である。


 今日もドアチャイムが鳴り、男が店に現れた。


 ダストボックスの上で『雉トラ猫』が男を見ている。


石田さんがバラバラになった雑誌を整理している。


 「いらっしゃいませ~」


男は周りの商品には目もくれず売り場の奥へ急ぐ。

そして、チルドコーナーの前まで来ると『ヨーグルト』を選び、パンコーナーで『食パン』を手に取り、レジカウンターに持って来る。


 「いらっしゃいませ~」


静子は商品をスキャンする。


 「二点で二百九六円になります」


男はポケットの中から「十数枚」の折り畳んだ一万円札を取り出す。

そして申し訳なさそうに、


 「一万円で良いですか?」


静子は笑顔で、


 「はい、どうぞ」


男は小声で入り口のコピー機を指差し、


 「あのー・・・、そこで食べさせてもらっても良いですか」

 「え? あ、どうぞ。お客さんも居ない事だし」


男は静子に一万円を渡す。


 「九千七百四円のお返しです。有難うございます」


男はコピー機の上にヨーグルトと食パンを置き、表通りを眺めながらしみじみと食べ始める。


 いつものように立ち読みをしている『具流氏』が男を一瞥(イチベツ)する。


男は食べ終わると、塵(ゴミ)をカウンターに持って来て、


 「御馳走様でした」


静子は笑顔で、


 「あッ、ありがとうございます。またおこし下さいませ」


男は公園の方に消えて行く。

この三日間、いつもこの形である。


 静子と石田さんがレジカウンターで話しをしている。

石田さんが、


 「ああ、あの男ですか? きのう公園のベンチで傘をさして寝てましたよ」

 「ええ?・・・お金は随分持ってるみたいだけど」

 「ヤバイ事やって来たんじゃないっスか」

 「そんな人には見えないわよ」


そんな事が続いた数日後。

静子と石田さんがレジカウンター内で喋っている。


 「店長、木村が公園で『ヨーグルト男』にタカってましたよ」

 「え、タカってた? 困った人ね~」

 「コマッたって、アイツあれが本業っスよ。『ベンチ代』、セビってました。ケッコウ、気(キ)入れて仕事してましたよ」

 「キアイ? ベンチ代? 何それー。・・・可哀想に」

 「どっちもどっちっスよ。あの男だって叩けば埃が出んだから」


静子が石田さんを見る。

石田さんが、


 「? 何か」

 「え? いや、イッちゃんて難しい言葉知ってるのね」

 「刑事モノ、好きっスから」

 「へ~え。でもあの人、最近痩(ヤ)せちゃったわね」

 「そりゃ、公園で生活してたらどんな金持ちでも一週間で痩せちまいますよ。それを超えて行ければイッパシのプー太郎に成れるんスよ」

 「へー。ヨッさんて云う人も、そうだったのかしら」

 「ヨッさん? ああ、アレも最初は苦労したんじゃないっスか。でも家を作ったんだから大したもんスよ」

 「家? ああ、あのブルーシートの」


 それから二ヶ月経ち、季節は秋霖(シュウリン)の時期に変る。

外は今日も雨である。

静子が雑誌を整理している。

と、ドアーチャイムが鳴る。

ふと見ると傘をおりたたんで、久しぶりにあの男が店にやって来る。

いつの間にか上着のジャケットは『汚れた薄いウインドブレーカー』に替わっている。

革靴は履いているが靴下は履いていない。

長く風呂に入っていないせいか、独特な臭いが漂っている。

静子が、


 「いらっしゃいませ~」


男は以前のようにチルドコナーに行き「ヨーグルト」を見ている。

が、今日の「あの男」の様子は少し違っていた。

男はヨーグルトを見ながら震えているのである。

静子は、さり気無く男の背後を通りバックルームに入る。

マジックミラーから男を覗いている静子。

男はヨーグルトを手に取り、パンコーナーに向う。

そして「食パン」をジッと見ながら震えている。

暫くして、静子がレジカウンターに戻って来る。

男はヨーグルトと食パンを手に、レジカウンターに来る。

静子が男を見て、


 「いらっしゃいませ~」


男は商品をカウンターに置き、震えながら静子を見て、


 「あの~・・・」

 「はい! 何か?」

 「すいません。お金が無いんです」


静子は驚いて、


 「えッ! あら、どうしましょう」

 「・・・食べさせて下さい」

 「タベッ!・・・困ったわー。ウチは商売しているんですけど」


事務所でモニターを見ていた龍太郎がカウンターに出て来る。


 「どうした?」

 「え? あ、このお客さんお金が無いんですって」

 「お金が無い?」


龍太郎は男の風体(フウテイ)を見て、


 「・・・じゃ買えないだろう。お客さん、可哀想だけど売る事は出来ないよ」

 「警察を呼んで下さい。お腹が空いて」

 「そう言われても、・・・困ったわねえ」


静子は龍太郎を見る。


 「そうだなあ・・・。警察ねえ・・・。万引か? 泥棒か? 無銭飲食・・・」


龍太郎は、またあの時の「先生(日弁連会長)の言葉」が頭を過(ヨ)ぎる。


 『ここに居るのは君と私だけじゃないか。なら、法律は?』


龍太郎は決断した様に、


 「お客さん、いつも食べてるそこのコピー機の上で食べなさい。僕が立て替えておくから」


静子は驚いて、


 「ええ!」

 「いいよ。良い。さあ、早く食べなさい。店員が出て来ない内に」


静子はジッと龍太郎を見詰める。

男は目に涙を浮かべて、


 「ありがとうございます。ありがとうございます」


と繰り返す。

そして、ヨーグルトと食パンを持ってコピー機の上で食べ始める。

静子は黙って男を見ている。

龍太郎は何も無かったように事務所に戻って行く。


 石田さんが商品を抱えてバックルームから出て来る。


 「店長、バカウケが欠品んスよ。夜勤がチョンボしたんじゃないスか」

 「あら、一番売れているのに。林クンたら」

 「アイツも時々跳(ト)ばしますからね。店長、確認した方がいいスよ」

 「そうねえ」


石田が棚に商品を埋めて行く。

何気なく入り口のコピー機の男を見る石田さん。

石田さんは空箱を潰してバックルームに。

暫くして石田さんがレジカウンターに戻って来る。

静子に小声で、


 「あの男、久しぶりっスね」

 「え?・・・そうね」

 「あの姿じゃ、とうとう金も無くなったんシょ」


静子はきつい眼で石田さんを睨(ニラ)む。

石田さんが静子を見て、


 「え? アタシ何か言いました?」

 「いえ、何も。あッ、そ、そうかもしれないわね」

 「もうそろそろ、病院か警察行きっスよ。店長、店に来たらマークして下さいね。何かクレて言われても無視した方がいいスよ」

 「え? え、えぇ。そうね」


ドアチャイムと共にお客が一人、店に入って来る。

静子が、


 「いらっしゃいませ~」


客はコピー機を使いたいのか、男の後ろに立つ。

男が、


 「あ、すいません」


急いでパンとヨーグルトを片付ける男。

客は呆れた顔でレジカウンターの静子を見る。

男は淋しそうに静子を見て、


 「・・・ご馳走さまでした」


丁寧にお辞儀をして店を出て行く。


 その日を最後に男は店に来なった。

数日して、救急車が静かに店の前を通り過ぎて行く。


 「あら、何か遭(ア)ったのかしら?」


石田さんが、


 「・・・そおっスね」


外を掃除していた龍太郎が店に入って来て、


 「おい、公園の方に曲がったぞ」


石田さんが、


 「ああ! あの男っスよ。今朝、ベンチでビニール傘を開いて裸足(ハダシ)で寝てましたから」


静子、


 「あの男って?」

 「『ヨーグルトの男』っスよ」

 「ええ!」

 「アイツ、ガレガレでしたよ。生きてんのかな」

 「そんな・・・」

 「アイツには無理っス。ここで生きて行くのは。けっこう大変スから」


龍太郎が、


 「ヨッさんに相談すれば良かったのになあ」


石田さん、


 「無理、無理、ムリ」


やはり公園に救急車は停まって居た。

助手席のドアーが開き、救急隊員がベンチで横に成る男に向かう。

救急隊員が男に声を掛ける。


 「モシモーシ、ダンナー! 聞こえますかー」


男は反応がない。

ストレッチャーが降ろされる。

男を載せて救急車が静かに走り出す。

木村が一人、『ヨーグルトの人』を見送っていた。

                          つづく

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